読書めも

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【書評】調べる技術・書く技術 野村進

調べる技術・書く技術 (講談社現代新書 1940)

調べる技術・書く技術 (講談社現代新書 1940)

 

内容と感想

 ノンフィクションライターを目指す人にとって、教科書となるような本、そんな感じでした。アポの取り方、取材資料の集め方、原稿の書き方などなどがノンフィクションをつくりあげる上のヒントが詰まった一冊です。また、多くのノンフィクション作品にふれることができるのもこの本の魅力だとおもいます。約50ちかくの作品が本書のところどころで紹介されていて、思わずこの本そっちのけで「読みたい!」と思う作品が多かったです。

 個人的にオススメの章は第七章と第八章。これらの章では著者である野村さんが実際に執筆した短編ノンフィクションが2作紹介とその裏話が語られています。第七章では、1992年に起こった茨城県の中学生集団飛び降り自殺について。第八章では、野村さんが一日看護師として、ALS筋萎縮性側索硬化症)に罹患した患者が多い病院に勤めたことについて書いてあります。

 特に第八章は圧巻でした。ALSに罹患した人のインタビューだけでなく、その患者と接している看護師にもインタビューをしているので、すごくリアリティのある作品となっています。

一日のナース・コールの数が、多いときには六千回と聞いて、なおさら仰天した。一人の患者さんが一日に鳴らすナース・コールの回数が、平均百回だという。

 

このナースコールは、身体の自由をほとんど奪われている患者さんに合わせて作られている。「ALSの患者さんは、身体はほとんど動かせなくても、頭は非常にクリアなんですね」と山口看護師長は言う。なんとむごい病気であることか...

 

「ですから、全神経を自分の体に向けています。背中がかゆい。ベッドに置いた手の位置が気に入らない。羽毛布団が重い。けれども、自分ではどうにもならない。いまこのとき呼ばなければ、というのでナース・コールを鳴らされるんです。」

 

もうひとつ大きな違いがあると、山口看護師長は補足した。「ナース・コールが鳴ったとき、ほかの科ならマイクで「どうしました?」と訊けますよね。でも、ここでは(話のできない患者さんが多いので)鳴ったら、マイクで言葉を掛けず、すぐ行かなくちゃいけないんです」

 

(略)

 

つらいことは?「入院してこられたときには、あれもできた、これもできたのに、三ヶ月、半年と経って、あれもできなくなっている、これもできなくなっているということを確認してしまったときですね」

 

(略)

 

しかし、誰よりもつらいのは、患者さんたちなのだ。意識はこのうえなく鮮明なのに、体が言うことを聞かない。指一本動かせないどころか、まばたきすることしかできない人もいる。

 

少なからぬ患者さんが自死を考えるという。ところが、「この病気は、死ぬ選択も許されていないんです」山口看護師長の言ったひとことに、私は絶句した。 

 読まれる方はぜひ7章と8章を注目して読んでみてください。

 

読書メモ

1.テレビなどの映像メディアでは表現できないものにする

好むと好まざるとにかかわらず、書き手は映像表現をつねに意識しなければならない。テレビで簡単に放映できたり、映像のほうが訴求力が強いテーマを、わざわざ活字で表現する意味合いがあるだろうか。

 

映像表現と比べて活字表現が優る面を、自覚的に生かすべきだ。一般的に、活字は映像より受け手の感情に訴える力が弱い分、想像力の喚起や思考の深化を促すことができる。 

 

現に、テレビのニュースやドキュメンタリーの多くは、映像の利点を濫用して安易に視聴者の俗情を刺激するだけの、視聴率狙いの消耗品に堕している。その証拠に、「号泣」「激怒」といった文字や「!」「!!」などのマークが、テレビ欄にどれほどあふれていることか。

 

しかも、テレビには活字よりもはるかにタブーが多い。テーマの構造を奥行き深く描くのも、映像表現の不得手とするところだ。

 2.インタビューのあとで

かくしてインタビューは終了した。あなたは取材ノートを閉じ、録音機器の停止ボタンを押す。ところが、本当の取材はここから始まるのだ。

 

約束したインタビューの時間を終え、先方は心の中で安堵のため息をつくか、余計なことをしゃべりすぎたと臍をかんでいるか、いずれにせよ緊張がいくらかはゆるんでいる。そのときなのである。インタビュー中に語られなかった本音が洩れるのは。