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読書めも

読んだ本の感想をぼちぼち書いてます

[読書感想]サヴァイヴ 近藤史恵

小説 小説-ミステリー
サヴァイヴ (新潮文庫)

サヴァイヴ (新潮文庫)

 

本書はサクリファイスシリーズの3作目であり、1作目の『サクリファイス』を読んでいないひとにはなんの話かさっぱりわからないエントリーとなるので、サクリファイスを読んでから画面をスクロールすることをおすすめする。

 

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悲運のヒーロー、石尾豪。口数はすくなく、時には非情な物言いをするが、『サクリファイス』のラストで彼の真意を知り、たちまち石尾ファンとなったひとは多いだろう。

かくいうぼくも石尾さんのファンである。白石誓や伊庭和実らのために自ら死を選択する最後はまるで戦時中の特攻隊のようであった。

『サヴァイブ』では石尾豪の過去を知ることができ、いままで明らかにされていなかった彼の人物像が浮かび上がってくる。

『サクリファイス』の最後でようやく石尾豪という人物の輪郭がすこし露わになったが、ものたりないと感じた方も多いはずだ。

だから『サヴァイブ』で石尾さんの過去を知れると聞き、心が踊った。

最初読んだときは「おいおい、赤城さんからの視点かよ。石尾さんからの視点で書いてくれよ」と思ったのだが、すぐにその想いは打ち消された。

石尾さんからの視点を書けば、石尾豪という人物のすべてを知ってしまうことになる。

サクリファイスの魅力は石尾豪が最後までミステリアスにつつまれた人物であったことだ。

石尾さんは誓や伊庭のために自ら死を望んだのは確かだが、リエージュルクセンブルクのレース中に袴田さんと出会い、そのとき真相を聞かされ、突如笑ったことや死ぬ直前になにを思ったのかは明らかにされていない。

だが、明らかにされていないからこそ、読者はいろいろと想像する。

「石尾さんは袴田さんが首謀者だと気づき、ツケが回ってきたなと思ったから笑ったのではないか?」「死ぬことに躊躇しなかったのか?」そんなことを考える。

石尾さんがミステリアスのベールを脱がないからこそサクリファイスはおもしろいのである。

よってこのエントリでは、『サクリファイス』『サヴァイブ』を読み終えて、石尾豪がどんな人物だったのか?そんなことを辿ってみようと思う。

 

豪は自分以外のエースを認めないよ

『サクリファイス』の冒頭で誓が自分の自転車を手入れしているときに赤城さんが話しかけてきたシーンを覚えているだろうか?

話題は伊庭が最近調子に乗っている、ということだった。そして、赤城さんは小さくためいきをついてこう言った。

 

「いいか、豪は自分以外のエースを認めないよ」

 

サクリファイスを初見で読んだひとは「石尾はプライドが高くて、エースの座にしがみつく器量の狭い奴だ」と思っただろう。

しかし、これは大きな誤解だったことに気づく。

石尾さんはエースの座に固執しているわけではない。単純に伊庭がエースとしての器量が足りていないのだ。伊庭がエースとしての器量があれば、すぐにでもエースの座を譲るはずである。

 

では、エースとしての器量とはなにか?

『サクリファイス』の第2章、ツール・ド・ジャポンの奈良ステージのときに石尾さんは誓にこう話していた。

 

「あいつはまだ甘い」石尾さんは、ためいきをつくようにそうつぶやいた。(中略)

「アシストを徹底的に働かせること、それが勝つためには必要だ。自分のために働かせて、苦しめるからこそ、勝つことに責任が生まれるんだ。奴らの分の勝利も、背負って走るんだ。わかるか」ぼくは頷いた。賞金こそ分配されるが、勝者として記録に残るのはたったひとり、エースの名前だけだ。それが、ほかの団体競技と自転車ロードレースの違いである。

「あいつはまだその覚悟がない。あれでは勝てない。運がいい日以外はな」

 

エースとなるにはふたつの条件が必要である。

ひとつ目は勝利に執着し、がむしゃらにゴールを目指すことだ。すくなくとも伊庭はこの条件に当てはまる。スプリンタとしてゴールに向かって躊躇なく突っ走ることができるのは『サクリファイス』を読んだら十分にわかるはずだ。

しかし、もうひとつの条件であるアシストを徹底的に働かせることの方は満たせていない。アシストを徹底的に働かせることにためらいがあるのだ。

石尾さんの言っていることは一見非情のように感じるが、事実であり、エースとしての義務でもある。エースはアシストを使いこなすことと引き換えに、彼らの想いを背負って勝利を掴みとらなければならないのだ。

『サクリファイス』をじっくり読めば上手にキャラクターを描いていることがわかってくる。

一見アシストに徹しているように見えるが、勝つことに意味をみいだせず葛藤する誓、エースとして抜群の力を持つが、アシストを犠牲にすることが勝利に結びつくことをいまひとつ理解していない伊庭。

そして、サクリファイスのキー人物であり、ロードレースの残酷さを知る石尾豪。エースである彼が犠牲になることで、ロードレースの残酷さ、勝利することの尊さをふたりに教えるのだ。

こう書くと石尾さんがロードレースのすべてを知っているように思えるが、そんなことはない。彼も新人のころはこの真理を知らなかった。『サヴァイブ』の第4章レミングでこんなシーンがある。

 

おまえにはわかるのか?一生ゴールを目指さずに走り続ける選手の気持ちが。

エースであり暴君だった久米がチーム・オッジから去り、単独エースとなった石尾さん。チーム内に平穏が訪れたと思いきや突如石尾さんがトラブルに巻きこまれることになる。

とある土曜日に開催されたレースのことだ。このレースはプロとアマが入り混じる大会で、順当に行けば石尾さんが勝つと言われていた。

しかし、石尾さんは初日に補給ポイントで突如失速。結局リタイアをしてしまった。

当初は「石尾は調子が悪いのだろう」と思われていたが、のちにそれは違ったことが判明する。

ロードレースの選手はレース中に補給食を食べなければならない。石尾さんは偏食ということもあり、彼のために作られた特別な補給食が用意されている。

しかし、この補給食が用意されていなかったのだ。補給食を食べれなかった石尾さんはレース中に力尽きた。

さらに二日目にもトラブルに見舞われる。二日目のレースは天候が悪くなり、レース途中に雨が降ってきた。こういうときのために選手はウィンドブレイカーをスタッフからもらって着用する。

しかし、石尾さんのウィンドブレイカーの袖が固く結ばれており、簡単に着れないように細工がされていた。

ウィンドブレーカーを着用できなかった石尾さんの体温はあっという間に下がり、身体の機能は低下、結局、順位を下げた。

明らかにだれかのしわざだったが、やられた本人である石尾さんはめんどくさそうに「赤城さんには関係ない」と言い放った。

赤城さんは怒りを抑えられずにこう言った。

 

「関係ないだと?たったひとりで戦っているつもりか?」勝手に口が動き出す。止められなかった。

「そんなに偉いつもりなのか?」待合室中の視線が、こちらに集まっていることには気づいたが、そんなことはどうでもよかった。

「おまえにはわかるのか?一生ゴールを目指さずに走り続ける選手の気持ちが」石尾がはっとした顔になった。

そう、アシストはゴールを目指さない。ゴールなど見えない。たとえ、ゴールゲートに辿り着いても、それはなんの意味もない。

先も見えず、ただひたすら走り続ける。それでも耐えられるのは、エースがゴールに飛び込んでくれると信じているからだ。

 

すくなくとも石尾さんはこのときまでアシストの悲痛な想いを知らなかっただろう。

おそらく赤城さんのようにアシストの想いをここまで正直にぶつけてくれる相手が今までにいなかったのだ。

だからこのときはじめて気づいたのだろう。自分のポジションは多くのアシストが犠牲になって成り立っているのだということを。

そして、エースはアシストの嫉妬や夢を踏みつけてなにがなんでもゴールを目指さなければならないということを感じたのだ。

 

石尾豪は死ぬことを恐れなかったのか?

『サクリファイス』を読み終えて、最初に思ったのは「死ぬ瞬間石尾さんはなにを考えたのか?」だった。

石尾さんが袴田さんから一連の企てをリエージュルクセンブルクで明かされたとき、笑ったのを覚えているだろうか。

 

赤城「あの日、最初の峠を越えたあたりから、急に石尾の調子が悪くなった。息が荒くなり、ペダルを回す足も鈍かった。疲れが出るのには少し早い。もともと、朝から体調がよくなかったのかもしれないと思った。だが、袴田と話したあと、急にそれが変わったんだ」

誓「変わった?」

赤城「袴田とことばを交わした後、彼はボトルの水を飲みながら、速度を上げて、俺に追いついてきた。それまでの不調が嘘みたいだった。そのとき、あいつは笑っていた」

 

なぜ彼は笑ったのか?

してやられたという敗北の笑いでもないし、石尾さんにその企みを話す袴田さんの詰めの甘さに対する笑いでもない。

モヤモヤした気持ち悪さが拭えた爽快感からきた笑いだったと思う。

おそらく石尾さんは篠崎さんがボトルにエフェドリンを入れていたのを見てはいない。見てはいないが、ボトルを口にしたとき違和感を感じたのだろう。身体の感覚が鋭いひとだから、ボトルに手をつけなかった。

喉の渇きに耐えながら走り、袴田さんから一連の企てを聞いて、こう思ったはずだ。

「モヤモヤが晴れたよ、おまえだったのか。やっと水が飲める」と。

そこには袴田さんに対する恨みはなかっただろうし、このときにもう自分の運命がどうなるかわかったのだろう。

白石誓と伊庭和実を救うには、自分が犠牲になるしかないということに。

まあありえない展開なんだけど、もし誓が天国に逝ったら、石尾さんに感謝するだろう。自分の身を捧げて、勝利の尊さを教えてくれた彼に。

しかし、石尾さんはこう返すだろう。

 

 

「おれは自分の仕事をしただけだ。感謝する必要はない」と。

ケンドーコバヤシを捨てたお笑い芸人《芸人迷子 ユウキロック》

芸能人 芸能人-お笑い芸人

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2014年2月、芸歴20年を迎えた漫才コンビのハリガネロックが解散を発表した。このことはすぐにヤフーニュースとなり、多くのお笑いファンが解散を惜しんだ。

お笑いが好きなひとはハリガネロックの名を知っているだろう。NSC11期生で「中川家」「陣内智則」「ケンドーコバヤシ」「たむらけんじ」らと同期であるこのコンビを。

 

芸人迷子

芸人迷子

 

 

そのハリガネロックのボケであるユウキロックさんが解散までを綴った迷走録『芸人迷子』を読んだ。

ケンドーコバヤシとの解散、結成半年でABCお笑い新人グランプリNHK上方漫才コンクール優勝、中川家に敗れ準優勝だったM-1グランプリ、漫才に心血を注いだ20年間ーー

帯にピースの又吉さんが「僕が尊敬する漫才師が書いた、血だらけの告白がここにある」と書いているのだけど、まったくもってその通り。ユウキロックさんが芸人として売れるために苦悩しあがく姿が本書から生々しく伝わってくる。

以前、売れない芸人の日常を綴った「プロレタリア芸人」を読んだけど、あの本とはまったく違った。「プロレタリア芸人」の著者である本坊さんは暗闇のなかに光のようなものがまったく見えていなかったが、ユウキロックさんにはまちがいなく見えていた。そして、その光をつかむ寸前までたどり着いていた。

ハリガネロックを結成後すぐに漫才賞レースを席巻、爆笑オンエアバトルでも優勝し、M-1グランプリではずっと追いかけていた中川家の背中がもう見えていた。

しかし、芸歴20年目を迎えて解散。光が間近に見えていたのにあと一歩が足りなかった。

 

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ユウキロックさんがこの世界に入ることになったのは小学生のときに見た漫才がきっかけだ。

当時は漫才ブーム。「やすし・きよし」「ツービート」「紳助・竜介」らの漫才に魅了され、お笑いにのめり込むことになった。

NSCに入学後、数人の生徒とコンビを組んだが、うまくいかず、その後ケンドーコバヤシさんと出会い「松口VS小林」というコンビを結成。

スキルはないがセンスのあるコバヤシさん、センスはないがスキルのあるユウキロックさん。お互いの足りないところを補ういいコンビだった。

しかし、二年目を迎えるとコバヤシさんがピンでテレビやライブに出演するようになり、風向きが変わる。

コバヤシさんと一緒にいることで売れると強く思ったが、自分の可能性を捨てることができなかったユウキロックさんはコバヤシさんにある日こう告げた。

 

お前とやっていたら、俺は売れない」と。

 

コバヤシさんは必死に説得したが、ユウキロックさんの決意は固かった。

 

背中にコバヤシの視線を感じる。涙が出そうになった。もう一度コバヤシが何かを言えば、振り返って「もう一回やろう」と言っていただろう。コバヤシは何も言わずに、俺を見送った。俺には才能がない。この天才に並ぶため命がけの努力をする。そして、俺は自分の力で売れてやる。何度も止めてくれたコバヤシを振り切って、俺は身勝手に解散した。

 

決死の覚悟で解散をし、すぐさまのちの相方となる大上さんと出会い「ハリガネロック」を結成。

前述したとおり、その後結成半年で関西の漫才賞レースを席巻した。当時ユウキロックさんは死に物狂いで努力をしたという。

いったいなぜなのか。

それは、コバヤシさんを自分の身勝手な理由で捨てたからである。そして、もし失敗したら周囲から「才能のあるコバヤシと解散するからだ」と笑われることが怖かったからだ。

 

ところで、関西の漫才賞レースを席巻したにもかかわらず、なぜM-1で優勝することができなかったのか?

もちろん中川家が強かったのもある。しかし、ハリガネロックの漫才が芸人ウケするタイプのものでなかったのが大きいだろう。

 

ハリガネロック」の漫才は、芸人受けするタイプのものでなかった。だが、客票には強い。ピープルズチャンピオンと自認していた。どこでもスベらない漫才をしたい。どの年代にも笑ってもらえる漫才がしたい。だからこそ大衆性に重きを置いた。

 

ハリガネロックの漫才が一般ウケするものだった象徴的なエピソードがある。第一回M-1グランプリでのことだ。第一回は7人の審査員だけでなく、札幌・大阪・福岡の吉本興業の劇場に集まった各100人の一般客も1人1点で審査をし、その合計得点が高い2組が決勝ラウンドに進む方式だった(第二回大会から一般投票はなくなる)

ハリガネロックはこの一般客の審査による点数がどのコンビよりも高い得点だった。つまり、一般客の審査のみであれば、中川家に勝っていたのだ。

しかし、M-1は観客にウケれば、優勝できる大会ではない。もちろん観客にウケることは大事だが、なによりも7人の審査員に認められなければならない。

ここがM-1の難しいところだ。観客を笑わせつつ、審査員にもウケなければならない。

高度なボケを重ねることで審査員にはウケるかもしれないが、観客は笑わないかもしれない。一方で一般ウケするような漫才であれば、審査員にはウケないかもしれない。

さらにそれを4分という短い時間の漫才にしなければならない。ユウキロックさんはこのM-1グランプリをこのように評している。

 

「異端な発明家」こそが得られる称号。それが「M-1グランプリ」なのかもしれない。(中略)

そして、すべての「M-1チャンピオン」に言えることは、「個」の実力である。実力のある「個」と「個」がぶつかり、主張しあうからこそ生まれる圧倒的存在感。それがオーソドックを超える。

ネタを作っているほうは作ったネタを高めようという自覚がある。ネタを作っていないほうは受け取った台本をいかに理解し、自分で昇華させ、台本以上のものに仕上げるかに力を注ぐ。各々が自覚しなければ絶対にできない。

 

こうして第一回大会M-1グランプリでは中川家に敗北し、第二大会では決勝ラウンドに進めず敗退。悔し涙を飲んだ。

とはいえ当時ハリガネロックとしてレギュラー番組を多数抱えていたし、爆笑オンエアバトルで優勝もした。順風満帆なはずだった。

しかし、レギュラー番組は年々減り、2009年にはコンビで出演していたレギュラー番組がすべて終了。とうとうメディアに出演しなくなってしまった。

いまやお笑い戦国時代とよばれるほど芸人の数は多く、さらに大御所とよばれる芸人たちは引退しないため、全国区で売れつづけるには並大抵のことではない。

パンクブーブーはそのいい例だろう。ネタはおもしろく、劇場に行けば絶対にすべらない。M-1THE MANZAIの二冠を達成した唯一無二のチャンピオンだが、レギュラー番組は0(2015年当時)

バラエティ番組で活躍するためにはわかりやすいキャラが求められる。

パンクブーブーにしてもハリガネロックにしてもキャラクター性がなかったのが致命的だった。

たとえば、ブラックマヨネーズならば小杉さんがハゲ、吉田さんがブツブツ、というなんともわかりやすいものをふたりが持っている。

そのキャラを持っていることでMCにいじられたり、そのキャラならではのエピソードトークをすることができるのだ。

 

最終的にユウキロックさんは相方である大上さんと解散を決意し、ユウキロックさんは「演芸インストラクター」として、時には漫才のワークショップを子どもに行ったり、漫才の授業を若手芸人に向けて行ったりしている。

一方、相方だった大上さんはヨシモトを離れ、構成作家やMCとして活躍している。今後ふたりの活躍を期待している。

 

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31歳で胃がんになったニュースキャスター《未来のことは未来の私にまかせよう 黒木奈々》

エッセイ

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元キャスターで現在闘病中の小林麻央さんがブログで、25日間の放射線治療が終了したことを発表した。

小林さんは乳がんのステージⅣだから、まだまだ予断を許さない状況ではあるが、とりあえずひと段落といったところだろうか。この治療をしたことでよりいい方向に進んでほしい。

 

女性キャスターで「がん」だと発表したのは小林さんだけだと思っていたが、もうひとりいる。

NHKBS放送の「国際報道2014」のキャスターだった黒木奈々さんだ。

 

 

小林さんは「乳がん」だったが、黒木さんは「胃がん」だった。

2014年7月27日、黒木さんは学生時代の友人たちと食事をしている際に、突如胃に激痛が走り、その場に倒れた。

すぐに救急車で搬送され、急性胃潰瘍だとわかったが、後日「胃がん」だということが発覚した。

がんだと発覚したとき、まっさきに頭に浮かんだのは「自分の身体の心配」ではなく、「仕事」のことだった。

 

そして、次に私の頭をかけめぐったのは、自分の体の心配ではなかった。「ああ、今日で番組降板になるんだ...「キャスター」は私の人生そのものなのに。努力してやっとつかんだチャンスなのにー」

番組が始まってまだ四カ月なのに。なんで、なんで... ...。急に涙があふれ出てきた。

 

がんだと告知されたら、ふつう自分の寿命について心配しそうだが、黒木さんの場合はちがった。まず最初に仕事の心配をしたのだ。いったいなぜなのか。

それはキャスターという仕事に対して、半端ないほどの情熱を捧げていたからだ。

小学生のときにキャスターになることを志し、アナウンサースクールにも通った。しかし、就職活動ではすべてのキャスター試験に落ち、最終的に報道記者として毎日放送MBS)に入社。報道記者からキャスターになろうと試みたが、断念し、フリーアナウンサーに。

キャスターは呼称、アナウンサーは職の名前

 

黒木さんのように容姿端麗、頭脳明晰(大学は上智でフランス語ペラペラ)のひとでも、メインキャスターの座をつかむまでに9年の歳月がかかっている。本書を読むと、キャスターへの道がこんなにも険しいのかと思わされる。

 

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本書は「がん闘病記」ではあるけれど、お涙ちょうだい的な内容ではない。ルポ的に黒木さんの日常が淡々と書かれている。サクサク読めるからあっという間に読めるだろう。

本書を読んで、自分の父のことを思い出した。7年前、父は「硬膜化血腫」で倒れた。当時は半身麻痺が残るだろうと言われたが、50代だったこともあり、いまではピンピンしている。

結局、2ヶ月ほどの入院だったんだけど、いつだったか父に入院したときに何を考えてたのか訊いたことがある。

すると、「仕事のこと」と答えた。当時ぼくは大学一年生だったんだけど、わりと衝撃的だった。

「自分の今後について」や「ずっと泣いていた母のこと」ではなく、「仕事のこと」と答えたからだ。

父にしても、黒木さんにしても仕事が好きなのだ。仕事に対する熱い想いを持っていたり、一生懸命打ち込むひとはかっこいい。本書を読めば、黒木さんがキャスターに対して並々ならぬ想いを持ちながら仕事に取り組んでいたことがわかるはずだ。

 

さてさて、話が脱線してしまったが、黒木さんはがん発覚後、世間に自分の病を公表した。その後、胃がん手術、抗がん剤治療を受け、2015年1月4日の『国際報道2015』に1日限定で復帰。約4ヶ月ぶりの復帰だった。

さらに3月には月曜限定で同番組に復帰。抗がん剤治療は順調のように見られた。

しかし、7月に体調を崩し、8月に入院。そして、9月19日、家族に看取られながら亡くなった。32歳の若さだった。

 

もし、これを読んでいるひとが「ここ数年健康診断なんて受けてないよ」というひとだったら、すぐに健康診断と人間ドックを受けてほしい。

黒木さんはフリーのアナウンサーだったこともあり、会社勤めの人とは違って、年に一回の健康診断がなかったのだ。

とはいえ、黒木さんは身体の調子がおかしかったら、その都度病院に通っていた。血液検査やレントゲンは撮っていたが、胃カメラや全身の検査は行っていなかった。がんになった後、黒木さんは入念な検査を定期的に受けるべきだったと後悔している。

ぜひとも健康診断に行っていないひとは、いますぐに行ってほしい。