読書めも

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「死ぬ患者も愛してあげようよ」終末期医療のあり方を問うミステリー小説《サイレント・ブレス 南杏子》

サイレント・ブレス

サイレント・ブレス

 

あらすじ(アマゾンより)

大学病院の総合診療科から、「むさし訪問クリニック」への“左遷”を命じられた37歳の水戸倫子。そこは、在宅で「最期」を迎える患者専門の訪問診療クリニックだった。命を助けるために医師になった倫子は、そこで様々な患者と出会い、治らない、死を待つだけの患者と向き合うことの無力感に苛まれる。けれども、いくつもの死と、その死に秘められた切なすぎる“謎”を通して、人生の最期の日々を穏やかに送れるよう手助けすることも、大切な医療ではないかと気づいていく。そして、脳梗塞の後遺症で、もう意志の疎通がはかれない父の最期について考え、苦しみ、逡巡しながらも、静かな決断を下す――。その「時」を、倫子と母親は、どう迎えるのか……?

 

感想

本書のテーマは終末期医療だ。終末期医療とは患者が余命宣告されたとき、つまり手の施しようがない病にかかったときの医療のあり方だ。

たとえば末期がん治療。20代・30代で末期がんになったら、抗がん剤や手術、放射線治療などを選択するかもしれない。これからの人生を考えると、わずかな可能性でもいいから完治する治療をだれもが選択するはずだ。

しかし、70代・80代で末期がんになったらどうだろうか。抗がん剤や手術に耐えられる身体ではないかもしれない。仮に耐えられたとしても、副作用という苦痛との闘いが待っている。しかも完治の可能性がわずかだとしたら、生きることを放棄したくなるだろう。

そこで「延命」を主な目的にせず、医者は患者の身体にできるだけ痛みを与えない緩和ケアを行う。そうすることで、患者に安らかな最期を迎えてもらう。これが終末期医療のひとつのあり方だ。

 

医者の仕事は病を治すことである。しかし、医者は全知全能ではないので、当然治せない病もある。ならば、死にゆく患者、つまり治療法のない患者を目の前にしたときに、医者はなにができるのだろうか。また患者はいったい何にすがればいいのだろうか。この本はそんな問いを読者に突きつける。

 

主人公の倫子はいずれ近いうちに死にゆく患者の自宅に足を運び、治療し、向き合うが、自分の手から次々とこぼれていく命を目の当たりにし、悩み、医者の存在価値について考える。

「治療の話はやめて。時間の無駄」と倫子に言い放つ末期ガンの患者もいれば、「治療はいらん。死ぬために戻った」と言う患者にも出会う。

倫子は次第に病を治すことや命を救うことだけが医者の仕事ではないと気づき、患者から死を託されること、これが自分の仕事だと感じるようになる。

死を託されることとはいったいどういうことなのか?上司である大河内教授が倫子にこう語りかけるシーンがある。

 

「水戸くん(倫子の苗字)、医師は二種類いる。わかるか?」

「死ぬ患者に関心のある医師と、そうでない医師だよ」

「医師にとって、死ぬ患者は負けだ。だから嫌なもんだよ。君も死ぬ患者は嫌いか?」

「よく考えてごらん。人は必ず死ぬ。いまの僕らには、負けを負けと思わない医師が必要なんだ」

「死ぬ人をね、愛してあげようよ。治すことしか考えない医師は、治らないと知った瞬間、その患者に関心を失う。だけど患者を放り出す訳にもいかないから、ずるずると中途半端に治療を続けて、結局、病院のベッドで苦しめるばかりになる。これって、患者にとっても家族にとっても、本当に不幸なことだよね」

 

医者ならば、患者の命が自然に尽きていくのをじっと見守るのはじれったい。なんとか手を施したくなるが、医者が安心するために治療を行うのは医療の本質ではない。

この本を読んで、医者の仕事が死を託されることだと気づいたとき、目からウロコが落ちた。

医者の仕事は病を治すことであり、ドラマ「医龍」の主人公朝田龍太郎のように患者の命を救うことに全身全霊をかけ、決してどんなことがあっても諦めない。これが医者としてのあるべき姿だと思っていたからだ。

しかし、それがすべてではないのだ。治らない患者がいることに目を背けないこと、そして、その患者に対して治療を受けない選択肢も提示することがなによりも大事なのだ。

 

ぼくは現在26歳。これまでに大きなケガや病気になったこともない健康体である。そんなぼくと縁がなさそうなこの本をスラスラと興味深く読むことができた。なぜならこの本がノンフィクションではなく、小説だったからだ。

小説だから気軽に読むことができる。しかもこの本はミステリーなので、思わず先が気になり物語を追うのに没頭することができる。ページをめくる手が自然と速くなるだろう。この本がノンフィクションだったら、あまりの重さに途中で挫折していたかもしれない。

「終末期医療」のあり方について考える最初の本としてオススメの一冊だった。

ギャルがAVに出演すると母に告げたら絶縁された話《うちの娘はAV女優です アケミン》

AV女優の仕事が友だちにバレることを業界用語で『友バレ』彼氏にバレることを『彼バレ』という。『友バレ』や『彼バレ』をして辞めていった女優は数知れない。大学や専門学校に通いながらAV女優をしていたが、ネットの掲示板の書き込みによってバレて引退したというのは実際にあった話である。

一方で、少数派ではあるが、『友バレ』や『彼バレ』をしてもつづける女優はいる。

 

 

北村玲奈さんは今も活躍する現役AV女優だ。彼女はAV女優としてデビューする前に高校の同級生にFacebookでバラされた。デビュー前の女優の心境はナイーブだ。

ここで辞めても不思議ではない状況下で、北村さんは強気の反撃に出る。なんと自分のFacebookでしれっと自身の作品の宣伝を行い、AV女優になったことを皆に報告したのだ。

なんともスカッとする対応だ。この対応で北村さんの好感度は爆上がりした。

 

同じく現役AV女優の湊莉久さんは同級生に脅されたが、湊さんは華麗にスルー。ワンチャン狙いの輩の願いは儚くも潰えた。

 

 

北村さんや湊さんのようにAV女優であることをオープンにできるひともいるが、なかなかそうはいかないケースが多く、そのまま引退ということはよくある話だ。

AV女優にとって『友バレ』『彼バレ』は辞める原因のひとつではあるが、そのなかでも特に恐れられていることは親にバレること(親バレ)だ。

親バレをして辞める女優は特に多く、親バレをした子の7割〜8割は辞めていく。しかも、デビュー間もない子の多くの引退理由は『親バレ』だ。

ネットが発達したこともあり、この仕事は昔に比べ、周囲にバレる確率はグンと上がっている。さらに、AV業界の市場は10年まえに比べ小さくなっているが、AV女優の数は増えつづけており、競争が激化している。

ゆえに、AV女優はPR活動が必須で、雑誌やテレビでの露出、SNSの積極的な活用、イベントの開催などが求められる。

「周囲にバレたくはないけど、AV女優として売れたい!」なんてことは通用しない。PR活動をしない女優にはよっぽどのことがない限り仕事がこない。

PR活動を積極的に行うということは『友バレ』『彼バレ』そして、『親バレ』の可能性は上がるし、それを覚悟しなくてはならないのだ。

 

うちの娘はAV女優です

うちの娘はAV女優です

 

 

『うちの娘はAV女優です』を読んだ。本書は『親バレ』をしつつも、AV女優としての仕事をつづけることを選択した10人の女性にインタビューしたものである。

親バレ』をした女優の7割〜8割が辞めていくにもかかわらず、なぜ彼女たちはAV女優をつづけることを決断したのか?娘から仕事のことを聞かされた親はどんな反応をしたのか?

親の反応は様々で十人十色である。所属事務所に乗り込み、契約を打ち切ろうとした親、あっさりと娘の仕事を認める親、音信不通になる親。

第8章で登場する成宮リリさん(仮名)の親はあっさり認めたケースだ。

成宮リリさんは現在2年目の企画単体女優である。中学時代からAV女優(特に上原亜衣)に対して強い憧れをもっており、大学に入学後この世界に入った。それを聞いて成宮さんの親は安心したという。

というのも成宮さんは中学・高校のときから男性をとっかえひっかえしており、それを両親はよく知っていた。成宮さんはこう語る。

 

「もともと親は私がエロに対して興味のある子だなって気づいていたみたいで。遅かれ早かれキャバや風俗とかに行くんだろうなって思っていた。ヘタに不特定多数の素人と関係を持って性病になるよりは、AVでプロを相手にして一つの作品としてキチンと撮ってもらったほうがいい。そう言ってAVは賛成していました」

 

いまでは家族全員が彼女の出演作に目を通しており、母親にいたっては毎回DVDを買って家に置いている。このように家族全員でバックアップしている例はなかなかない。

だいたい両親のどちらかが難色を示すか、兄弟が反対することが多い。それこそ家族会議が開かれ何時間も話し合い...というケースもあった。

様々なケースがあるなかで、最も驚かされたのは母親が娘の戸籍を抜いたことだろう。これは第6章に登場する丘咲エミリさんの母親が実際にとった行動だ。

丘咲エミリさんは読者モデル出身の元AV女優だ。幼少期から父親の暴力がひどく、彼女が高校生のときに両親は別居することになった。母親と一緒に暮らしはじめたが、働き手の母親がうつ病にかかってしまう。一家の大黒柱になるべく彼女は17歳でキャバクラに勤務することになった。

当時は読者モデルの仕事もやっており、精神的・経済的負担は半端なものではなかったが、なんとか高校を卒業し、服飾系の専門学校に入学した。

しかし、丘咲さんの身体は突如限界を迎える。医者からうつ病と診断されたのだ。考えてみれば、無理もない話である。学校に毎日通い、友だちと遊ぶ暇はなく、生活のために仕事をしなければならない。家に帰ったら、母親の介護もあった。

生きる気力をなくした丘咲さんは母親と無理心中しようとしたが、友人の助けがあり、奇跡的にふたりは一命をとりとめた。やがて、ふたりは少しづつ回復していき、丘咲さんも雑誌モデルとして活躍し、ときにはテレビにも出るようになっていった。しかし、所属事務所からギャラの未払いが目立つようになり、事務所への不信感が募っていった。

モデルの仕事は好きだが、これ一本だけでは食べていけない。かといってキャバクラはやりたい仕事ではない。事務所への不信感、現状へのモヤモヤを抱えていたそんな矢先に、AVのオファーが来ることとなる。

最初こそ断っていたが、半年かけて説得されたこともあり、丘咲さんは元タレントの肩書きで華々しく単体デビューすることになった。

意を決してAVに出演することを母親に電話で打ち明けたが、その日のうちに着信拒否をされ、家を追い出されしまった。やむなく引越し手続きのため役所に行くと、驚くべきものを目にする。

 

「戸籍を抜かれていました。窓口で調べてもらったら私の籍はお父さんのほうにあって。そのとき『本当に勘当されたんだ』『絶縁されたんだ』って突きつけられたね。仕事頑張るしかないな〜って」

しかし、エミリは母親への毎月の振り込みはかかさなかった。

「事務所の人が電話で話したときにも母親は『もう、お金も送らなくていい、お前の金なんていらない』って言っていたんですよ。もちろん、払わなくてもよかったかもしれない。でも口ではそう言ってるけど、生活きつくなるのは目に見えているし、会えない、連絡取れない、その中で唯一私ができることはお金を送ることしかなかった。責任感というよりも罪悪感ですね」

 

実の母からの絶縁宣言。丘咲さんは悲しみに暮れたが、デビューすることはすでに決定しており、もう後戻りすることはできなかった。

元モデルという肩書きで順調に仕事をこなしていた彼女のもとに一本の電話がかかってきた。それは、半年ぶりに話す母だった。

半年ぶりにかかってきた母の第一声はなんともキツい一言だった。

 

「あなたのやっていることは、私には理解できないし、理解したいとも思わないし、軽蔑しています」

 

心にグサッとくる一言だったが、母からの口からは意外な言葉が続いた。

 

「ただ私がお腹を痛めて産んだ娘には変わらないから。これからは娘として接していくね。仕事だけは許してないし、理解していないし、それだけはわかって」

 

これに対して丘咲さんはこう返した。

 

「ただ私は『ここで引けない、辞められない』そう伝えました。ここで辞めたらほら見たことかって後ろ指をさされる。『あいつ脱いだよな』『堕ちたよな』って言われて終わるだけ。何かしら結果を残さないと私、辞められない。そう言ったのをよく覚えています」

 

この電話をきっかけにふたりは連絡を取り合うようになり、娘と母の関係は修復された。

 

余談だが、本書に登場するAV女優たちは親に仕送りしている人が多い。業界を見渡しても親に仕送りする女優は一定数いるという。そのなかで仕送りの額が飛び抜けてすごかったのが第9章で登場する桜井あゆさんだ。

桜井さんは2013年にデビューし、2016年に引退した元AV女優だ。10代のころから夜の世界を経験し、22歳のときにこの世界に入った。

桜井さんは18歳のころから6年間、毎月80万〜100万を母親に仕送りしている(現在も)これを知ったとき、大学までの学費を親に払ってもらっていた自分の身がこのうえなく恥ずかしく感じた。

そんな桜井さんの親は自分の娘の仕事を聞いたとき、どのような反応だったのだろうか。

 

「反応は『あ、そう』って(笑)。『あんたが死ぬこと以外、なにも驚かないよ。どうせ私たちが止めたところであんたはやるでしょ。だったらやればいい。ただ体には気をつけなさいね。やりたいところまでやってみなさい』ってLINEがきました。さすがにそれには驚いたけど私も『絶対に恥ずかしくないくらい有名になるから』って伝えましたね」

 

本書を読んでいるときに『親バレ』をして辞めていく女優と『親バレ』をしてつづける女優の差はなんだろうとぼんやり考えていた。そして、読み終えたとき、本書に登場するひとたちの共通点がひとつあった。

それは、確固たる意志をもっているということだ。「親と縁を切ってでも、この世界で戦っていく」「負けてたまるか。バカにしてるやつらを見返してやる」という思いが強い。

特に顕著だったのは丘崎さんや桜井さんだった。負けん気が強く、バイタリティに溢れ、明るくていつも前を向いている。

逆にいえば、この確固たる意志がなければ、『親バレ』という大きな壁を乗り越えることはできず、辞めていってしまうのだろう。

 

まったく関係ないのだが、表紙が母親と娘のツーショットだったので、著者のアケミンさんが母親で、アケミンさんの娘がAV女優であることをつづったエッセイ本だと思っていた。しかし、この表紙のツーショット写真は桜井あゆさんとその母親である。

読み応えのあるいい一冊だった。

 

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うちの娘はAV女優です

うちの娘はAV女優です

 

[読書感想]サヴァイヴ 近藤史恵

サヴァイヴ (新潮文庫)

サヴァイヴ (新潮文庫)

 

本書はサクリファイスシリーズの3作目であり、1作目の『サクリファイス』を読んでいないひとにはなんの話かさっぱりわからないエントリーとなるので、サクリファイスを読んでから画面をスクロールすることをおすすめする。

 

yukiumaoka.hatenablog.com

悲運のヒーロー、石尾豪。口数はすくなく、時には非情な物言いをするが、『サクリファイス』のラストで彼の真意を知り、たちまち石尾ファンとなったひとは多いだろう。

かくいうぼくも石尾さんのファンである。白石誓や伊庭和実らのために自ら死を選択する最後はまるで戦時中の特攻隊のようであった。

『サヴァイブ』では石尾豪の過去を知ることができ、いままで明らかにされていなかった彼の人物像が浮かび上がってくる。

『サクリファイス』の最後でようやく石尾豪という人物の輪郭がすこし露わになったが、ものたりないと感じた方も多いはずだ。

だから『サヴァイブ』で石尾さんの過去を知れると聞き、心が踊った。

最初読んだときは「おいおい、赤城さんからの視点かよ。石尾さんからの視点で書いてくれよ」と思ったのだが、すぐにその想いは打ち消された。

石尾さんからの視点を書けば、石尾豪という人物のすべてを知ってしまうことになる。

サクリファイスの魅力は石尾豪が最後までミステリアスにつつまれた人物であったことだ。

石尾さんは誓や伊庭のために自ら死を迎えたのは確かだが、リエージュルクセンブルクのレース中に袴田さんと出会い、そのとき真相を聞かされ、突如笑ったことや死ぬ直前になにを思ったのかは明らかにされていない。

だが、明らかにされていないからこそ、読者はいろいろと想像する。

「石尾さんは袴田さんが首謀者だと気づき、ツケが回ってきたなと思ったから笑ったのではないか?」「死ぬことに躊躇しなかったのか?」そんなことを考える。

石尾さんがミステリアスのベールを脱がないからこそサクリファイスはおもしろいのである。

よってこのエントリでは、『サクリファイス』『サヴァイブ』を読み終えて、石尾豪がどんな人物だったのか?そんなことを辿ってみようと思う。

 

豪は自分以外のエースを認めないよ

『サクリファイス』の冒頭で誓が自分の自転車を手入れしているときに赤城さんが話しかけてきたシーンを覚えているだろうか?

話題は伊庭が最近調子に乗っている、ということだった。そして、赤城さんは小さくためいきをついてこう言った。

 

「いいか、豪は自分以外のエースを認めないよ」

 

サクリファイスを初見で読んだひとは「石尾はプライドが高くて、エースの座にしがみつく器量の狭い奴だ」と思っただろう。

しかし、これは大きな誤解だったことに気づく。

石尾さんはエースの座に固執しているわけではない。単純に伊庭がエースとしての器量が足りていないのだ。伊庭がエースとしての器量があれば、すぐにでもエースの座を譲るはずである。

 

では、エースとしての器量とはなにか?

『サクリファイス』の第2章、ツール・ド・ジャポンの奈良ステージのときに石尾さんは誓にこう話していた。

 

「あいつはまだ甘い」石尾さんは、ためいきをつくようにそうつぶやいた。(中略)

「アシストを徹底的に働かせること、それが勝つためには必要だ。自分のために働かせて、苦しめるからこそ、勝つことに責任が生まれるんだ。奴らの分の勝利も、背負って走るんだ。わかるか」ぼくは頷いた。賞金こそ分配されるが、勝者として記録に残るのはたったひとり、エースの名前だけだ。それが、ほかの団体競技と自転車ロードレースの違いである。

「あいつはまだその覚悟がない。あれでは勝てない。運がいい日以外はな」

 

エースとなるにはふたつの条件が必要である。

ひとつ目は勝利に執着し、がむしゃらにゴールを目指すことだ。すくなくとも伊庭はこの条件に当てはまる。スプリンタとしてゴールに向かって躊躇なく突っ走ることができるのは『サクリファイス』を読んだら十分にわかるはずだ。

しかし、もうひとつの条件であるアシストを徹底的に働かせることの方は満たせていない。アシストを徹底的に働かせることにためらいがあるのだ。

石尾さんの言っていることは一見非情のように感じるが、事実であり、エースとしての義務でもある。エースはアシストを使いこなすことと引き換えに、彼らの想いを背負って勝利を掴みとらなければならないのだ。

『サクリファイス』をじっくり読めば上手にキャラクターを描いていることがわかってくる。

一見アシストに徹しているように見えるが、勝つことに意味をみいだせず葛藤する誓、エースとして抜群の力を持つが、アシストを犠牲にすることが勝利に結びつくことをいまひとつ理解していない伊庭。

そして、サクリファイスのキー人物であり、ロードレースの残酷さを知る石尾豪。エースである彼が犠牲になることで、ロードレースの残酷さ、勝利することの尊さをふたりに教えるのだ。

こう書くと石尾さんがロードレースのすべてを知っているように思えるが、そんなことはない。彼も新人のころはこの真理を知らなかった。『サヴァイブ』の第4章レミングでこんなシーンがある。

 

おまえにはわかるのか?一生ゴールを目指さずに走り続ける選手の気持ちが

エースであり暴君だった久米がチーム・オッジから去り、単独エースとなった石尾さん。チーム内に平穏が訪れたと思いきや突如石尾さんがトラブルに巻きこまれることになる。

とある土曜日に開催されたレースのことだ。このレースはプロとアマが入り混じる大会で、順当に行けば石尾さんが勝つと言われていた。

しかし、石尾さんは初日に補給ポイントで突如失速。結局リタイアをしてしまった。

当初は「石尾は調子が悪いのだろう」と思われていたが、のちにそれは違ったことが判明する。

ロードレースの選手はレース中に補給食を食べなければならない。石尾さんは偏食ということもあり、彼のために作られた特別な補給食が用意されている。

しかし、この補給食が用意されていなかったのだ。補給食を食べれなかった石尾さんはレース中に力尽きた。

さらに二日目にもトラブルに見舞われる。二日目のレースは天候が悪くなり、レース途中に雨が降ってきた。こういうときのために選手はウィンドブレイカーをスタッフからレース中に受け取り着用する。

しかし、石尾さんのウィンドブレイカーの袖が固く結ばれており、簡単に着れないように細工がされていた。

ウィンドブレーカーを着用できなかった石尾さんの体温はあっという間に下がり、身体の機能は低下、結局、順位を下げた。

明らかにだれかのしわざだったが、やられた本人である石尾さんはめんどくさそうに「赤城さんには関係ない」と言い放った。

赤城さんは怒りを抑えられずにこう言った。

 

「関係ないだと?たったひとりで戦っているつもりか?」勝手に口が動き出す。止められなかった。

「そんなに偉いつもりなのか?」待合室中の視線が、こちらに集まっていることには気づいたが、そんなことはどうでもよかった。

「おまえにはわかるのか?一生ゴールを目指さずに走り続ける選手の気持ちが」石尾がはっとした顔になった。

そう、アシストはゴールを目指さない。ゴールなど見えない。たとえ、ゴールゲートに辿り着いても、それはなんの意味もない。

先も見えず、ただひたすら走り続ける。それでも耐えられるのは、エースがゴールに飛び込んでくれると信じているからだ。

 

すくなくとも石尾さんはこのときまでアシストの悲痛な想いを知らなかっただろう。

おそらく赤城さんのようにアシストの想いをここまで正直にぶつけてくれる相手が今までにいなかったのだ。

だからこのときはじめて気づいたのだろう。自分のポジションは多くのアシストが犠牲になって成り立っているのだということを。

そして、エースはアシストの嫉妬や夢を踏みつけてなにがなんでもゴールを目指さなければならないということを感じたのだ。

 

石尾豪は死ぬことを恐れなかったのか?

『サクリファイス』を読み終えて、最初に思ったのは「死ぬ瞬間石尾さんはなにを考えたのか?」だった。

石尾さんが袴田さんから一連の企てをリエージュルクセンブルクで明かされたとき、笑ったのを覚えているだろうか。

 

赤城「あの日、最初の峠を越えたあたりから、急に石尾の調子が悪くなった。息が荒くなり、ペダルを回す足も鈍かった。疲れが出るのには少し早い。もともと、朝から体調がよくなかったのかもしれないと思った。だが、袴田と話したあと、急にそれが変わったんだ」

誓「変わった?」

赤城「袴田とことばを交わした後、彼はボトルの水を飲みながら、速度を上げて、俺に追いついてきた。それまでの不調が嘘みたいだった。そのとき、あいつは笑っていた」

 

なぜ彼は笑ったのか?

してやられたという敗北の笑いでもないし、石尾さんにその企みを話す袴田さんの詰めの甘さに対する笑いでもない。

モヤモヤした気持ち悪さが拭えた爽快感からきた笑いだったと思う。

おそらく石尾さんは篠崎さんがボトルにエフェドリンを入れていたのを見てはいない。だとすると、ボトルを口にしようとしたときに違和感を感じたのだろう。身体の感覚が鋭いひとだから、いつものボトルではないと思い、口にしなかったのだろう。

喉の渇きに耐えながら走り、袴田さんから一連の企てを聞いて、こう思ったはずだ。

「モヤモヤが晴れたよ、おまえだったのか。やっと水が飲める」と。

そこには袴田さんに対する恨みはなかっただろうし、このときにもう自分の運命がどうなるかわかったのだろう。

白石誓と伊庭和実を救うには、自分が犠牲になるしかないということに。

まあありえない展開なんだけど、もし誓が天国に逝ったら、石尾さんに感謝するだろう。自分の身を捧げて、勝利の尊さを教えてくれた彼に。

しかし、石尾さんはこう返すだろう。

 

 

「おれは自分の仕事をしただけだ。感謝する必要はない」と。