松井秀喜が教える日本人が知らない大リーグの鉄の掟と長嶋茂雄との一対一の素振り練習の秘密《エキストライニングス 僕の野球論 松井秀喜》
extra inning(エキストライニングス)日本語訳すると、延長戦。野球でいうと、9回以降の戦いのことを意味する。2015年4月10日のヤンキースvsレッドソックス戦で、十九回に及ぶ大延長戦があった。日本のプロ野球とは違い、大リーグでは決着がつくまで試合が行われる。
今回の所要時間は6時間49分、普段は3時間ほどなのでいつもより2倍の時間がかかったということだ。10日午後7時過ぎに始まり、翌日午前2時13分に終わったこの死闘を制したのはレッドソックスだった。
今回紹介する本のタイトルは松井秀喜の"エキストラ・イニングス"。「松井秀喜の延長戦?いったいどういう意味だ?」と思ったひともいるだろう。その疑問は第1章の冒頭で解消することができる。
2012年限りで選手生活に区切りをつけた。常に野球を第一に考えていた生活が終わり、ほっとした気持ちも、物足りなさもある。ただ引退という言葉は使いたくない。プレーをしなくても、野球からの引退はないと思っている。立場は変わっても、これまでと同じ緊張感を持ち、かつ視野を少し広めて野球に向き合いたい。僕がこれから臨むエキストラ・イニングスにお付き合いいただければと思う。
2012年12月28日、松井秀喜はニューヨークのホテルで記者会見を開き、現役を引退することを発表した。日本で10年、アメリカで10年プレーしたゴジラの異名をもつ男はついにユニフォームを脱ぐことになった。
そして、その記者会見で「現役時代で一番印象に残るシーンは?」と聞かれ、「長嶋監督とふたりきりで素振りしたことですかね」と答えたのは周知の事実だ。
巨人時代に2冠達成したことでもなく、50本の本塁打を打ったことでもなく、ワールドシリーズでMVPを取ったことでもなく、長嶋監督との素振りを挙げたのは、なんともまあ感慨深いものがある。
本書は、そんな松井秀喜が現役時代なにを考えていたのか、どんな思いを抱えながら野球に取り組んでいたのか、そんなことを綴ったものである。
第1章では、いままで出会った野球人について書かれている。ジョー・トーリー、デレク・ジーター、イチロー、長嶋茂雄、落合博満、高橋由伸。松井の目には彼らの姿がどう映っていたのか、そして彼らとどんな言葉を交わしたのか。そのなかでも、長嶋監督との素振りのエピソードはやっぱりおもしろかった。
球を打つことで生活しているプロ野球選手が球を使わない練習に明け暮れるのは、奇異に見えるかもしれない。だが実際に球を打たないからこそ、頭の中にイメージとしてある究極のスイングを求めて振り込める。目指したのはどんな球でも打てるスイング。並外れて鋭く、力強い振りができれば、極限まで球を引きつけられる。球がミートポイントに来てから振り始めても捉えられるような、鋭い振りをイメージした。
内外角、高低と一球ごとに打つべきポイントを監督がバットのヘッドで示す。そのポイントを狙って僕がバットを振り下ろすと、監督は2本がぶつかる直前に自分のバットをさっと引く。集中力が高まり、別の世界に入り込んだような表情でいつも僕のスイングを見ていた。
いい振りができたときは、球を捉えるはずのポイントでピュッと短い音がする。鋭い音が出るのは体のバランスが決まり、タイミング良くインパクトの瞬間にバットスピードが頂点に達したときだけだ。調子が悪くても単純で鋭い音を出すことはできる。ただフォームのバランスが悪いときは、それを何度も続けることができない。いい音を続けて出すのが大事で、そうなって初めて練習を終えることができた。逆にいい音が続くときは「よし」と、練習はすぐに終わった。
監督が指摘する音の違いを判断できるようになったのは、プロ4年目だった。一対一での練習を始めたのが2年目だったから、2年かかったことになる。最初はいい音が鳴ったと思っても監督に「まだだ」と言われ「そんなに違うかな」という感じだった。いったん感覚をつかんでからは、この音が選手生活を通じて自分の打撃を測る基準となった。
ちなみに大リーグでは素振り、つまりバットを振り込む練習をする選手はほとんどいない。打撃練習の順番を待っているときやネクストバッターズサークルで待っているときの準備運動やフォームチェックのために行うことはあるが、そういった練習方法は積極的に活用されていないらしい。
第2章では松井秀喜の野球論について書かれている。野球経験者や現役の野球人にとっては興味深い話となるだろう。ところで、松井秀喜の現役生活で最も多く打った打順はどこか分かるだろうか。
実は巨人で最も多く打ったのは719試合の3番で、4番は470試合でずっと少ない 。4番に座り続けるようになったのは8年目の2000年だった。僕自身は周りが思うほど打順を意識しなかったし、3番が嫌だったわけではない。ただ人が4番に特別なイメージを持ち、チームの柱に求めるなら、そうならなくてはと思った。(中略)
4番のイメージが強いが、じつはそうではない。そもそも巨人に在籍していたときには松井さんに劣らない強打者が並んでいた。落合博満、清原和博、江藤智、ペタジーニ。当時の巨人は、ほかの球団で4番に座ることができる選手らをたくさん抱えていたのだ。
ちなみにヤンキースでは5番に座ることが多かった。バーニー・ウィリアムス、アレックス・ロドリゲス、マーク・テシェイラ、デレク・ジーター。こんな強打者らがいるなかで、5番に座っていたのかと思うと、「すげぇ」という言葉しかでてこない。
野球規則(ルール)やアメリカ特有の不文律なルールなどコアな野球ファン向けの話も書かれており、なかなか興味深い。
大リーグには野球規則にないルールがある。大差の試合で送りバントや盗塁をしない。派手なガッツポーズを見せない。ノーヒットノーランをバント安打で破らないなど、対戦相手との関係から生まれたものが多い。
何しろ不文律だから点差など状況に明確な線引きがなく、時にはチーム間で認識が食い違う。例えば5点リードの九回に盗塁をしたら、多くの場合は勝負に関係ない数字稼ぎと目される。では5点リードの七回はどうか。あるいは7点リードで五回だったら。などと微妙なラインはイニングと点差によって動く。(中略)
決まり事の中には単純に選手の態度を戒める類いもある。例えば「痛がらない」はその典型で、自打球が当たっても平静を装わなければいけないし、トレーナーも選手の痛みを分かっていながら簡単にグランドに出て来てくれない。弱みを見せるなというわけだ。
足元にファウルを打った選手が神妙な顔で打席の周りを歩いているのを、大リーグファンなら見たことがあると思う。選手はああやって静かに激痛に耐えることを求められている。
この不文律は、アメリカ人が考える野球選手の心得みたいなものだろう。野球選手とはこうあるべき!みたいな。しかし、明文化されていないところがやっかいなところで、この不文律は選手を縛り、破った者には制裁が加えられる。
有名なのはメッツにいた新庄剛志の例だ。メッツが大量リードの試合で、0-3(ゼロストライク、スリーボール)から新庄さんがヒッティングしたところ、翌日の試合で彼はデッドボールという形で報復を受けた。
近年だと、田中将大が三振を取ったときの派手なガッツポーズがヤンキースに移籍したときに懸念されていたが、ガッツポーズをしなくなったのか報復はまだ受けていない。
めんどくさいように見えるこの不文律だが、一方で美しい大リーグの精神も紹介されている。
ルールを超えた大リーグの精神をよく表しているのが、ビジターのクラブハウス制度だと思う。各球団にはビジターのロッカールームを専門に担当する職員がおり、敵をもてなすことを仕事としている。その職員の下にさらに数人の部下がいて、用具の管理はもちろん、食事の手配や必要な小物の調達、時には試合後に食事へ出かける選手の運転手役を買って出てくれたりもする。敵地で優勝を決めた場合、祝福のシャンパンファイトの用意や片付けをしてくれるのも相手球団の職員だ。
勝利だけを考えるなら、相手チームなど放っておけばいい。相手を劣悪な環境に置けば、自軍は有利になるはずだ。
だが大リーグの球団はそう考えない。最大の敬意を払って敵を丁重にもてなし、グランドでたたきのめす。文句の付けようがない、そういう勝ち方を目指すのが米国人が考える野球選手らしさなのであって、それは球団にも求められている。
ユニフォームを脱いだ松井秀喜の特大ホームランを見ることはもうできない。観客の歓声が大きく上がり、会場が盛り上がるあのホームランを見れないのは野球ファンとして寂しく感じる。
しかし、松井さんの野球生活は終わったわけではない。現在ヤンキースGM特別アドバイザーとして、マイナーリーグの選手の指導に日々追われているが、いつの日か松井監督と呼ばれる日が必ずくるだろう。それが大リーグなのか、日本のプロ野球なのかはわからない。しかし、その日が刻々と近づいているだろうし、多くの野球ファンがそれを待ち望んでいるのは言うまでもないだろう。