読書めも

読んだ本の感想をぼちぼち書いてます

絶体絶命だった侍ジャパンを救ったのは38歳のベテランだった《土壇場力 井端弘和》

土壇場力

土壇場力

 

第三回WBCで獅子奮迅の活躍した男

World Baseball Classic、通称WBC。「野球の世界一」を決めるこの大会は、2006年に始まり、第一回・第二回と侍ジャパンが連覇を成し遂げた。

しかし、2013年に開催された第三回大会の準決勝で侍ジャパンは1-3でプエルトリコに敗れ、WBC三連覇の夢は潰えてしまった。

二転三転の末に決まった監督、メジャーリーガー不在、キャプテン阿部の負傷。多くの課題があったものの、なんとか準決勝までたどり着いた。しかし、多数のメジャーリーガーを戦力に持つプリエルトリコの前に、侍ジャパンはあっけなく散った。

そのなかでひとり獅子奮迅の活躍をした選手がいる。もし、日本が優勝していれば、間違いなくMVPを受賞していただろう。一次ラウンドのブラジル戦では代打で同点タイムリーを放ち、二次ラウンドの台湾戦では9回表2死2塁から起死回生の同点タイムリーを打った男、井端弘和だ。18打数10安打、打率.556、出塁率.652。この成績を見れば、その活躍ぶりは言うまでもないだろう。

ということは、大会前からいい仕上がりで、期待されていたのだろうか。いや、決してそんなことはなかった。

 

僕だけ人一倍スイングが遅かった

2012年11月16日と18日に行われたキューバとの親善試合。(中略)11月10日過ぎくらいにメンバーが集まって練習したのだが、僕だけ人一倍スイングが遅かったのを覚えている。福岡ドームと札幌ドームでキューバと2試合が予定されていたが、「福岡と札幌に旅行に行くか」ぐらいの気楽な感覚でいたように思う。
最初構成されたメンバーは23、4歳の若手がほとんどで、ひとり別格でおっさんの僕。どうにも気恥ずかしくてたまらなかった。
最初の合宿のとき、最年長が僕で、阿部慎之助(巨人)は日本シリーズアジアシリーズで台湾に行っているため合流が遅く、その次の年長者というと一気に30歳の糸井嘉男オリックス)まで下がる。糸井のすぐ下の世代にしても、さらに6、7歳の開きがあった。合宿に行っても話す相手はいないし、あの糸井にしたって誰と話していいのか迷っていたくらいだ。

 

しかも井端さんのポジションには坂本、鳥谷、松井稼頭央らがいて、どう考えても代打の可能性が高かった。そんな状況であったが、気持ちは切れず「どこかで一回大仕事してやるぞ!」と燃えていた。

というのも、日の丸に対して特別な想いを抱いていたからだ。

 

06年のWBCは代表招集を一度断った後、再度招集がかかった。このときはまだ29歳で、05年のシーズンは3割2分3厘、打点63と過去最高の成績を残し、心技体ともに充実していた時期だった。(中略)
マリナーズで活躍していたイチローさんが1番を打って、その次を僕が打てたらいいなあと密かに夢を抱いていたが、当時ホワイトソックス井口資仁さんが参加表明し、1番イチロー、2番井口というオーダーが完成しており、このときも「俺はもうないな」と、僕の夢はあっけなく潰えた。だが、年が明けると井口さんが急きょ「メジャーに行ってまだ2年目、スプリングキャンプを優先したい」と出場辞退を発表した。それから非公式に出場要請を打診されたが、その頃には身体もまったく作っていなかったし、泣く泣く参加を断ることになった。

 

意外かもしれないが、井端さんは国際大会の経験はない(予選は経験しているが、本選はなし)北京オリンピックは選考の時点で落選し、2009年のWBCは身体の故障を抱えており、出場を打診されたが辞退。そして、2013年やっとのことでつかんだ日の丸のユニフォーム、燃えないわけがない。

 

台湾戦のあのタイムリ

本書では台湾戦の9回2死1点ビハインドで放った起死回生のタイムリーについて詳しく書かれている。

 

2-3、台湾1点リードで迎えた9回表、日本最後の攻撃。誰がこんな展開を予想しただろうか。重苦しい空気のまま最終回の攻撃に入る。1死から9番鳥谷が四球で塁に出る。さあ、同点のランナーだ。次の打者は途中出場の長野。大きな期待がかかる。だが、初級のストレートを果敢に打って出るも、浅いセンターフライに倒れてツーアウト。
万事休す。もう後がない、まさに崖っぷちの状況だ。「2番セカンド、井端」(中略)
絶体絶命の局面だが、心臓がばくばくするわけでもなく、プレッシャーは特に感じていなかった。ただいつも以上に考えて、打席に入るまでの間合いも長く取る。
その間に、ものすごい速さでいろいろなパターンを考える。頭の中は高速回転しているが、リラックスしようと深呼吸を何度もし、イメージしながら2.3回軽くスイングをして打席に入る。アンパイアも何も言わなかったし、台湾のピッチャーも陳鴻文も投げ急ぐ感じはなかったので、ゆっくり僕の間合いで打席に入ることができた。その分、頭の中できちんと考えを整理することもできた。
間違いなく自分の世界へ入っていた。今までに経験したことがない集中力だった。この境地に至ることができたのは、おそらくプロの第一線で1500試合以上出場している経験からだと思う。プレッシャーをまったく感じず、かといって気合いが入りすぎているわけでもない。

 

そして、もちろんブラジル戦での同点タイムリーについても描かれている。あのとき何を考えていたのか。打席のなかでどんなことを感じていたのか。あの試合を見ていただけではわからなかったことがすべて明らかになる。

本書を通じてあのとき味わったあの感動をもういちど感じるといいだろう。

 

yukiumaoka.hatenablog.com

 

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ひとりのホームレスの人生を変えた一匹のノラ猫《ボブがくれた世界 ぼくらの小さな冒険 ジェームズ・ボーエン》

ボブという名のストリート・キャット

ボブという名のストリート・キャット

 

「ボブという名のストリートキャット」

この本のキャッチコピーをひとりのホームレスの人生を変えた一匹のネコといえば、みなさんは興味を持ってくれるだろうか。

 

ーー主人公であるジェームズ・ボーエンさんは政府の支援を受けるホームレスのひとりだ。バスキング(路上演奏)で生計を立てているが、稼ぎは少なく、日々の生活は苦しい。さらに自身の身体はヘロイン中毒でそのリハビリを行う辛い毎日。そんなときに一匹のネコと出会うことになる。ある日、バスキングを終えたジェームズさんは自宅の階段に迷いネコがうずくまっていることに気づく。どうやら足をケガしているらしく、苦しそうだ。一大事だと思ったジェームズさんは、なけなしのお金を叩いて動物病院に連れていく。その後、飼い主を探すが、見当たらず、買うことを決意する。すると、急に不思議なことが次々と起こり出す...ボブがバスキングに付き合うようになってから、日に日に稼ぎが増え出していく。いったい何が起きているのか。ーー

 

「ボブという名のストリートキャット」は出版後、すぐにベストセラーとなり、さらには海外でも出版されることになった。イタリアでは「スパッソ・コン・ボブ(ボブとともに生きる喜び)」、ポルトガルでは「ミーニャ・イストリア・コン・ボブ(ボブとの物語)」とタイトルが付けられ、出版されている。合計26ヶ国語に翻訳されたという。

今回紹介する本はその続編だ。

 

ボブがくれた世界 ぼくらの小さな冒険

ボブがくれた世界 ぼくらの小さな冒険

 

 

続編である「ボブがくれた世界」では前作では描かれなかった出版にいたる経緯やバスキングを辞めて、ビッグイシューの販売員となったジェームズさんとボブの日常を描いている。ビッグイシューの販売員となるが、懐が寂しいのは変わらず、トラブルに巻き込まれることもしょっちゅうだ。しかし、そんな彼をいつも元気づけてくれるのはボブである。守らなければならない存在や自分のパートナーを持つ人間は強く、たくましい。

ベストセラーとなった「ボブという名のストリートキャット」だが、ついに映画化されることになった。日本での公開はまだ未定だが、ジェームズさんが住んでいるイギリスでは今年の11月4日に公開される。しかも猫はボブ本人が出演することに。つまり映画のスクリーンでボブを目にすることができるわけだ。日本での公開を楽しみにぼくは待っているとしよう。

 

ジェームズさんのtwitterアカウントはこちら

松井秀喜が教える日本人が知らない大リーグの鉄の掟と長嶋茂雄との一対一の素振り練習の秘密《エキストライニングス 僕の野球論 松井秀喜》

extra inning(エキストライニングス)日本語訳すると、延長戦。野球でいうと、9回以降の戦いのことを意味する。2015年4月10日のヤンキースvsレッドソックス戦で、十九回に及ぶ大延長戦があった。日本のプロ野球とは違い、大リーグでは決着がつくまで試合が行われる。

今回の所要時間は6時間49分、普段は3時間ほどなのでいつもより2倍の時間がかかったということだ。10日午後7時過ぎに始まり、翌日午前2時13分に終わったこの死闘を制したのはレッドソックスだった。

 

今回紹介する本のタイトルは松井秀喜の"エキストラ・イニングス"。「松井秀喜の延長戦?いったいどういう意味だ?」と思ったひともいるだろう。その疑問は第1章の冒頭で解消することができる。

 

2012年限りで選手生活に区切りをつけた。常に野球を第一に考えていた生活が終わり、ほっとした気持ちも、物足りなさもある。ただ引退という言葉は使いたくない。プレーをしなくても、野球からの引退はないと思っている。立場は変わっても、これまでと同じ緊張感を持ち、かつ視野を少し広めて野球に向き合いたい。僕がこれから臨むエキストラ・イニングスにお付き合いいただければと思う。

 

2012年12月28日、松井秀喜はニューヨークのホテルで記者会見を開き、現役を引退することを発表した。日本で10年、アメリカで10年プレーしたゴジラの異名をもつ男はついにユニフォームを脱ぐことになった。

そして、その記者会見で「現役時代で一番印象に残るシーンは?」と聞かれ、「長嶋監督とふたりきりで素振りしたことですかね」と答えたのは周知の事実だ。

巨人時代に2冠達成したことでもなく、50本の本塁打を打ったことでもなく、ワールドシリーズでMVPを取ったことでもなく、長嶋監督との素振りを挙げたのは、なんともまあ感慨深いものがある。

本書は、そんな松井秀喜が現役時代なにを考えていたのか、どんな思いを抱えながら野球に取り組んでいたのか、そんなことを綴ったものである。

第1章では、いままで出会った野球人について書かれている。ジョー・トーリー、デレク・ジーターイチロー長嶋茂雄落合博満高橋由伸。松井の目には彼らの姿がどう映っていたのか、そして彼らとどんな言葉を交わしたのか。そのなかでも、長嶋監督との素振りのエピソードはやっぱりおもしろかった。

 

球を打つことで生活しているプロ野球選手が球を使わない練習に明け暮れるのは、奇異に見えるかもしれない。だが実際に球を打たないからこそ、頭の中にイメージとしてある究極のスイングを求めて振り込める。目指したのはどんな球でも打てるスイング。並外れて鋭く、力強い振りができれば、極限まで球を引きつけられる。球がミートポイントに来てから振り始めても捉えられるような、鋭い振りをイメージした。

内外角、高低と一球ごとに打つべきポイントを監督がバットのヘッドで示す。そのポイントを狙って僕がバットを振り下ろすと、監督は2本がぶつかる直前に自分のバットをさっと引く。集中力が高まり、別の世界に入り込んだような表情でいつも僕のスイングを見ていた。

 

いい振りができたときは、球を捉えるはずのポイントでピュッと短い音がする。鋭い音が出るのは体のバランスが決まり、タイミング良くインパクトの瞬間にバットスピードが頂点に達したときだけだ。調子が悪くても単純で鋭い音を出すことはできる。ただフォームのバランスが悪いときは、それを何度も続けることができない。いい音を続けて出すのが大事で、そうなって初めて練習を終えることができた。逆にいい音が続くときは「よし」と、練習はすぐに終わった。

監督が指摘する音の違いを判断できるようになったのは、プロ4年目だった。一対一での練習を始めたのが2年目だったから、2年かかったことになる。最初はいい音が鳴ったと思っても監督に「まだだ」と言われ「そんなに違うかな」という感じだった。いったん感覚をつかんでからは、この音が選手生活を通じて自分の打撃を測る基準となった。

 

ちなみに大リーグでは素振り、つまりバットを振り込む練習をする選手はほとんどいない。打撃練習の順番を待っているときやネクストバッターズサークルで待っているときの準備運動やフォームチェックのために行うことはあるが、そういった練習方法は積極的に活用されていないらしい。

 

第2章では松井秀喜の野球論について書かれている。野球経験者や現役の野球人にとっては興味深い話となるだろう。ところで、松井秀喜の現役生活で最も多く打った打順はどこか分かるだろうか。

 

実は巨人で最も多く打ったのは719試合の3番で、4番は470試合でずっと少ない 。4番に座り続けるようになったのは8年目の2000年だった。僕自身は周りが思うほど打順を意識しなかったし、3番が嫌だったわけではない。ただ人が4番に特別なイメージを持ち、チームの柱に求めるなら、そうならなくてはと思った。(中略)

 

4番のイメージが強いが、じつはそうではない。そもそも巨人に在籍していたときには松井さんに劣らない強打者が並んでいた。落合博満清原和博江藤智、ペタジーニ。当時の巨人は、ほかの球団で4番に座ることができる選手らをたくさん抱えていたのだ。

ちなみにヤンキースでは5番に座ることが多かった。バーニー・ウィリアムスアレックス・ロドリゲス、マーク・テシェイラ、デレク・ジーター。こんな強打者らがいるなかで、5番に座っていたのかと思うと、「すげぇ」という言葉しかでてこない。

 

野球規則(ルール)やアメリカ特有の不文律なルールなどコアな野球ファン向けの話も書かれており、なかなか興味深い。

 

大リーグには野球規則にないルールがある。大差の試合で送りバントや盗塁をしない。派手なガッツポーズを見せない。ノーヒットノーランをバント安打で破らないなど、対戦相手との関係から生まれたものが多い。

何しろ不文律だから点差など状況に明確な線引きがなく、時にはチーム間で認識が食い違う。例えば5点リードの九回に盗塁をしたら、多くの場合は勝負に関係ない数字稼ぎと目される。では5点リードの七回はどうか。あるいは7点リードで五回だったら。などと微妙なラインはイニングと点差によって動く。(中略)

決まり事の中には単純に選手の態度を戒める類いもある。例えば「痛がらない」はその典型で、自打球が当たっても平静を装わなければいけないし、トレーナーも選手の痛みを分かっていながら簡単にグランドに出て来てくれない。弱みを見せるなというわけだ。

足元にファウルを打った選手が神妙な顔で打席の周りを歩いているのを、大リーグファンなら見たことがあると思う。選手はああやって静かに激痛に耐えることを求められている。

 

この不文律は、アメリカ人が考える野球選手の心得みたいなものだろう。野球選手とはこうあるべき!みたいな。しかし、明文化されていないところがやっかいなところで、この不文律は選手を縛り、破った者には制裁が加えられる。

有名なのはメッツにいた新庄剛志の例だ。メッツが大量リードの試合で、0-3(ゼロストライク、スリーボール)から新庄さんがヒッティングしたところ、翌日の試合で彼はデッドボールという形で報復を受けた。

近年だと、田中将大が三振を取ったときの派手なガッツポーズがヤンキースに移籍したときに懸念されていたが、ガッツポーズをしなくなったのか報復はまだ受けていない。

めんどくさいように見えるこの不文律だが、一方で美しい大リーグの精神も紹介されている。

 

ルールを超えた大リーグの精神をよく表しているのが、ビジターのクラブハウス制度だと思う。各球団にはビジターのロッカールームを専門に担当する職員がおり、敵をもてなすことを仕事としている。その職員の下にさらに数人の部下がいて、用具の管理はもちろん、食事の手配や必要な小物の調達、時には試合後に食事へ出かける選手の運転手役を買って出てくれたりもする。敵地で優勝を決めた場合、祝福のシャンパンファイトの用意や片付けをしてくれるのも相手球団の職員だ。

勝利だけを考えるなら、相手チームなど放っておけばいい。相手を劣悪な環境に置けば、自軍は有利になるはずだ。

だが大リーグの球団はそう考えない。最大の敬意を払って敵を丁重にもてなし、グランドでたたきのめす。文句の付けようがない、そういう勝ち方を目指すのが米国人が考える野球選手らしさなのであって、それは球団にも求められている。

 

ユニフォームを脱いだ松井秀喜の特大ホームランを見ることはもうできない。観客の歓声が大きく上がり、会場が盛り上がるあのホームランを見れないのは野球ファンとして寂しく感じる。

しかし、松井さんの野球生活は終わったわけではない。現在ヤンキースGM特別アドバイザーとして、マイナーリーグの選手の指導に日々追われているが、いつの日か松井監督と呼ばれる日が必ずくるだろう。それが大リーグなのか、日本のプロ野球なのかはわからない。しかし、その日が刻々と近づいているだろうし、多くの野球ファンがそれを待ち望んでいるのは言うまでもないだろう。