読書めも

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湾岸戦争でイラク兵の捕虜となった女兵士《イラク軍に囚われて 米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語》

イラク軍に囚われて―米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語

イラク軍に囚われて―米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語

 

 

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イラク軍に囚われて 米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語』を読んだ。本書は湾岸戦争で捕虜となったひとりの女性航空医官の物語である。

航空医官の仕事はヘリコプターに乗り、戦場の最前線にいる兵士を治療すること。時には味方のヘリや戦闘機の墜落現場に急行し、パイロットや乗組員の救助活動も行ったりする。

コーナム少佐は軍の司令を受け、味方のヘリの墜落現場に向かったが、イラク軍の攻撃を受け、捕虜となった。

捕虜と聞くと、敵からのすさまじい拷問を受けるイメージだが、コーナム少佐はそのような扱いをイラク兵から受けることはなかった(とはいえ、移送中にイラク兵からレイプされそうになっている)

航空医官だからか、本書では医学的な小ネタがいくつも出てくる。たとえば、湾岸戦争ではイラク化学兵器に対して化学兵器用スーツがつくられたが、実用的なものではなかったことなど。

 

私たちの使用する対化学兵器用のスーツは、化学物質から体をよく保護するように作られてはいるが、厚手であるため、これを八月につければ、兵士は化学物質よりは、むしろ熱射病で死亡する可能性があった。(中略)

私にはどうなるかはっきりわかっていた。人々はみな蒸し焼きになるのだ。このスーツはかなり厄介だったが、よく訓練された兵士なら化学兵器の攻撃ではほとんど死なないだろう。死ぬことがあるとすれば、動きの不自由なものを着ていてさらに前方がよく見えず、電柱柱か砂丘にでも突っ込んでしまうことだが、化学剤で死ぬことはまずない。

 

この化学兵器に対する訓練もアメリカ軍で行われたが、実際に化学兵器は一度も使われることはなかった。

航空医官の仕事は、戦闘で負傷した兵士や伝染病にかかった兵士を治療するだが、一方で病やケガの予防も仕事のひとつである。

 

私はもう一つ、避妊担当将校の役を引き受けた。私は種類の違う避妊薬をかならず準備させた。このことについて誰も考えていないようだったからだ。私はたくさんのコンドームを兵士たちに配った。だが、どうも彼らは砂よけにライフルの先にかぶせていたようだ。私は、兵士たちの間でセックスがさかんに行われているか、もしくは駐車場のなかで、どこかセックスができるところを探したかのかなどと、問うつもりはなかった。それはすべて個人の問題だからだ。

 

戦場での性行為はご法度だが、戦争がはじまれば半年から長くて数年はその地で拘束されるのだから、性欲的な話がでてくるのは当然だ。しかし、コンドームをライフルにかぶせていたのには笑った。

 

本書は全部で12章まであり、最終章にコーナム少佐が女性兵を戦闘に参加させることを強く主張している。

知らない方もいるかもしれないが、湾岸戦争当時はもちろん、ごくごく最近までアメリカの女性兵は戦場の最前線に行くことは許されなかったし、就ける職務の幅も狭かった(仕事の多くが後方支援)

くわしくは『アシュリーの戦争』を読んでほしい。

 

yukiumaoka.hatenablog.com

2016年の1月になってようやくすべての女性兵が地上戦闘に参加することができるようになったが、その道のりは長かった。

湾岸戦争がはじまったのが91年、この『イラク軍に囚われて』が出版されたのが翌年の92年。じつに24年の歳月がかかっている。

コーナム少佐のその後が気になったので、グーグルで検索をかけてみたところ、どうやらまだ軍に所属しているらしい。しかも、少佐から准将に出世していた。

彼女のこれからの活躍を祈るばかりだ。

読書めも

湾岸戦争をきっかけに女性兵士の台頭が進んだ。

→四万一千人近くの女性が活躍。ー医師、看護師、パイロット、整備士、トラック運転手、コック、事務官、情報将校、通信技師、そのほか多くの専門職として働いた。

・戦闘で死亡する兵もいるが、病で亡くなる兵士も多い。

赤痢、伝染病などなど

高校時代すきなひとの似顔絵をノートにコソコソと書いていた黒歴史があるけど、紅白に出場できたでござる《芸人前夜 中田敦彦》

natalie.mu

「PERFECT HUMAN」で一躍有名になったRADIO FISHが今年の紅白歌合戦に出場するらしい。

お笑い芸人が紅白に出場するのはそんなにめずらしいことではない。

とんねるずダウンタウン浜田雅功をはじめ、藤井隆、ガレッジセールのゴリ、はなわテツandトモ波田陽区も過去に出場している。
 

 

RADIOFISHが紅白に出場できたのは「PERFECT HUMAN」がヒットしたからだろう。「PERFECT HUMAN」がリリースされたのは去年の年末なのだが、そのときまさか紅白に出場できるなんて本人たちは思っていなかったはずだ。

今でこそ3000万再生を突破した「PERFECT HUMAN」だが、リリース直後に反響があったわけではない。地道に活動をつづけ、フジテレビ系の番組『ENGEIグランドスラム』に出演したことをきっかけに爆発的にヒットした。

ちなみに「PERFECT HUMAN」の歌詞は藤森さんが書いているのだが、この曲をつくるきっかけとなったのは、相方の中田さんからあるひとつのオーダーが届いたからだ。

そのオーダーは「とにかくおれを褒め称えろ、そしてPERFECT HUMANだけを言わせてくれ」というものだった。

そんなむちゃくちゃなオーダーを受け、藤森さんは1日で「PERFECT HUMAN」の歌詞を書き上げた。

3000万再生を突破させた歌詞を一日で書き上げるところに、藤森さんのアーティストとしての才能を感じる。

 

これで4度目のブレイクといわれているオリエンタルラジオ

一回目は武勇伝、二回目はチャラ男、三回目はラッスンゴレライの完コピ。このままアーティスト路線で突っ走るのか、それともまたべつの策を講じるのか気になるところではある。

 

芸人前夜 (ヨシモトブックス)

芸人前夜 (ヨシモトブックス)

 

 

前置きが長くなってしまったが(前置きにすらなっていない)、中田敦彦さんが書いた「芸人前夜」を読んだ。

本書は中田さんの自伝的小説であり、彼が生まれてからNSC(養成所)を卒業する直前までを描いたものだ。

本書の見どころは中田さんが青臭くてカッコ悪い、これに尽きるだろう。

武勇伝で藤森さんが言う「あっちゃんカッコイイ〜」ではなく、「あっちゃん、カッコ悪い〜」だ。頭脳明晰でスターのオーラを身にまとった中田さんのダサいエピソードが山ほどでてくる。

 

【中田さんのダサいエピソード】

・高校時代に想いを寄せた相手の似顔絵をひたすらノートに書く

・その子の持ち物を観察してデータをノートにまとめる

・初デートでデート相手と1対1の野球を延々と繰り返す

・寝取られた彼女の男をなぐって手の骨が折れる

・その男にケガの心配をされる

 

中田さん自身もあとがきでこう語っている。

 

実を言うと、この小説まがいのものは連載が終わってから、しばらく眠っていた。連載完結さあ出版となったところで一度その話がストップしたのだ。ストップしたというより、ぼくがストップさせた。何を隠そう「恥ずかしかった」のだ。この自叙伝まがいのお話が。書いたうえで申し訳ないが恥ずかしくなってしまったのだ。あまりにも自分の青い時期の青さがきつすぎて。世にそれを出すことはもう恥辱の散布でしかないと感じたのだ。

 

本人も認めるほどの恥ずかしいエピソードがたくさん詰まっているのだが、もちろんそれだけではない。

オリエンタルラジオをブレイクに導いた武勇伝が生まれるきっかけや相方の藤森さんとの出会い、NSC在学中にもかかわらずM-1準決勝まで行ったエピソードやテレビ出演が決まっていた話ーー

そのなかでも武勇伝のネタが生まれ、どんどん改良されていく様子が描かれているのはすごくよかった。

「あぁ人気が出るネタってこういうふうに作られていったんだぁ」と思った。

 

「なあ、登場するまでただ歩くだけだったら普通だから、変な歩き方で出て行こうぜ」「なあ、ネタの終わりに次回予告つけようぜ」「なあ、歌舞伎っぽいことしたいなあ。歌舞伎みたいに見得切ろうぜ」「カッキーンっていう擬音、ヒーローっぽくていいよな。使いたい。」

「今日大学の帰り道にさ、いい歌考えたんだよ。さわやかなメロディーでさ、どうしようもない歌詞つけてさ」「なんかもうラップみたいな感じもいいかもな」「踊ろうぜ。これ、変な動きだろ。でも真似しやすいだろ。どう?」

 

かれらの原点ともいえるNSCでの出来事がありありと書かれている。「かれらはこうやってスターへの道を駆け上がっていったんだなぁ」と感じることができるだろう。

お笑いが好きなひとにプレゼントしたい一冊だった。

さらば、野球界のジャイアン〜38歳で二冠王に輝いた男〜《さらば、プロ野球〜ジャイアンの27年 山﨑武司》

剛田武、通称『ジャイアン

のび太のクラスメイトであり、ドラえもんの悪役的ポジションに座るキャラクターだ。「お〜れはジャイア〜ン、ガーキ大将♪」ではじまるお馴染みのBGMは彼のテーマソングだ。

ちなみにあのBGMは3番まで作られており、CDも実際に販売されている。BGMのタイトルは『おれはジャイアンさまだ!』

 

おれはジャイアンさまだ!

おれはジャイアンさまだ!

  • SKA-Vibrators
  • J-Pop
  • ¥150

www.utamap.com

野球界にもそんなジャイアンと呼ばれた人物がいる。

山﨑武司。中日→オリックス楽天→中日と経て、2013年に現役を引退。こうして27年間の現役生活に別れを告げた。

ところで、なぜ彼がジャイアンと呼ばれているのか。それは彼にまつわるエピソードを知れば、おのずと分かるだろう。

 

さらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年

さらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年

 

 

山崎武司ジャイアンエピソード】

・鉄拳制裁で恐れられていた星野仙一監督に対して「おっさん、ボケ!俺を使えば打てるんじゃ!!」と暴言を吐く

・2軍戦で第一打席だけ打って、試合序盤に許可なく自宅へ帰る

・「こんなチームでやってられんわ」と吐き捨て、監督室のドアをバットで殴る

・球団社長に「これ以上中日にいたら、傷害事件を起こしてしまうかもしれない」と言って、オリックスに移籍

オリックス時代、監督に暴言を吐いてこれまた自宅へ帰る

 

ちなみに、ぼくはひとつ目の出来事をリアルタイムで見ていた。あれは、1999年9月26日、ナゴヤドームで行われた阪神戦のことだ。

首位を走る中日はこの阪神戦に勝利し、優勝へのマジック5としたかった。試合は2-1と中日がリードし、9回表にクローザーの宣銅烈を投入。

勝利は確実かと思われたが、阪神の助っ人外国人マーク・ジョンソンが3ランホームランを放ち、2-4となり、敗北ムードに。

このときのことをはっきりと覚えている。ぼくは内野席で観戦していたのだが、このホームランの後にたくさんの中日ファンが席を立ち、うなだれるように帰っていった。まだ9回の裏に中日の攻撃があるにもかかわらずだ。

しかし、その裏に山﨑武司がスリーランホームランを放ち、まさかのサヨナラ勝ち。名古屋ドームは一気に中日ファンの歓声で包まれた。

 

実はこの時、僕は猛烈に苛立っていました。調子は悪くないのにスタメンから外れる日が目立つようになり、怒りの矛先はいつしか星野監督へと向けられていったのです。
相手ピッチャーの福原忍から豪快なホームランをレフトスタンドに叩き込んだ僕は、ダイヤモンドを一周する前にベンチを力強く指さし、大声でこう叫びました。


「おっさんボケ!俺を使えば打てるんじゃ!!」

 

まあ傍から見ていれば、笑える話なんだけど、監督からすればめんどくさい選手だわなぁという感じ。

 

たしかふたつ目のエピソードをどこかのバラエティ番組で話していたんだけど、試合を放棄したあとに建築中の自宅に帰って、大工さんと談笑。「大工さんが家をつくる過程を毎日見てたんで、ぼく自身が家つくれるくらい詳しくなりましたよ」って言っていたのには笑った。

そんな自由きままに野球生活を送っていたのにもかかわらず、「なんで27年も現役をつづけることができたの?」と思うかもしれない。

答えはかんたんで、圧倒的な才能の持ち主だったからだ。

バッティングの基本のひとつに、相手ピッチャーの球種を読むというものがある。これはほとんどのひとが知っていることで、基礎中の基礎のことなんだけど、山崎さんはまったく知らなかった。

読んでいてびっくりしたんだけど、楽天にくるまでの19年間、来た球を打つというスタンスでバッティングに取り組んでいたらしい。つまり、変化球だろうがストレートだろうと関係なく、とりあえず打っていたわけ。

まさに本能で野球をやっていたのだろう。そのスタイルで96年にホームラン王を獲得したのだから、天才としか言いようがない。

野球界のジャイアンは引退した。現在、評論家として日本各地で講演を行っているらしい。しかし、いつか野球界に帰ってくるだろう。帰ってきたあかつきには野球界で存分に暴れまわってもらいたい。