読書めも

読んだ本の感想をぼちぼち書いてます

村上春樹に届いた3万7465通の手紙《村上さんのところ 村上春樹》

2015年1月15日〜5月13日の間に公開されたWebサイト『村上さんのところ』は累計1億PVを突破したという。届いたメールの数は全部で3万7465通。これらを村上春樹がすべて目を通し、さらに3716通の返事を書いた。

村上さんの話によると、3ヶ月間ほかの仕事はまったくできない状態で、肩は痛いわ、目は痛くなるわ、最終的には身体がフラフラになったという。そして、その3716通から選ばれた473通のやりとりが本書に掲載されている。

 

村上さんのところ

村上さんのところ

 

 

村上さんのところ』を読んだ。ぼくはハルキスト(村上春樹のファン)ではないのだけど、普通にたのしく読むことができた。というのも村上さんの回答がいちいちユニークだったからだ。そのなかの3つのメールがすごく印象にのこっている。

さて、かばんに何を入れようか

Q:人生なんてガラクタだと最近思います。親に言われるから勉強をし、人から嫌われたないために世間体を気にし、結局僕って何?人生って何?と最近つくづく思います。思春期だからなどという問題ではありません。春樹さんは人生をどう捉えていますか?(レンポン、男性、17歳、高校生)

 

とてもむずかしい質問です。僕は基本的に、人生とはただの容れ物だと思っています。空っぽのかばんみたいなものです。そこに何を入れていくか(何を入れていかないか)はあくまで本人次第です。だから「容れ物とは何か?」みたいなことを考え込むよりは、「そこに何を入れるか?」ということを考えていった方がいいと思います。

勉強なんていらないやと思えば、勉強なんてかばんに入れなければいいし、世間体なんてかばんに入れなければいい。でもそこまでするのもけっこう面倒かも、と思えば、「最低限の勉強と世間体」といちおうお義理に入れておいて、あとは適当にやっていけばいいんです。よく探せば、きみのまわりに、きみのかばんに入れたくなるような素敵なものがいくつか見つかるはずです。探してください。繰り返すようだけど、大事なのは容れ物じゃなくて、中身です。「人生とは何か?」みたいなことは、そんなに真剣に考えてもしょうがないと僕は思うんだけどね。コンテンツのことを考えよう。

 

「人生とはなんぞや?」みたいな漠然とした問いに向き合うのではなく、人生は容れ物と仮定し、その中身をどうするかをじぶんの頭で考える。非常にわかりやすく、納得させられる返事だ。

たぶん質問者のひとは両親や先生にこの質問をぶつけたことがあるのだろう。というのも後半に"思春期だからなどという問題ではありません"と書かれているからだ。きっとだれかに「思春期だからそういうことを考えるのだよ」と言われたのだろう。

だからこそ村上さんは人生とは何か?という質問に明確な答えを用意し、さらにそこを考えるよりも、なにを選んでなにを捨てるのかが大事なんだ、というメッセージを発したのかなぁとも思ったり。... ...いや、考えすぎか。

 

つまらない文学よりビジネス書を読め!

Q:先日、仕事場の休憩中に村上さんの小説を読んでいたら、そこに顔を出した社長に「つまらない文学を吸収する暇があったらビジネス書を読め!」と叱責されました。この社長は3年前に親会社から出航で単身赴任で小会社の社長になった一言でいうと「エリート」なのです。

そうも言いながら毛嫌いせずにつきに一度はプライベートで酒を酌み交わす程度の仲は築いてあるので、率直に「社長は村上春樹の小説を読んだことはあるのですか?」と聞いたところ「国内の純文学などには興味は無い」と言い出す始末。

私もビジネス書も年間50冊以上は読みますし、同じくらいの小説やエッセイを読みます。

趣味嗜好は音楽においてもありますから、そう否定はしないものの、この堅物発言には腹が立ったので「無駄(エンターテイメント)な知識も人生においてはウイスキーのような嗜好品」として必要だと反論すると「酒は最終的には全部流れる」などとまるで文学に出てきそうな台詞で反論するこの社長。

文学作家の方からして、いかがなものでしょうか?(クロネコヤマト、男性、34歳、会社員)

 

そうですか。たしかに文学ってあまり実際的な役には立ちません。即効性はありません。実におたくの社長のおっしゃるとおりです。言うなれば、なくてもかまわないものです。そして実際にこの世界には、小説なんて読まないという人がたくさんいます。というか、むしろそういう人の数の方がずっと多いかもしれません。

でも僕は思うんですが、小説の優れた点は、読んでいるうちに「嘘の検証する能力」が身についてくることです。小説というのはもともとが嘘の集積みたいなものですから、長いあいだ小説を読んでいると、何が実のない嘘で、何が実のある嘘であるかを見分ける能力が自然に身についてきます。これはなかなか役に立ちます。実のある嘘には、目に見える真実以上の真実が含まれていますから。

ビジネス書だって、いい加減な本はいっぱいありますよね。適当なセオリーを都合良く並べただけで、必要な実証がされていないようなビジネス書。小説を読み慣れている人は、そのような調子の良い、底の浅い嘘を直感的に見抜くことができます。そして眉につばをつけます。それができない人は、生煮えのセオリーをそのまま真に受けて、往々にして痛い目にあうことになります。そういうことってよくありますよね。

(結論)小説はすぐには役に立たないけど、長いあいだにじわじわ役に立ってくる。

 

ちょっと耳が痛い話だった。というのも「小説は読んでも意味ないし、ビジネス書もしくはノンフィクションしか読まない」という時期がぼくにもあったからだ。ノンフィクションやビジネス書は実世界で起きたことを題材としている。だから、本を通じてそれを疑似体験し、それを吸収することで、じぶんが成長するだろうと当時は考えていたからだ。

いまはそんなこと微塵も思っていないけど、当時この返事を見たらどんなふうに思うのか。反論するのか、それとも納得するのか、気になるところではある。

 

知りたい知識しか勉強したくありません

Q:学校に行くことにはどんな価値があるかと思いますか。学校に行かないと欠落してしまうものはあると思いますか。私は自分の好きなことができない学校が嫌いです。日々が課題やテスト勉強で埋め尽くされるのにうんざりです。テストによって自分が記憶することを操作されるのがいやです。自分が記憶したいことを選びたいし、記憶する必要がないことを無理やり頭に入れたくありません。学校で勉強していても全然楽しくないです。私は大学には行かずに、自分の好きな場所で自分の知りたい知識だけを本などで学びたいと思っています。

 

きみの言いたいことはよくわかります。学校ってほんとに面倒なところですよね。僕もそう思います。勉強はつまらないし、規則はうるさいし、問題のある教師はいるし。僕は女の子に会いたくて、それで学校に行っていたようなものです。あとは麻雀のメンバーを探す目的もあったし。

きみの言い分はもっともだけど、でも「自分の好きな場所で自分の知りたい知識だけ」を学んでいても、それはそれで飽きちゃいますよ。大事な知識を得るには、けっこう「異物」みたいなものが必要なんです。そういうものがないと、同じところをぐるぐるまわっているみたいなことになりかねません。一度大学に行ってみたら?大学もつまらないかもしれないけど、いちおう自分の目でつまらなさを確かめてみて、それからやめるのならやめれば?と僕は思いますけど。

 

「異物」が必要というのは分かるなぁ。たとえが正しいのかわからないけど、最高の松坂牛を毎日食べているとたまに豚肉が食べたくなる。豚肉を食べると松坂牛の味を確認できる。松坂牛が当たり前になるといつか飽きてしまう。

きっと「異物」の存在が好きなものの存在を気づかせてくれたりするんだろう。

 

村上さんのところ コンプリート版

村上さんのところ コンプリート版

 

コンプリート版は、 村上さんが返事をだした3716通すべてを見ることができる。ハルキストならば、買いだろう。