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プロ野球の用具係大変すぎワロタww《用具係 入来祐作〜僕には野球しかない〜》

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「ぼくのポジションはベンチです!」

野球経験者ならば、一度は耳にしたことがあるだろう。補欠のひとがじぶんのポジションを自虐ネタっぽく言うときによく使うことばだ。「ベンチ守ってます!」「ベンチ温めてます!」ともいう。

だが、ベンチを守るとひとえにいっても、補欠にはいろいろとやらなければならないことがある。

バッターが打ったあとのバットを片づける「バット引き」、ファールボールや場外に消えたボールを拾いにいく「ボール拾い」、自チームの攻撃が終了し、最後のバッターと塁上のランナーにグローブを渡しにいく「グラブ渡し」自チームや相手チームの資料として記録する「スコア係」。

これらはあくまでも一例だが、すべて補欠の仕事だ。試合前の準備や試合後のあとかたづけも補欠が担当しなければならない。そして、こういった仕事はアマチュアに限らず、プロ野球の世界にも存在する。

ただし、プロ野球の世界では、補欠がこういったことはしない。球団職員である用具係のひとが担当する。この用具係というのがたいへんキツイ仕事だ。本書は、その用具係としてはたらく元プロ野球選手の自伝的エッセイだ。

 

用具係 入来祐作 ~僕には野球しかない~

用具係 入来祐作 ~僕には野球しかない~

 

 

著者は、巨人軍で上原浩治桑田真澄らと肩を並べ、さらにはメジャーリーグも経験、そして、用具係の道を歩むことになった入来祐作

そもそも、具体的に用具係とはどんな仕事なのだろうか。

 

・シーズン中も含め、球団が関連するあらゆる野球用具の予算管理

・キャンプで使うすべての用具の発注や準備、移動、輸送(航空便)の手配など

・チームの練習スケジュールを把握し、毎日それに合わせた用具の準備を行う

・練習中はキャッチボールの相手や、守備練習の補給役も務める

・練習終了後の片づけから、翌日の練習の準備など

・チーム練習の2時間前にはグランド入りし、試合や練習で使う道具の準備

ブルペンの設営や、バッティングマシンのセッティングなどを行う

・試合中は、練習で使用したボールを確認し、使えるものと使えないものとに選別。使えるものはボールクリーナーにかけてキレイに磨く

・試合中のスライディングでユニフォームが破けたり、ベルトが切れたりしたときの対応

・選手のユニフォームやアンダーシャツの洗濯について、毎日のように業者と打ち合わせ

 

これらはあくまでも一例だ。もっと膨大な仕事量を用具係はさばかなければならない。

全体的に力仕事が多いため、丈夫な身体と充分な体力が必要である。しかも、用具の管理だけでなく、用具の調達や輸送の手配などもあるので、段取りよく作業を進める力も求められる。

予測がつかないトラブルも多く、なにか不備があれば用具係の責任になる。しかも、給料は現役時代の20分の1。巨人で活躍していた入来さんにとっては精神的にキツイものがあったはずだ。

 

ところで、巨人軍で13勝も挙げたことがある選手がなぜ用具係に身をささげることになったのか。

まずは、入来さんの経歴をみてみよう。

 

PL学園亜細亜大学本田技研→巨人→日本ハム→ニューヨークメッツ→横浜ベイスターズ

名門PL学園に入り、その後も常にアマチュア球界でエースとして君臨。24歳のときにドラフト1位で巨人に入団。5年目には、自身キャリアハイである13勝を挙げ、長島政権の先発柱となる。その後、日本ハムにすすみ、メジャーリーグに挑戦。メジャーから帰国後、横浜でプレーするが、翌年戦力外通告を受ける。

 

目を惹くのはやはり、巨人時代に挙げた13勝だろう。しかも、この年は上原浩治桑田真澄、メイ、斎藤雅樹といった巨人軍が誇る名投手らが在籍しており、入来さんはその先発陣の一角を担っていたのだ。

そんな入来さんだが、メジャーに挑戦するも、結果を出せず帰国。横浜でプレーすることが決まったが、十分な成績をのこすことができなかった。これは、アメリカに渡り自分の限界を知ったからだという。

 

とにかく野球選手としては「逃げ場のないほど打ちのめされた2年間」だったと言えます。

私は日本のプロ野球界でも、決して体の大きい方ではありませんでした。それでもアメリカに渡る前、日本にいた9年間は、プロ野球選手としてのアベレージを超える結果を残すことができていたと思います。少なくとも、十分に戦えていました。

しかし、アメリカに行ったらまるで歯が立たないという現実を、その2年間で見せつけられました。それを経験してから「もう一度、日本で野球をしよう」となると、頑張らなければいけないと頭ではわかっていても、どうしてもモチベーションが上がりません。「自分の限界を見せつけられた思い」とでも言えるでしょうか。

 

つまり、入来さんはアメリカに行ったことで、選手として燃えつきてしまったのだ。燃えつきてしまった選手が活躍できるほど、プロ野球の世界はあまくない。横浜で結果をのこせず、戦力外通告を受ける。

なんとか野球に携わる仕事をしたいと思い、横浜でバッティングピッチャーとして雇われることになる。しかし、このバッティングピッチャーの仕事が思いもよらぬ苦痛を味わうことになる。

 

「死ぬかと思った...。これがバッティングピッチャーか...」それがキャンプ初日の、正直な感想でした。

バッティングピッチャーとしてのメインの仕事は、選手たちの打撃練習のためにボールを投げることです。(中略)バッティングピッチャーとして選手たちに投げる時間は、1日およそ30分程度です。その時間内は、チームに帯同しているバッティングピッチャー全員が、次々と入れ替わる選手たちに向かって、ひたすらストライクを投げ続けます。

こう書くとたいしたことがないように思えるかもしれませんが、現役時代との大きな違いが二つあります。

 

一つは投球のペースです。およそ1分間に5〜6級のペースでボールを投げ続けるのです。この計算だと、30分で150球以上をキャッチャーミットに向かって放り込むことになります。つまりは1試合9イニング完投する以上の球数を、わずか30分で投げるのです。

しかも、自分の意思では止めることができません。選手たちが満足してフリー打撃を終えるまで、ひたすら全身汗まみれで投げ続けることになります。現役時代のキャンプで投げ込みをしたときの疲労度など、かわいいものです。

そしてもう一つ大きく異なるのは、投球に対する気持ちです。バッティングピッチャーは当然、ただひたすら「打者に気持ちよく打ってもらうこと」ですだけを考えながら投げ続けます。この「打たれるために投げ続ける」という行為は、選手のころに「打たれないためにはどうすべきか」だけを考え続けてきたのと、まさに真逆です。これは正直、精神的にとてもキツかった。

 

いままで自分のペースで、自分の好きな球をキャッチャーミットめがけて投げてきた。が、今度は自分のペースどころか、自分の意思に関わらず投げ続けなければならない。しかも、相手を抑えるピッチングをするのではなく、相手がいかに気持ちよく打てるように投げなければならない。

ケンカ投法といわれた闘志むきだしのピッチングスタイルだった入来さんにとって、この仕事は地獄だった。

そしてついに、入来さんはバッティングピッチャー失格となり、球団から2軍の用具係を命じられる。

と、まあこういう流れで用具係としてはたらくことになるわけなんだけど、現在の入来さんは用具係をもうやっていない。やっていないというと、「キツイ仕事に耐えきれず辞めたのか!」と思うかもしれないが、そうではない。

現在、ソフトバンクホークスで2軍投手コーチを務めている。この話は、工藤公康監督から直々のオファーだった。工藤さんが解説者として各チームのキャンプを取材していたときに、横浜で用具係として献身的にはたらく入来さんの姿を見ており、コーチとしてスカウトしたのだ。

こうして、2015年にソフトバンクの3軍投手コーチに就任し、今年から2軍の投手コーチに。入来さんの第二の野球人生はまだはじまったばかり。スター選手から裏方になり、そしてふたたびユニフォームを着て野球界にもどってきた。入来さんの今後はどうなるのか。彼の今後に注目してゆきたい。

用具係 入来祐作 ~僕には野球しかない~

用具係 入来祐作 ~僕には野球しかない~