【#77】ねじれた絆 赤ちゃん取り間違え事件の17年 奥野修司
内容
突然愛する我が子が他人が産んだ子であると、知ったときにあなたは何を感じ、どんな行動をとりますか?
いままで育てた子を引き取るか、もしくは自分が産んだ子を引き取るかどちらかの選択を迫られたらどちらを選びますか?
この本は、実際に沖縄で起こった赤ちゃん取り違え事件を取材したドキュメンタリーです。日本ではじめてこの問題が報道されたのは、昭和41年。それ以前の昭和32年〜昭和46年までの15年間に32件も取り違えがあったという報告があります(日本は世界一の取り違え児事件多発国です)
しかも、この数字は氷山の一角にすぎず、実数はこれよりはるかに多いだろうと言われています。
では、なぜこのような事件が多発したのでしょうか?赤ちゃん取り違えた時期を探ってみると、そのほとんどは沐浴させるときに発生しています。新生児には、誰の子どもか分かるように、ネームバンドをつけています。確認していれば取り違えることはない。ところが、実際には取り違えが起きています。すると、これは人為的なミスと考えるしかないわけです。
また当時、ベビーブームで看護婦が圧倒的に足りなかったことも原因のひとつ。(ネームバンドさえつけていない施設が全国で20パーセントもあった。)
感想
普段、社会問題を扱う本を読むと、憤りを感じることが多いのですが、今回は不思議と"憤り"を感じることはありませんでした。
なぜならこの本が、赤ちゃん取り違え事件のリポートでないからです。事件そのものをただ伝えるだけでなく、取り違えによって生じた問題に焦点を合わせて、長い年月にわたって見つめてきた家族ドラマだからです。
だからこそ、子どもたちが取り違えられ、どういうふうに育っていくのか?とかお互いの家族はどういう心境を抱えていたのか?ということに関心を持ち、憤りを感じなかったのだと思います。
ちなみに、カンヌ国際映画賞を受賞した福山雅治主演の「そして父になる」も、この書籍を参考文献としていました。
その他にフジテレビが放送したドラマも。
疑問
ここ数年、もしくは2000年に入ってからは取り違え事件は減ったのか?それともいまだに事件は起きているのか?
読書メモ
1.交換するのは、早い方がいい
子どもたちは驚くほど順応性が高い。全国の取り違えられた例を見ても、発覚したあとはできるだけ早い時期に交換に踏み切るというのが通常パターンだった。
2.裁判でなにが解決できるんだろう
「裁判で何が解決できたのだろう。戸籍をもとに戻した、病院から慰謝料をとった、ただそれだけのことじゃないか。それがどれだけのことを解決してくれたというのだ。これが法律の限界なんだなあ。」
合計1900万円という金額は、2人の子どもが6年間の空白を取り戻すのに十分なものかどうかは誰にもわからない。
この発言は、この取り違え事件を担当した弁護士の言葉です。国が解決してくれることや裁判が解決してくれることには、当然限界があるわけです。
3.神様のいたずらだったのかもしれない
「昔は悪い方に考えていたのに、いまはいい方に考えられるようになった。でも、今は美津子もいっしょに面倒を見てあげなさいという、神様のいたずらだったのかもしれませんね。もう病院に対して恨みはありません。」
もう一度子どもが取り違えられたら今度はどうするか、という質問をした。智子はしばらく天井を見つめていたが、逆に私のほうに質問を投げ返してきた。
「6歳というのはかわいい盛りですよ。いまさら他人の子と言われて手放すことができますか。でもすぐ近くにお腹を痛めた子供がいる。どっちかを選べなんて、こんな残酷なことはありません。血を分けた子か、これまで育てた子か、もしもおたくならどっちを選びますか」
私はしばらく言葉がなかった。
「でもやっぱり、実の子を引き取るでしょうね。これでよかったんですよ。時間は過ぎてしまえば早いもので、いまは後悔していません。」
これは、裁判が終わり、子どもたちが20代になってから片方の家族の母親、智子に著者がインタビューしたときの会話である。
「血」をとるか?「情」をとるか?親子とは一体なんなのか?血のつながりとはなにか?
これは、きっと容易に答えを出すことはできません。