読書めも

読んだ本の感想をぼちぼち書いてます

イチローが首位打者を取っても毎年バッティングフォームを変えるたったひとつの理由《Number(ナンバー) 951号》

まずはこの動画を見ていただきたい。この動画は2015年の「東京モーターショー」のトヨタのブースにてイチローが特別ゲストとして呼ばれ、スピーチをしたものだ(6:10〜)

イチロートヨタ豊田章男社長と日頃から親交があり、オフシーズンには共に食事をする仲で、その縁でゲストとして呼ばれた。そのイチローのスピーチで「成長すること」について話していたことが印象的だったので、メモ代わりに残しておく。

 

僕は毎年バッティングフォームを変えるようにしています。たとえ首位打者を獲ったり、だれよりもヒットを打ったとしても、次の年には変えてしまう。いまよりも前に進むためには、常にあたらしいチャレンジが必要だと信じているからです。

その結果、前の年よりも成績が下がったり、うまくいかないこともたくさんあります。まぁむしろ、そのほうが多いのかもしれません。

でも、僕はこう思うんです。成長するということは、まっすぐにそこに向かうことではないんじゃないか前進と後退をくりかえして、すこしだけ前に進むつまり、後退も成長に向けた大切なステップじゃないかと。

 

イチローは毎年のようにバッティングフォームをマイナーチェンジしている。メジャーに来ていきなり首位打者と新人王を達成したときも、2004年にシーズン最多安打記録262本を達成したときも、2016年にメジャー通算3000本安打を達成したときも、次のシーズンにはバッティングフォームを変えている。

いまよりも前に進むためにイチローは自分のバッティングフォームを変えていく。しかし、自分が作り上げたバッティングフォームを手放すことに対する惜しさや怖さはないのか。イチローは「Number 951号」でこのように語っている。

 

 遠回りに見える道が、実は最も味わい深い

「僕も最近はベテランと言われます。野球界では40歳前後が定年という価値観が今も残っていますが、僕にとっては大きな疑問です。人は僕が50歳までプレーすると思っているようですが、『最低50歳』という意味です。

肉体も含めて環境の変化に適応できれば、経験値が積み上がっている分だけ、毎年キャリアハイを残せると思っています。変化を求めて失敗することもありますが、成長には後退も必要です。様々な回り道をして、遠回りに見える道が、実は最も近道で味わい深いものであるような気がします。

会社の中では、思い通りにいかないことが多いと思います。それでも自分が本来やりたくないことでも本気で向き合い、好きになろうと努力し、最後は本当に好きになって結果を出している人のこと、僕はすごいと思っています。ベテラン、がんばっていきましょう」

 

 

 

 

 

これは去年のトヨタの入社式で新入社員の上司に向けて送られたイチローからのメッセージだ。イチローはバッティングフォームを変えることに、惜しさや怖さを感じない。むしろ、そこに味わい深さがあると言っているのだ。

今年の5月にイチローマリナーズの球団特別アドバイザーに就任した。今シーズンはもう試合に出場できないが、来シーズン以降は出場できる可能性がある。

毎日、イチローがヒットを打ったかどうかをネットでチェックするぼくのようなイチローファンにとってはすごく残念なことではあるが、イチローが選択した道が味わい深いものとなるか、見守りたい。

ユニクロを出禁になった50歳のおっさんがユニクロで1年バイトしてもバレなかった話《ユニクロ潜入一年 横田増生》

タイトルを正確に手直しすると、『ユニクロの決算会見)を出禁になった50歳のおっさんがユニクロで1年バイトしてもバレなかった話』だ。

2016年11月30日、文春砲が炸裂した。見出しは「ユニクロ潜入一年」、サブタイトルは『ユニクロ帝国光と影』 ジャーナリスト横田増生の渾身レポ。

横田増生さんはユニクロの店長や委託工場での長時間労働について書いた「ユニクロ帝国の光と影」を2011年に出版し、ユニクロ側から名誉毀損で訴えられていたが、2014年に勝訴。

裁判には勝ったが、横田さんはこれ以降ユニクロの決算会見に出席できなくなってしまった。もちろん、取材もNG。そんなときに雑誌プレジデントを目にする。

そこには柳井社長のインタビューが掲載されており、こう書かれていた。

 

悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。会社見学をしてもらって、あるいは社員やアルバイトとしてうちの会社で働いてもらって、どういう企業なのかをぜひ体験してもらいたいですね

「プレジデント」2015年3月2日号

 

これを横田さんは自分への挑戦状と捉え、ユニクロに潜入することを決意する。

 

ユニクロ潜入一年

ユニクロ潜入一年

 

 

離婚に応じた妻

潜入するにあたって準備しなければならないことがあった。

それは苗字を変えることだ。ありふれた苗字だが、裁判で横田さんの名前はユニクロ側に知られている。潜入するにあたって苗字を変える必要があった。

そこで横田さんは奥さんと離婚し、その後再婚することで奥さんの旧姓を名乗ることにした。ちなみに奥さんはおもしろがり、ノリノリで離婚届にサインしたという。こうして、横田増生から「田中増生」となった。

潜入してすぐにあやうく正体がバレそうに...

こうして準備を整えた横田さんは面接に向かった。

面接当日は喉がカラカラになるほど緊張したという。自分の正体がバレないように面接を突破しなければならないからだ。しかし、面接はあっさり合格。

人手が足りてないこともあり、さっそく次の日から出勤。その日の仕事を終え、休憩室で休んでいたら思わぬトラブルが起きた。

女性社員から「田中さん」と何度も呼ばれたが、自分のことだと気づかずに無視してしまったのだ。50年近く横田と名乗ってきて、ここ数ヶ月で田中に変更したのだから無理もない。しかし、この問題はすぐに解決されることとなる。

というのも苗字が同じ社員がいたので、横田さんはファーストネームである「増生さん」と呼ばれることになったからだ。

しかし、今度は致命的なミスをしてしまう。なんと本名である横田増生と自らバラしてしまったのだ。

コトの発端はこうだ。とある伝票に自分の名前を書く必要があった。その日はとても忙しかったこともあり、横田さんは無意識に伝票に「横田増生」と書き込んでしまったのだ。

隣でその様子を見ていた社員は怪訝な顔をしたが、なんとかごまかし、ことなきを得た。

パワハラ気味のビックロ店長

横田さんは1年間で3つの店舗(幕張新都心店→豊洲店→ビックロ新宿店)で働くことになるのだが、最初の幕張新都心店では特にブラック企業だと感じる点はない。

なぜなら、幕張新都心の店長が人格的にも能力的にも優れた店長だったからだ。

一方、ユニクロの中で最も忙しい(週末に1万人、感謝祭には3万人訪れる)と言われるビックロの店長は前述の店長に比べ、やや問題がある店長だった。横田さんがビックロで面接を受けたときの話だ。

 

総店長(ビックロには3人の店長がいてその3人を束ねる店長のこと)は、勤務時間の欄に私が「午前9時から午後11時30分まで」と書いたところから突っ込んできた。「どうして、朝一番の7時半から出勤できないのか」と。

この頃、体調が思わしくなく、朝早くから働くことは相当な負担であったのだが、無難に「朝は子どもと一緒に朝食を食べてから働きたいと思います」と答えると、「プロとして働くのに、お子さんとの朝食を優先させるのはどうなんですか」と突っ込まれる。

「たとえば、大学生の方で、私はアルバイトなのでユニクロのことをそこまで一生懸命に理解するつもりはありません、とおっしゃる方がおられます。しかし、それでは困るんです。ユニクロの名札をつけて売り場に出るときは、働きはじめてすぐの新人の方も、20年というベテランの方も同じ名札なんです。お客様の目からすると同じなんです」

つまり、時給1000円であっても、大学生であっても、プロ意識を持って働け、ということだ。プロっていっても時給1000円のアルバイトじゃないか、と私は心の中で罵る。

 

「プロとして働くのに、お子さんとの朝食を優先させるのはどうなんですか」という発言は漫画でよく女性が口にする「仕事と私どっちが大事なの?」と訊くような愚問な質問である。

潜入を進めていくにつれてこの店長がとんでもない人物だということがわかるのだが、それは本書を読んでぜひ確認してほしい。

そんな店長がいるビックロだが、ビックロが慢性的な人材不足であることに横田さんはすぐに気づいた。

まず日本人のアルバイトが圧倒的に少ない。ビックロには400人前後のアルバイトがいるが、そのうちの半分が外国人だ。日本語がしゃべれるとはいえ細かいニュアンスまではわからない。

ちなみに、なぜ外国人が多いかというと時給が低いからだ。時給は1000円で交通費なし。

時給が低いのでアルバイトの士気は低く、外国人が多いのでミスコミュニケーションが多くトラブルも多い。さらには仕事がハード。

よって仕事が山積みとなり、そのしわ寄せは社員や店長にいき、サービス残業の繰り返しで彼らのストレスは溜まる一方。

これがユニクロの広告塔といわれるビックロの実態だった。

突きつけられた解雇通知

横田さんはビックロにて3ヶ月の勤務をし、週刊文春12月1日号にて「ユニクロ潜入一年」 と題した記事を書いた。

12月3日に出勤した際、横田さんは突然店長室に呼び出され、人事部長と対峙することとなる。

まずは人事部長から記事を書いたかどうかの事実の確認をされ、横田さんがそれを認めると「まだ当社で働く気はあるか?」と聞かれた。

横田さんはアルバイト契約を2017年3月まで結んでいたので、それまで働くと主張したが、人事部長からの返事は「アルバイト就業規則に抵触しているのでクビ」とのことだった。

 

「まず、週刊文春の12月8日号に記事を書かれたということは、当社の信用を著しく傷つけたということですね」

「それは記事のどこが就業規則に違反するんですか」

古河氏は就業規則をめくり、「アルバイト就業規則の第75条の14号と第16条の1号に当社は該当すると判断しました」と言う。

第75条の14号には、「論旨退職・懲戒解雇」とあり、「故意または重大な過失により当社に重大な損害を与え、または当社の信用を著しく傷つけた時」とあり、第16条には「解雇事由」と書いてあった。生まれてはじめて目にする解雇通知である。どのようにしてユニクロに重大な損害を与えたのか、と私がさらに尋ねれば、「この記事を寄稿されたこと自体が該当すると思っています。中身云々は別として、当社によって全くプラスになるような内容ではない、と」(中略)

私が最初に聞きたかったのは、記事に事実と違ったところがあったのか否か、という点だ。

私が何度も「どこが間違っていたのか」と尋ねた末に、ようやく返ってきたのは、「間違っている云々の中身の吟味はしておりません」という一言だけ。ならば、もう一歩突っ込んで、「記事は間違っていないということですね」と念押しすると、「お答えできませんし、お答えする必要はありません」という返事。

 

こうして横田さんのユニクロへの潜入は終わった。300ページ近くあったが、あっという間に読み終えることができた。

名前を間違って書いてしまったところはスパイ映画でスパイの正体がバレそうなシーンを思い浮かべたし、なによりもジャーナリストがユニクロに潜入してそのレポを書くという経緯自体がおもしろい。

社長やユニクロは悪ではないが、ジャーナリストがユニクロという邪悪な大企業を倒そうと奮闘する勧善懲悪的な話に思えて、読み物として十分に読み応えがあるいい一冊だった。 

殺人犯から届いた検察官への手紙《裁かれた命 死刑囚から届いた手紙 堀川恵子》

 『死刑』それは我が国の刑法のなかで最も重い刑罰である。2016年には3人に死刑判決が下され、3人の囚人に死刑が執行された。

 

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引用:(アムネスティ日本調べ

 

「他人の命を奪ったのだから、代わりに自分の命を差し出す」というロジックに従うならば、死刑制度があるのは当然だ。

しかし、本書の登場人物であり、元検察官である土本武司さんはこのわかりやすいロジックに従うことを大変危険だという。なぜなら、昨今起こる事件はこれまでの常識では考えられないことが起きているからだ。

2000年代に入り、附属池田小事件や土浦連続殺傷事件など、自ら死刑を望んで罪を犯す者が現れた。刑罰は法に背いた者に対する制裁なのに、それをわざわざ受けるために犯罪に手を染める。いったいなんのための刑罰なのかと思わされる。

附属池田小事件の加害者の男は裁判で反省の色を見せず、自らの死のために児童8人を無差別に殺害したと口にした。そして、死刑確定からわずか一年後に彼の死刑は執行された。

附属池田小事件の男が死刑となった後に、遺族の方々が「死刑執行まえに男からの謝罪が欲しかった」と新聞にコメントを寄せた。このことに対し土本さんはこう考える。

 

死刑というのは、命を奪うこと、つまり本来なら神様しかしてはいけないということを、法の下の名において人間がやっているわけですから。それは単なる謝罪という次元を超えた最大の償いなんです。命を差し出すのだから、これ以上のことはない。それに対して謝罪してほしかったというのは本来、筋が通らない話です。それほど死刑というのは重いものであるはずなのに、多くの人はそれを理解していない。

 

たしかに「他人の命を奪ったのだから、代わりに自分の命を差しだす」というロジックに従うならば、加害者が被害者に対して謝罪するという行為は不要である。

しかし、自分の家族や恋人が殺された場合「死刑が確定されたから、謝罪はいらないです」とほとんどの人は言わないだろう。加害者に対して憤りや憎しみという感情が生まれるはずだ。

上記の引用部分だけを見ると、「元検察官のくせに土本は犯罪者に肩入れするのか!」と思うかもしれないが、そもそも土本さんは死刑肯定派である。常に被害者の立場に立って発言し、法務大臣が死刑執行のサインを渋れば、職務怠慢であると批判してきた。

そんな土本さんがなぜこのように死刑について考えるのか。それは土本さんに届いたひとつの手紙がきっかけだった。

 

裁かれた命 死刑囚から届いた手紙 (講談社文庫)

裁かれた命 死刑囚から届いた手紙 (講談社文庫)

 

 

『裁かれた命』を読んだ。本書は土本さんに届いた一通の手紙からはじまる。

 

1966年、検察官である土本武司のもとに一通の手紙が届いた。差出人は数ヶ月前に土本が死刑を求刑した死刑囚からだった。自分が死刑台に送った者からの手紙。『怨嗟』のこもった手紙か『助命』を求める手紙だと思い手に取ったが、そこには土本の心を激しく揺さぶることが書かれていた。本来、決して交わることのない検察官と死刑囚、こうして2人の文通がはじまったーー。

 

いったい手紙の中身はなにが書かれていたのか、またこの手紙がなぜ土本さんに大きな影響を与えたのか、そのまえにこの死刑囚が起こした事件について順に追っていくことにする。

1966年、東京都国立市内の住宅地にて強盗殺人事件が発生した。被害者は40代の主婦。土本さんは当時検察官6年目だったが、これまで遭遇したことがないほどの凄惨な現場だったという。

捜査当初こそ犯人逮捕は難航したが、土本さんの活躍により犯人はあっけなく逮捕され、取調室へと連行された。

取り調べを担当した土本さんは犯人である長谷川武の顔を見て驚いた。なぜなら、あの凄惨な事件を起こした凶悪犯とは思えないようなあどけなさが残る22歳の青年で、取り調べに対してもすべて正直に答えていた。

強盗殺人の量刑は「死刑または無期懲役」だ。土本さんはこの青年を自分の手で死刑台に送るのかもしれないと思いながら、取り調べを淡々と進め、送検手続きを行った。

当時土本さんが配属された支部では犯罪が多発しており、365日働いているくらいハードな日常だったという。やがて、長谷川の起こした事件のことも忘れかけていたそんなときに彼からの手紙が届いた。

 

土本武司殿

新春のお喜びを申し上げます。検事さんには其の後、お変わりないものとお察っし致して居ります。また其の節は御指導それに御心配して頂き誠に有難う御座居ました。検事さんにはすっかり御心配して頂き済まないと常々思って居ります。僕の裁判の近況をお知らせするのでしょうが、現在の状態ですとこうやって文章を連ねて行けば行く程、何故かしめっぽくなる様な気がしますから、それに新年早々の事ですし、はぶかせて頂きます。唯、体の方だけは検事さんに負けないくらい心身さかんと偽りなく書く事が出来ます。それでは検事さんも幾重にもお大事に。

 

自分を死刑台に送った検察官に対して「お世話になった」だなんて不思議でしょうがない。捉え方によっては嫌味に捉えることもできる。土本さん自身も、この手紙が届けられたとき相当困惑したという。長谷川に対してなにか特別なことをした記憶はなかった。

ただ、長谷川武が近い将来死刑囚になるかもしれないと思い、彼の言いたいことをしっかり聞くことを徹底したという。さらに、長谷川の供述のメモさえ取らなかったときもあったという。

通常、取り調べのときは隣に事務官を横に座らせて記録を取らせるのだが、その事務官にさえ手を止めさせて話を聞いたときもあった。

そのことに対して感謝をしたのかわからないが、長谷川は土本さんに対して手紙を送った。

こうして土本さんと長谷川は文通をはじめた。その文通は長谷川武が処刑される前日まで何度も交わされた。そして、そこには『怨嗟』や『助命』のような文言は一切なかった。

 

今まで犯罪者の更生なんてありえないと思っていた。しかし、この本を読んで不確かな未来ではあるが、犯罪者の更生はありえるのではないかと思った。

死刑判決が下されても、獄中で被害者の冥福を祈り続ける長谷川武。それはもう死刑判決を逃れようとする一種のパフォーマンスではなかった。

死刑囚は将来がない人間だ。将来のある人間ならば、反省し、自らの罪を悔いることで、次の機会に生かすことができる。しかし、将来のない人間に反省は無意味だ。

にもかかわらず、自身の犯した罪と向き合い、自分にとっての贖罪の答えを最後まで探そうしていた。

それは土本さんとの手紙のやり取りでもわかるし、長谷川の弁護士となった小林健治さんとの手紙のやり取りのなかでわかってくる。そんな姿をみていると、彼をここで殺してはならないと強く思う。

いやいや、長谷川武はひとりの人間を殺したのだから、死刑になって当然でしょと思うかもしれない。

だが、2人の死刑囚がいたとして、死ぬ直前まで更生しようとあがく人間と死ぬ直前までなにも考えずに過ごす人間は果たして同じなのだろうか。同じ人殺しであっても、前者と後者には明確な隔たりがあるとしかぼくには思えない。

長谷川は小林さんとの手紙で自身の罪に対してこう述べている。

 

ぼくは、罪と言うものは何だろう、と考えました。そして罪と言うものは、いかなる方法をもっても、いかなる処刑をもっても許されるべきものではないと知ったのです。

刑法には、"何何の罪は、何何に処す"、"これこれの罪はこれこれに処す"......

これらだって、仮に定めたものであって、それだけの刑罰を課したところで、過去の罪は消えるものでないと知ったのです。それこそ、生涯つきまとい苦しめられるものが罪の大きさかと思うのです。ぼくが今、一番残念に思うのは、ぼくのやったことが、ぼくのすべてをもっても償いきれない無念さなのです。ぼく一人では済まされなかったことなのです。

 

これは死刑されるすこし前に書かれた手紙である。なぜ、犯罪に手を染めるまえにこのことに気づかなかったのか。そう言いたくなる気持ちがグッと出てくる。そして、ただただ悔やまれる。なぜ犯罪を犯したのかと...

 

本は一回読んだら気が済む方なんだけど、この本は何度も読んでしまった。このブログを書いている今でも、もういちど読もうかなと思えるほどの良書だった。