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WBCの終焉。イチローではじまり、イチローでおわった《WBCに愛があった 三塁コーチが見た侍JAPANの知られざる感動秘話 高代延博》

WBCに愛があった。三塁コーチが見た侍JAPANの知られざる感動秘話

WBCに愛があった。三塁コーチが見た侍JAPANの知られざる感動秘話

 

WBCの幕開け

WBC、通称ワールドベースボールクラシック。第一回大会、第二回大会と優勝した侍ジャパン。なぜあのとき日本は優勝できたのか。本書はその舞台裏をWBCの三塁コーチを務めた高代延博さんが語る内容となっている。

ぼくはWBCの物語はイチローにはじまり、イチローで終わったと思っている。2006年に開催された第一回大会で、イチローはこう言った。

 

王監督が世界に出て、ユニフォームを着て、日本代表として指揮をとるわけですから、王監督に恥をかかすわけにはいかない。ぼくは、世界の王選手を、世界の王監督にしたい。」

 

王さんが達成した868本のホームランは、前人未到の世界記録だ。だからこそ、世界の王貞治と言われている。しかし、選手として世界を獲っていても、監督として世界を獲ったわけではない

王監督をリスペクトし、本気で世界一の監督にしたいと思ったイチローだからこそ出てきた言葉だ。ぼくは、これが日本のWBCの幕開けだと思っている。

 

第一回大会でのイチローのリーダーシップ

WBCは、各球団から集められたスター選手で構成された夢のようなチームだ。だが、スター選手の集まりだからといって、そのチームが強いわけではない。

チームは足し算で、だれかマイナスのものがいれば、それだけ戦力は下がる。しかも、スター選手が集まっているわけだから、その分プライドが高い選手が多い。

その選手たちをひとつにまとめたのがイチローだ。WBCの全体練習第一回目、まだ皆WBCへのスイッチはこれから入れていくというところで、ダラっとした空気感がチームに漂っていた。

初日の練習のしょっぱなはベースランニング。そのベースランニングの先頭を切って、全速力で駆け抜けたのがイチローだった。

イチローが全力で走ったら、ほかの選手も手を抜くわけにはいかない。王監督は、このときチームがひとつにまとまったと確信したという。

そして、見事第一回WBCを優勝する。王監督が胴上げされ宙に舞った。世界の王選手が、世界の王監督になった歴史的瞬間だった。

王監督の号令に、イチローがかけつけ、イチローが感情むき出しにしてチームを引っ張った。安打製造機といわれ、グランド上でいつも冷静沈着なイチローの姿とはかけ離れていたのはだれの目にも明らかだった。

 

バッシングを受けるイチロー

だが、第二回大会は第一回大会とちがった。チームリーダー、みんなの精神的支柱のイチローが打てない。しかもチームの皆の打撃は好調なのに、イチローの調子だけが悪かった。いつも試合にスタメンとして名を連ねているのに、チームのだれよりヒットが打てない。

当時の2chのスレッドでかわされた言葉をよくおぼえている。「ゴロロー(ゴロばっかうつから)」「イチロー変えろ」「春のイチローはダメって知らないの?」「 WBCA級戦犯

そんな言葉が飛び交っていた。また、メディアも連日イチローを叩く報道が相次いだ。

しかし、チームの皆だれひとりとしてイチローを変えるという選択肢は浮かばなかったという。

 

しかし、大会を通じて、一度としてイチローをスタメンから外そうというような意見は出なかったし議論にすらならなかった。正直、私は、緒方外野守備走塁コーチと並んで守備位置をチェックしながら「イチローはどうなっとるんやろう」と話をしたことはあった。しかし、監督は、絶対的に信頼をしていたし、心中してもいいくらいの心積もりだった。

「そのうち打つよ。そういう男だよ」原監督は、いつもそう言っていた。

 

なぜなのか。それは、イチローがどんなときでも変わらない姿でいたからだ。自分が打てなくても、どれだけ叩かれても、チームのなかで一番声を出し、だれよりも練習に一番早くに来て、試合に向けた準備をする。

イチローの過去の実績が試合に出場できていた理由じゃない。どんなときでも、変わらず野球に対して真摯に向かい合っている姿を、監督が、コーチが、チームが見ていたから試合に出場しつづけることができたのだ。

あの伝説の打席

そして、あの伝説のシーン。

3ー3。日本の攻撃、10回表、2死二塁三塁。マウンドには、韓国の絶対的守護神イム・チャンヨン。打席には、打撃不調のイチロー。すぐに2ストライクをとられる。しかし、ファールでねばるイチロー。どんどんイチローが、日本が追い込まれていく。カウントは2ストライク、2ボール。試合の流れはあきらかに韓国側に流れている。

そして、運命の8球目。外角いっぱいのストレートをセンター前へ!実況はこういった「これが、みんなが待っていたイチローの姿です!」

実況の放った言葉は、イチローファンの言葉を代弁していた。あの打席は皆「イチローなら、、イチローならなんとかしてくれる。。。」と願っていたはずだ。そして、売った瞬間だれもが「イチロー!」と歓喜あふれたはずだ。

このときのことをよくおぼえている。打った瞬間ひとりで大はしゃぎした。なんか「うおーーー、イチロおおおおー」とか叫んで、おかんに「うっさい」っていわれた、たしか。

 

イチローを支えた若き侍たち

第一回大会では、イチローがみんなを引っ張った。でも、第二回大会ではちがった。イチローをみんなが支えた。イチローが不調ということで、若いチームメイトたちが支えたのだ。

イチローは、いつもストッキングを長くだすスタイル(ユニフォームのズボンの裾をめくる感じ。高校球児がよくやっているスタイル)

 

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多くの選手は下記の選手みたいにユニフォームのズボンの裾をめくらずストッキングを出さない。

 

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控えの選手だった亀井は、イチローの不調をみてイチローに無言のエールをおくるために立ち上がった。同年代の内川、片岡、最年長の稲葉に声をかけ、イチローと同じストッキングを長く見せるスタイルにして、無言のエールを送った。

ちなみに後日談で、じつはこのことにイチローは気づいていたらしい。といっても「あれ、なんかみんな今日ちょっと違う、、」という程度だったらしい。だから、後輩たちがイチローを励ますためにそういうことをしていたとはわからなかったという。そして、その話を後日聞いたときにいたく感動していた。

 

結果が出ないときでも変わらないイチローの姿

この苦しい時期を見ていた高代さんはイチローの姿をこう語る。

2年前のWBCではイチローはミーティングに参加しなかったことがあると聞いていた。だが、今回イチローは、誰よりも先に来て着席し、後輩たちが、毎日、日替わりのように「昨日は、ご馳走様でした」とお礼を言って、彼の前を通りすぎるのを見ていた。

それも仲のいい川崎や青木だけじゃない。いつも、違う顔ぶれが、お礼を言うのである。イチローはそんな風に若手をフォローし、勝つために何をすべきかをチームに植えつけていった。

だが、自らのバットは湿ったままだった。有言不実行ほど辛いものはない。あのペトコパークのロッカーで、何か物思いにふけるように無言で一点をジーと見続けていた孤独な背中を私は見た。

イチローを勇気づけようと何人かの野手がイチローと同じようにストッキングをひざ下まで上げていたことも知っていた。侍JAPANイチローJAPANと呼ぶものもいた。彼が背負っていたものは、地球一個分くらいの重さがあったのかもしれない。だが、彼は一度として心を折らなかった。だから、私は、この瞬間、こう思った。

神が舞い降りたのではない。イチローが神を引っ張り舞い降りさせたのだ。

 

あのとき、あの舞台裏でなにがあったのか。ベンチではどんな作戦が立てられていたのか。そして、伝説のあのイチローの打席、それらがありありと書かれている。あのときの感動があなたの元にもどってくるのは間違いない。

 

WBCに愛があった。三塁コーチが見た侍JAPANの知られざる感動秘話

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