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読書めも

読んだ本の感想をぼちぼち書いてます

99%負ける裁判をひっくり返した医療裁判《なぜ、無実の医師が逮捕されたのか 安福謙二》

医療
なぜ、無実の医師が逮捕されたのか: 医療事故裁判の歴史を変えた大野病院裁判

なぜ、無実の医師が逮捕されたのか: 医療事故裁判の歴史を変えた大野病院裁判

 

2008年8月に無罪判決が出た大野病院裁判。裁判前から被告人の加藤克彦医師に対して大勢の応援団が結成され、彼を擁護する声が全国の医療関係者から寄せられ、ネット上には逮捕に対しての抗議ブログが立ち上がるという、医療裁判としては極めて異例な事案となった。

被告人の加藤氏は、福島県の大野病院に勤める産婦人科医で、年間200件以上の手術をこなす優秀な医者だ。

しかし、2004年12月、彼が担当した手術で、ひとりの女性が死亡した。死因は出産の際に受けた帝王切開手術による大量出血。これを受けて、福島県警は加藤氏を業務上過失致死と医師法違反の疑いで逮捕した。

この概要だけを読むと、加藤医師の医療ミスのように見えるが、実際はそうではないことがすこしづつ分かってくる。

「医療が発達した現代において、出産時に死亡するなんて医療ミスだ!」と思うかもしれないが、出産とは命がけで行われることが大前提だ。

2005年の統計では、126万の出生数に対して出産時に亡くなった女性は62人。医療が発達したとはいえ、出産の際に命を落とす危険性はゼロではないのだ。

さらにこの事件が難しい症例である「前置胎盤」だったことについても触れなければならない。

 

そもそも、胎盤とはへその緒を通じて母体が胎児に栄養を与える器官のことだ。

 

へその緒とつながっているところが胎盤

 

しかし、胎盤が通常の位置より低く、子宮の入り口につくられることもある。上記の図でいうと、胎児の頭側に胎盤が形成されるということだ。これを「前置胎盤」という。

前置胎盤による出産はリスクが高いのだが、悪いことに今回のケースはもうひとつ困難が待ち受けていた。

通常、胎盤は出産時に自然と剥がれ落ちるものであるが、子宮付近に癒着し、スムーズに剥がせないことがある。今回がまさにそのケースだった。

しかも、癒着は子宮の後ろ側の壁(後壁)まで及んでおり、事前の超音波検査で発覚することはできなかった。

つまり、「前置胎盤」「癒着胎盤」「癒着が後壁まで及ぶ」の三重苦であり、めちゃくちゃ難しい手術だったということだ。

ちなみに、この症例は医師が一生出会わないのが普通であり、極めてめずらしいケースである。

 

新聞の報道だと、今回のような胎盤が癒着したケースは、2003年、2004年の県立病院全体の出産、1250件のうちの1件のみ。
日本の全分娩で、癒着胎盤が現れるのは2万2000分の1の確率。
まれな症例なのだ。どんなにベテランの産婦人科医でも、一生のうちに胎盤が癒着するケースに出会うとは限らないという。

そんな珍しい症例だとしたら、救えなかったとしても、それで刑事責任を追及すべき「業務過失致死罪」にむすびつくのだろうか。

 

「とはいえ、実際に加藤氏はひとりの女性を死なせているんでしょ?」と思ったひともいるかもしれない。

しかし、加藤氏はこのような事案にも適切な行動をとり、最善を尽くしていたことが読み進めていくうちにわかってくる。

にもかかわらず、加藤氏は逮捕されてしまった。全国の医療関係者が声をあげるのは無理もない。最善を尽くした医者が逮捕されれば、だれが医療に携わりたいと思うのだろうし、医療の発達を止めることにもなる。

本書の途中にでてくる「法は人に不可能を強いてはならない」という言葉が頭に残っている。

 

人に不可能を強いてはならない。これは法の基本だ。法は、赤ちゃんに仕事しろとか、病人でも仕事をしろ、とか不可能を強いるものではない。誰もが守れない、不可能を強いる結果となるならば、それは法とは呼べない。法の執行にあたっても、不可能を強いたら法治国家でない。

危険でむずかしい、それも滅多にないケースでの結果を「業務上過失致死罪」に問おうとしている、これは不可能を強いることにほかならない。

 

タイトルに書いたが、99%というのは日本の刑事裁判での有罪率のことだ。

つまり、たとえ無実だとしても検察に起訴されてしまうと、ほとんどの確率で犯罪者の仲間入りになってしまうわけだ。

今回の大野裁判では加藤氏が起訴されたが、弁護団の奮闘により無罪を勝ち取ることができた。

めでたし、めでたしと言いたいところだが、亡くなった女性患者は戻ってこない。この十字架は一生加藤氏が背負っていくものだ。

 

法の限界、医療裁判の難しさを知れる貴重な本だった。

職業は武装解除 瀬谷ルミ子

国際協力
職業は武装解除 (朝日文庫)

職業は武装解除 (朝日文庫)

 

『職業は武装解除』を読んだ。

国際協力に詳しいひとはすぐにピンときたかもしれないが、そういうことに疎いひとは「職業が武装解除???」と思っただろう。

その疑問は冒頭で著者の瀬谷ルミ子さんが解消してくれる。

 

私は三十四歳、職業は武装解除ですー。こう自己紹介をすると、日本だけでなく、世界のたいていの人たちは、私が過激派系の人ではないかと一瞬疑いの目を向ける。核兵器関連のお仕事ですかと尋ねる人もいる。確かに、「武装解除」なんて、日常会話であまり使わない単語だ。

武装解除とは、紛争が終わったあと、兵士たちから武器を回収して、これからは一般市民として生活していけるように職業訓練などをほどこし、社会復帰させる仕事だ。武装解除の対象になるのは、国の正式な軍隊のときもあれば、民兵組織のときもある。そして、兵士といっても、六歳の子ども兵もいれば、六十歳を超えた年配の兵士、武装勢力に誘拐された武器を持たない女性まで、さまざまだ。

 

日本では平和をあたりまえのように享受しているが、中東やアフリカでは民族間の争いは日常的なことであり、なかなか終わりが見えない。

そこで仲裁役として、瀬谷さんのような人や組織が買って出るわけだ。世界を見渡せば、武装解除が必要な国は少なくない。

実際、瀬谷さんはケニア、ソマリアスーダンシエラレオネルワンダコートジボワールなど数多くの紛争地を渡り歩いてきた。

 

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ソマリアがケニア、ルワンダ南スーダンコートジボワール黄色シエラレオネ

 

本書を読んでいると、日本がいかに平和な国であるかと痛感する。瀬谷さんが訪れる国では、ひとりで夜道を歩けなかったり、警察がテロリストと手を組んでいたりすることだってある。

また、紛争を終わらせるためには苦渋な決断を下さなければならないし、時には人から恨まれることもある。

瀬谷さんがシエラレオネ武装解除に取り組んだときのことだ。このとき武装解除の目処が立ったが、武装勢力から条件をひとつ突きつけられた。

それは、内戦中に行った戦争犯罪を無罪にすること。つまり、今までの犯罪行為を帳消しにして、自分たちを一般人として生活させてくれ、ということだ。

なんとも遺憾な要求だが、和平合意や武装解除ではこれがあたりまえのことである。犯罪に問われるのに、自ら武器を捨てるお人好しはそうはいない。平和を享受するには多くの困難が待ち構えているのだ。

 

平和とは、時に残酷なトレードオフのうえで成り立っている。安全を確保するためのやむを得ない手段として、「加害者」に恩恵が与えられる。その「加害者」には、元子ども兵のミランのように、好んで加害者となったわけではない、むしろ紛争の被害者といえる者もいる。物心ついたときから銃を持たされ、教育を受けたこともなく、戦うこと以外に自分の価値がないと心から信じてしまう者もいる。こういった人々への救済策は、確かに必要だ。

一方で、家族を失ったり、身体に障害が残ったり、家を失い避難民となっている「被害者」に、同じレベルの恩恵が行き渡ることはめったにない。加害者の人数と比べて、被害者の数が圧倒的に多いからだ。シエラレオネで最終的に武装解除された兵士の数が7万2000人ほどであるのに対し、死者数は推定5万人、それ以外の被害者数はおよそ50万人ほどである。

 

単純に考えて、被害者の数が多いということはそのひとたちから恨みを買う可能性だってあるわけだ。なぜなら、瀬谷さんがやっていることは平和をもたらすための行為であるが、同時に加害者を救う行為でもある。

実際、瀬谷さんもこのジレンマに悩み苦しまされることになるわけだが、武装解除のむずかしさはそれだけではない。

瀬谷さんがシエラレオネに赴任して10ヶ月後、武装解除のプロジェクトが順調に進んでいたときのことだ。3人の若者が瀬谷さんに話しかけてきた。

 

「あなた、DDRの部署の人でしょう?俺たち、元兵士で、職業訓練を受けたけどその後の生活が苦しくて困ってるんだ、何とかしてくれるんでしょう?」

満面の笑みを浮かべながらそう言う彼らを見て、違和感の原因が分かった。当時、DDRは、画期的な支援だと評価を高めていた。多くのドナー国が資金を提供してくれた。かつての私も含めて、外国の大学や団体から、目新しい取り組みの調査のために子ども兵士や兵士を探して村々をまわる人々もいた。そのせいか、一部の元兵士たちは、自分たちが困っていると訴えさえすれば誰かが支援をしてくれると感じ、自分たちの存在には価値があるという若干の誇らしさを感じるようになっていたのだ。

私は頭を抱えた、単に彼らに経済的に自立する意思が育たないだけの問題じゃない。加害者が優遇され、もてはやされる風潮が長引くと、「無罪になって恩恵がもらえるなら、加害者になったほうが得だ」という価値観が社会に根付いてしまう。

 

いわゆる「支援慣れ」という現象のひとつだろう。支援してもらうことが当然だと感じ、自立の弊害となるものだ。

平和をもたらすために決断した行動が、結果的にその国に害をもたらす可能性だってあるわけだ。加害者と被害者の利益のバランスを考えながら、さらに彼らが自立していくためのプロセスまでつくらなければならない。なんというか、先が長くしんどい仕事である。

 

yukiumaoka.hatenablog.com

yukiumaoka.hatenablog.com

これまでにいくつか国際協力に関する本を読んできたが、圧倒的におもしろい一冊だった。ちなみに、瀬谷さんはNHK「プロフェッショナル」にも出演しているのだが、今度はそっちを見てみるつもりだ。

 

第116回 瀬谷ルミ子(2009年4月21日放送)| これまでの放送 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

 

湾岸戦争でイラク兵の捕虜となった女兵士《イラク軍に囚われて 米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語》

歴史 歴史-戦争
イラク軍に囚われて―米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語

イラク軍に囚われて―米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語

 

 

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イラク軍に囚われて 米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語』を読んだ。本書は湾岸戦争で捕虜となったひとりの女性航空医官の物語である。

航空医官の仕事はヘリコプターに乗り、戦場の最前線にいる兵士を治療すること。時には味方のヘリや戦闘機の墜落現場に急行し、パイロットや乗組員の救助活動も行ったりする。

コーナム少佐は軍の司令を受け、味方のヘリの墜落現場に向かったが、イラク軍の攻撃を受け、捕虜となった。

捕虜と聞くと、敵から拷問やすさまじい扱いを受けるイメージだが、コーナム少佐は手荒な扱いをイラク兵から受けることはなかった(とはいえ、移送中にレイプ未遂のようなことを1回受けている)

航空医官だからか、本書では医学的な小ネタがいくつも出てくる。たとえば、湾岸戦争ではイラク化学兵器に対して化学兵器用スーツがつくられたが、実用的なものではなかったことなど。

 

私たちの使用する対化学兵器用のスーツは、化学物質から体をよく保護するように作られてはいるが、厚手であるため、これを八月につければ、兵士は化学物質よりは、むしろ熱射病で死亡する可能性があった。(中略)

私にはどうなるかはっきりわかっていた。人々はみな蒸し焼きになるのだ。このスーツはかなり厄介だったが、よく訓練された兵士なら化学兵器の攻撃ではほとんど死なないだろう。死ぬことがあるとすれば、動きの不自由なものを着ていてさらに前方がよく見えず、電柱柱か砂丘にでも突っ込んでしまうことだが、化学剤で死ぬことはまずない。

 

この化学兵器に対する訓練もアメリカ軍で行われたが、実際に化学兵器は一度も使われることはなかった。

航空医官の仕事は、戦闘で負傷した兵士や伝染病にかかった兵士を治療するだが、一方で病やケガの予防も仕事のひとつである。

 

私はもう一つ、避妊担当将校の役を引き受けた。私は種類の違う避妊薬をかならず準備させた。このことについて誰も考えていないようだったからだ。私はたくさんのコンドームを兵士たちに配った。だが、どうも彼らは砂よけにライフルの先にかぶせていたようだ。私は、兵士たちの間でセックスがさかんに行われているか、もしくは駐車場のなかで、どこかセックスができるところを探したかのかなどと、問うつもりはなかった。それはすべて個人の問題だからだ。

 

戦場での性行為はご法度だが、戦争がはじまれば半年から長くて数年はその地で拘束されるのだから、性欲的な話がでてくるのは当然だ。しかし、コンドームをライフルにかぶせていたのには笑った。

 

本書は全部で12章まであり、最終章にコーナム少佐が女性兵を戦闘に参加させることを強く主張している。

知らない方もいるかもしれないが、湾岸戦争当時はもちろん、ごくごく最近までアメリカの女性兵は戦場の最前線に行くことは許されなかったし、就ける職務の幅も狭かった(仕事の多くが後方支援)

くわしくは『アシュリーの戦争』を読んでほしい。

 

yukiumaoka.hatenablog.com

2016年の1月になってようやくすべての女性兵が地上戦闘に参加することができるようになったが、その道のりは長かった。

湾岸戦争がはじまったのが91年、この『イラク軍に囚われて』が出版されたのが翌年の92年。じつに24年の歳月がかかっている。

さっきコーナム少佐は今どうしているのかなぁと思い、検索をかけてみたところ、どうやらまだ軍に所属しているらしい。しかも、少佐から准将に出世していた。

彼女のこれからの活躍を祈るばかりだ。

読書めも

湾岸戦争をきっかけに女性兵士の台頭が進んだ。

→四万一千人近くの女性が活躍。ー医師、看護師、パイロット、整備士、トラック運転手、コック、事務官、情報将校、通信技師、そのほか多くの専門職として働いた。

・戦闘で死亡する兵もいるが、病で亡くなる兵士も多い。

赤痢、伝染病などなど