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「ドーピングは皆やっている」元自転車王の親友の告白《シークレット・レースーツール・ド・フランスの知られざる内幕》

シークレット・レース―ツール・ド・フランスの知られざる内幕 (小学館文庫)

シークレット・レース―ツール・ド・フランスの知られざる内幕 (小学館文庫)

 

ツール・ド・フランス

 

夏季オリンピック、サッカーのW杯につづく世界で3番目に大きい大会だ。毎年7月に開催され、出場する選手は、約3週間にわたって3500キロの道のりに挑戦する。世界各国の強者たちがこの過酷なレースに集結し、フランスの街並みは多くの観客であふれ、たくさんの黄色い声援が飛び交う。

だが、そんなツール・ド・フランスには別の呼び名があるのを知っているだろうか。

 

ツール・ド・ドーピング。

 

これは、ツール・ド・フランスで毎年のようにドーピングを行う選手が摘発されていることを皮肉った言い方だ。

ここ数年で薬物検査の制度が高くなり、規則が厳格に適用されるようになった。さらには「生体パスポート」と呼ばれるプログラムが開発され、選手はドーピングに手を出すことが極めてむずかしくなった。

だが、現在でも検査機関の目を盗み、ドーピングは行われている。本書のプロローグで、かつてドーピングを駆使し、オリンピックで金メダルを取ったタイラー・ハミルトンはこう語る。

 

「検査は簡単にごまかせる。僕たちは検査のはるかに先を行っていた。検査側には医師がいる。だが、我々の間には、もっと優秀な医師がいた。検査側の医師よりも、高い報酬を得ている医師だ。それに国際自転車競技連盟(UCI)は、一部の選手が摘発されるのを望んではいなかった。UCIにいろいろと都合の悪いことが生じるからだ」

 

のちに明らかにされるが、ドーピングは組織ぐるみでやっていたことがほとんどだった。さらには、選手を取りまとめるUCIが一部のスター選手からお金をもらい、その見返りとして、抜き打ちのドーピング検査が行われることを事前に漏らしていたことも発覚する。

そして、ここ数年で、ジョージ・ヒンカピーフロイド・ランディス、ケビン・リビングストン、ビャルヌ・リース、ヤン・ウルリッヒといった自転車競技におけるスター選手たちがいままで否定しつづけてきたドーピング疑惑を次々と認めた。

 

2013年1月にはランス・アームストロングまでもが、ドーピングを行っていたことを告白。何十年と自身のドーピング疑惑を否定しつづけてきた男がついに真実を口にした。そして、彼が手にしていたツール・ド・フランス7連覇という前人未到の称号は剥奪された。

 

 

以前、アジア大会の競泳部門で、多くのドーピング違反者が続出し、23個のメダルが剥奪されたことについて書かれた本『汚れた金メダル』を読んだ。そのときドーピングがこんな日常的に行われているものだということをはじめて知った。

だが、今回はそれ以上だった。ドーピングをしていないほうがおかしいと感じるほどで、ドーピングをしていない人の方が少数派なのだ。しかも、ドーピングをしないと勝負に勝つことはできない。つまり、ドーピングは必須条件なのだ。

 

本書は、かつてランス・アームストロングと共におなじチームで汗を流し、アテネオリンピックで金メダルを獲得したタイラー・ハミルトンが自転車業界の闇を赤裸々に告白した暴露本だ。

500ページにわたって自分の半生と自転車業界のドーピング問題、そしてランス・アームストロングについて書かれている。

そもそも、なぜ自転車業界でこんなにもドーピングの摘発がされるのか。

 

なぜ、ドーピングがツール・ド・フランスのように三週間もかけて行われるロードレースで多く使われるのかという疑問を持つ人は多い。その答えは簡単だ。

レースが長くなるほど、ドーピング、特にEPOが効果を発揮するからだ。原理はこうだ。

 

三週間のレース期間、一度もドーピングを使わなければ、ヘマトクリット値は週に2ポイント、合計6ポイント低下する。これは「スポーツ貧血」と呼ばれる作用だ。ヘマトクリット値が1%低下すると、パワーも1%低下する。

つまり、もし「グランドツール」と呼ばれるツール・ド・フランスのような三週間のレースにドーピングなしで挑み、赤血球を増やすための手段を何も講じなければ、パワーは三週目には約6%低下する。ロードレースでは、1%未満のパワーの差が勝敗を分ける。6%の差がいかに大きいかがわかるはずだ。

 

つまり、短いレースにおいてドーピングは、とくに効果を示さないが、長いレースになればなるほど、その効果は顕著に現れるということだ。

では、一方でドーピングに手を出さなかったクリーンな選手はいなかったのだろうか。タイラー・ハミルトンのチームメイトであり、チームの兄貴的存在だったスコット・メルシエはクリーンな選手のひとりだ。

いったいなぜ、スコットはドーピングに手を出さなかったのか。

 

スコット・メルシエ:それまで、チームドクターから採血を求められたことは一度もなかった。だから戸惑いを感じた。それでも、ヘマトクリット値を上げるためには、EPOを注入するか、血液ドーピングをするしかないことは知っていた。(中略)

 

ヨーロッパでは、注意して周囲を観察した。私は、EPOは冷蔵して保管しなければならないことも知っていた。予想通り、チームメカニックのトラックには冷蔵庫があった。もちろん、飲み物や氷も入れられていたが、下の方の棚には、黒いプラスチックの箱があった。工具箱のような形をしていて、南京錠で鍵がかけられていた。持ち上げて揺さぶると、中でガラスの中の小瓶が触れ合うような音がした。私はそれを"特殊ビタミンのランチボックス"と呼ぶことにした。

 

トップが何を決断し、チームがどこに向かっているかは、誰の目にも明らかだった。それでも、そのような現実を信じたくはなかった。私はこの問題から目を背け、話題にもしなかった。しばらくの間は、そうした状態が続いた。その年の春、五月に、4週間ほどレースがない時期があった。

ある晩、ペドロがホテルの部屋に来て、30個ほどの錠剤が詰まったジップロックと、透明の液体が入ったガラス製の小瓶を私に手渡した。彼はそれがステロイドだと言った。

 

「これは君を強くする。飲めば雄牛のようになる」ペドロが言った。「これまでにないくらい強くなるぞ」

 

私はそれについて長い間、考え続けた。それは難しい決断だった。最終的に、私は錠剤を口にしないと決めた。そして、その年の終わりに競技を引退した。どうしてもドーピングを拒絶する自分がいた。他の選手と違う決断をしたのは、年齢の問題もあったのだと思う。

そのとき私はすでに二十八歳だった。満足いく競技生活を送れたという自負もあったし、幸い、競技後に進むべき道もいくつか見えていた。

 

ドーピングを手にしなかったスコットでも、14年間の競技生活を通じて、ドーピングに手を出すべきかどうかについてはずっと悩まされ続けたという。だから、スコットはドーピングに手を染めた選手を非難するつもりはなかった。なぜなら、彼らのきもちが痛いほどわかるからだ。

 

 

ドーピングをして得た記録や名誉というものは、それがバレたときにモヤがかかる。通算762本のホームランを放ち、世界記録を打ち立てたバリーボンズはいつもこう言われる。

 

ベーブ・ルースを超えて世界記録をつくったけど、結局お薬やってたよね」と。

 

ボンズはずっと薬物疑惑がつきまとっていた。そして、ステロイドを使ったことも告白している。彼の世界記録は、もちろんステロイドのおかげもあるだろう。だが、ステロイドだけでホームランは打つことはできない。ホームランを打つには卓越した技術が必要だからだ。

だが、それは見ているひとたち、とくに野球の素人のひとにはわからない。「薬物=パワーアップする代物=ズルい!」という図式が成り立つからだ。もちろん、ドーピングに手を染めてはいけない。

「フェアでないから」

「アスリートの身体に悪影響を及ぼすから」

これらの理由も当然だが、なんといっても、自分が打ち立てた記録や名誉というものにモヤがかかること、場合によっては剥奪されるのだ。

そう考えたときに、ドーピングに手を染めることはとてもリスクがあることだよなあと思う。

 

シークレット・レース―ツール・ド・フランスの知られざる内幕 (小学館文庫)

シークレット・レース―ツール・ド・フランスの知られざる内幕 (小学館文庫)