読書めも

読んだ本の感想をぼちぼち書いてます

聴覚障がい者が生まれて初めて音を聞いたらどうなるか《音に出会った日 ジョー・ミルン》

 

2014年3月26日、YouTubeに一本の動画が投稿された。 この動画は、イギリス人の女性が人工内耳移植という手術を受け、39歳にしてはじめて音を聞いた瞬間を記録したものだ。

彼女がはじめて耳にした言葉は、傍にいる聴覚機能訓練士が発した「聞こえますか?」という問いかけだった。40年ちかく待ち望んできたものを耳にして、歓喜の涙が溢れた。

彼女の名前は、ジョー・ミルン。先天性の聴覚障がいを抱え、29歳のときにはアッシャー症候群と診断され、いつか視覚を失うことを宣告された。

この動画は反響を呼び、200万再生を突破した。そんな彼女の半生を記した本『音に出会った日』を読んだ。

 

音に出会った日

音に出会った日

 

 

ジョーさんの人生は試練の連続だった。最初の試練は小学校に入学したときに訪れた。母の強い要望で聾学校には通わず、姉とおなじ一般の小学校を通うことになったのだが、この小学校入学がジョーさんにとって悪夢のはじまりだった。

同級生から、耐えがたいイジメの毎日。心ないあだ名を付けられたり、殴られたり、蹴られたり。ときには親友がイジメに加担することもあった。

 

ふつうの女の子なら大目に見られるだろうちょっとしたまちがいでも、わたしの場合はいじめの理由になった。耳の聞こえない子はほかの子とはちがうのだ。聴力という贈り物を受け取らずに生まれたのだから、頭を叩かれたり髪を引き抜かれたりして当然と、彼女たちは思っていたようだ。(中略)
親友と呼べる相手は、ヴィクトリアがはじめてだった。だが、彼女ですらときにいじめっ子の仲間に引きずりこまれることがあった。放課後にトイレでわたしを叩く集団の中に、親友の顔を見つけることもあった。
もっとも、女ボスの命令でいやいややらされていた。わたしの髪を引っ張るとき、ヴィクトリアはけっして力を入れなかったし、「ずっと友達だからね」と唇の動きで教えてくれた。週末はきまって、彼女はわたしに謝るのだった。彼女が自衛本能に従っているのはわかっていた。いじめの仲間に加わらなければ、自分が標的にされるからだ。

 

ジョーさんが小学校に入学したのは1970年代。当時の補聴器は現在のような小型なものではなく、耳にイヤホンをつける以外に音を増幅する四角い金属の箱を首からさげなければならなかった。珍しいものを身につけているジョーさんは、ほかの子どもたちにとってイジメの標的にしやすかったのだろう。

 

そんなときいつも彼女を救ってくれたのは母と祖父だった。母はジョーさんの身に何かあれば学校に乗り込んで、彼女を守った。祖父は、仕事が忙しい父親代わりの存在で、いつも優しい言葉をかけてくれた。このふたりがいなければ、いまのジョーさんはいないだろう。

 

そんな味方がいたけれど、ジョーさんはイジメのことを先生になかなか言わなかった。いったいなぜなのか。

 

角を曲がると通りに立つ母の姿が見えた。坂の上からでも心配そうな様子が見て取れた。「どうしていつもいじめられっぱなしなの?」母がわたしに尋ねた。「どうして先生に言わないの?」
それは、わたしがお土産を学校に持って行ったのとおなじ理由だ。ーみんなに好かれたいから。耳の聞こえない少女へのいじめは、相手がこっちを好いてくれればやむんじゃないの?スペインのお土産を渡せば、わたしもみんなとおなじだとわかってくれるはずでしょ?それとも、お土産を叩き壊してわたしの机の中に入れておく?

 

自分を嫌う相手でも、好意を示せば仲良くなれると純粋に思うジョーさんは、美しくもあるが、読んでいる者にとっては苦しく、いじめっ子に対して憤りを感じる。

 

転機が訪れたのは、中学校に入学したときだ。生徒の数が多くなった中学校では、いじめっ子たちの関心はほかに移り、ジョーさんへのいじめはなくなった。そして、中学・高校では友達にも恵まれ、楽しい学校生活を送ることができた。

ところが、16歳のとき突然試験中に気を失う。医者の診断によると、アッシャー症候群の可能性が高いことがわかった。つまり、いつの日か光を失う可能性があると診断されたのだ。

崖っぷちに追いやられたことで、ジョーさんは21歳のときに一大決心をする。幼いころからの夢だった看護師になるために、大学に進学することを決めたのだ。それからの二年間必死で働き貯金をし、23歳のときにやっとのことでニューカッスル大学に入学することができた。

ところが入学早々にして講師からのとんでもないいやがらせを受けることになる。

ジョーさんは担当講師に授業で、講師の唇を読めるよう配慮してほしいと訴えたが、その講師はその訴えを拒否し、教室内を歩き回りながら授業を始めた。なんとか彼の唇の動きを見逃すまいとジョーさんは頭の方向をあちこち変えたが、それも無駄だった。

しかし、いやがらせはここで終わらなかった。その講師はなんとジョーさんの真後ろに立って「看護師さん!看護師さん!」と彼女に向かって言った。当然彼女の耳にはその言葉は届かない。

そして、彼女の前に立ってこう尋ねた。「いま、わたしは先ほどなんと言いましたか?」と。ジョーさんがわかりません、と答えるとほかの生徒に向かって「ほらみたことか」といわんばかりのガッツポーズを見せた。

つまり、講師は患者からの問いかけに気づくことができないあなたは看護師になる資格はないと皆のまえで言ったのだ。耐えがたい屈辱を受けた彼女はこのことがきっかけで大学を辞めた。

 

神はどれだけの試練を彼女に与えたら気が済むのだろうか。大学を辞めてからも彼女の試練はつづく。アッシャー症候群の症状が悪化。視野が狭くなり、大好きだった車の運転も天職だと思えた仕事も辞めざるを得ない状況になった。

ジョーさんが試練に直面するたびに、読者は「なぜ彼女だけがこんな思いをしなくてはならないのか」と思うだろう。

同時に彼女はどうしてこんなにも力強く生きることができるのかとも思うはずだ。本書を読み終えたとき、あたりまえのように目が見えること、あたりまえのように耳が聞こえることに対して、感謝の気持ちをきっと覚えることになるだろう。

巨大な岩に手をはさまれ、5日間生き抜いた男のお話《127時間 アーロン・ラルストン》

こういうことわざがある。『事実は小説よりも奇なり』世の中で起こる実際の出来事は、小説に書かれていることよりも奇妙かつおもしろい、という意味だ。このブログではノンフィクションを中心に様々な本を紹介してきた。

通学路に死体が転がっているのが日常の北朝鮮から脱北してきたひとりの少女の物語や一匹の野良猫との出会いで人生が変わったホームレスのストーリー、育てていた子どもが自分の産んだ子どもでないと発覚し子どもを交換した話。

 

yukiumaoka.hatenablog.com

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奇妙とまでいかないが、どれも現実に起きたとは思えないようなノンフィクションだった。今回紹介するのは、まさに『事実は小説よりも奇なり』ということわざにふさわしい本だろう。

 

127時間 (小学館文庫)

127時間 (小学館文庫)

 

 

『127時間』を読んだ。

 

ーーアーロン・ラルストンはスポーツ用品店に勤めるアウトドアが大好きな27歳の若者だ。趣味はキャニオニアリングで、アメリカのあらゆる渓谷を回っている。ある日突然、深さ50メートルの谷底に落ちてしまう。ふと気づくと、右の手首の上には大きな岩塊が乗っていて、まったく動かすことができない。所持品はごくわずかな食料と650ccの水と登山用具がいくつか。昼間の気温は40度近くまで上昇し、夜は凍えるように寒い。周囲には人っ子ひとりもおらず、助けを呼べる可能性はない。刻々となくなっていく水と食料、死への階段を一歩一歩上がっていく恐怖。極限状態に陥った人間はなにを考え、どんな行動を取るのか?全米を泣かせ、大ベストセラーになった、感動の実話ーー

 

つまり、この本は岩に手を挟まれた男の話だ。しかも、状況は最悪で、たとえるなら脱獄不可能な刑務所にいて、数日後には処刑が確定されている死刑囚のようなものだ。

以下はネタバレ含んだ感想になるので、これから『127時間』を読もうと思っている方はこれ以降スクロールしないほうがいい。

 

 

 

 

 

 

 

まあこんな本を出すくらいなんだから、当然著者は生きている。ではどうやって生き延びたのか。結論から言ってしまうと、ナイフで腕を切断する。所持品のなかにステンレスナイフがあり、それを使って腕を切断し、この監獄を脱出する。

腕を切断するのは難しい。心理的な面ではなく、技術的にである。そもそも腕を切断するには、専用の器具が必要だし、人間は皮膚の下に肉があり、さらに骨がある。この骨を削るのがなかなか容易ではない。しかも、利き手である右腕は岩に挟まっている。腕を切断するまでに至る苦悩であったり、この地獄から脱出するためにもがくアーロンさんの姿は本書の見どころのひとつだろう。

その後10キロ近くの距離を歩き、そこを通りすがった人に助けてもらうことになる。片腕の状態で、何キロの行程を歩くとは、アーロンさんのすさまじい生命力を物語っている。ちなみに本書は2010年に映画化もされている。興味が湧いたひとは映画も合わせて見るといいのではないだろうか。

 

僕らはソマリアギャングと夢を語る 永井陽右

f:id:yukiumaoka:20160709195351p:plainで塗られている箇所がソマリアで塗られている箇所がケニア、で塗られているエチオピア。

 

 

感想

ソマリア連邦共和国。1960年にイギリスとイタリアから独立するも、1980年後半に内戦が勃発。さらに1991年には政府が崩壊し無政府状態に。国連多国籍軍が軍事介入するも失敗。その結果、世界最悪の紛争地のひとつと言われている。

 

先日「土漠の花」を読んだとき、ソマリアに興味がわいた。この本はソマリアを舞台に7名の自衛官武装勢力と戦う冒険小説だ。その後ネットでソマリアについて調べていたところ、この本に出会った。

 

yukiumaoka.hatenablog.com

 

僕らはソマリアギャングと夢を語る――「テロリストではない未来」をつくる挑戦

僕らはソマリアギャングと夢を語る――「テロリストではない未来」をつくる挑戦

 

 

 「僕らはソマリアギャングと夢を語る」を読んだ。著者は永井陽右(ようすけ)さん。現在イギリスの大学院に通う学生で、日本ソマリア青年機構を立ち上げた人でもある。

日本ソマリア青年機構とは、ソマリアを支援する学生NGOで、ギャングの更生を支援することが主な活動内容だ。つい先日レディフォーで130万円の資金調達にも成功した。

 

永井さんは大学一年のときに、ケニアのイスリー地区を訪れる。イスリー地区はソマリアからの難民が住む街であり、現地のケニア人も寄りつかないほど治安が悪く、テロリストの巣窟とまで言われる場所であった。

しかし、永井さんがイスリー地区で目にしたのはごく普通のソマリア人が生活している姿で、決してテロリストのような人々がいるとはどうしても思えなかった。

帰国後、イスリー地区でのことを忘れることができず、すぐソマリアについて調べた。すると、ソマリアが抱えている根深い問題を目の当たりにすることになった。機能しない政府、テロリストになる10代・20代の若者たち、拷問・処刑が当たり前の毎日。

そんなことを知っていくうちに、永井さんは耐えがたい痛みを感じるようになる。そして、仲間を集めてこの問題を解決しようと動きだす...

 

本書は国際協力の実践編だ。大学生だった永井さんがなにを考え、どんな行動をしたのか、そんなことについて書かれている。

そのなかでも特筆すべきなのは、日本ソマリア青年機構が力を入れている「Movement with Gangsters」だろう。これは対話を通してギャングの更生を目的とするプログラムだ。

イスリー地区の治安が悪化した原因は、ギャングが力を持っていることだった。10代〜20代の若者たちは生きるためにギャングに入り、犯罪行為に手をそめる。そのことを知った永井さんたちは、大学生である自分たちだからこそできることを考えた。そして、ギャングと同世代の自分たちだからこそ、彼らと膝を突き合わせて話し合うことができることに気づく。こうして「Movement with Gangsters」が生まれた。

このプログラムの優れた点は、ただギャングと対話するだけで終わらないところだろう。プログラム終了後、ギャングたちはスキルトレーニング(職業訓練のようなもの)を受ける流れとなっている。つまり、就職のフォローまで行っているのだ。

 

永井さんは人間力大賞を受賞したり、外務大臣奨励賞を受賞したりしているから、学生の人たちにとってはすこし遠い存在かなぁと思ったりするかもしれないが、そんなことはない。ソマリアが抱える問題に戸惑い、悩み、葛藤する姿が本書では描かれている。その姿はふつうの大学生となんら変わりない。

いま国際協力に携わる学生はもちろん、これから国際協力に関わろうとしている学生には必読の一冊だ。

 

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読書めも

・「Movement with Gangsters」で起きたトラブル、スキルトレーニングの受け入れ先でのモメ事などもうすこし踏み込んで書いてほしかった

・このプログラムを聞きつけてきて、プログラムを妨害しようとしたギャングはいたのか

・プログラムを受けた後のギャングたちのその後について書かれているのがよかった