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楠木正成がカッコよすぎる《室町人物伝 楠木正成 コミック版日本の歴史》

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東京駅からすこし離れたところにある皇居。徳川幕府の居城(江戸城)であったものが、明治元年(1869年)10月に皇居となった。夏の皇居前広場は、たくさんの緑が広がっている。その緑あふれる広場のなかに、馬にまたがり鎧兜を身につけたひとつの銅像がある。

 

楠木正成

 

鎌倉時代末から南北朝時代を駆け抜けた高潔な武将。今日はその楠木正成がいかにカッコイイ武将であったか、ということについて紹介する。

室町人物伝 楠木正成 (コミック版 日本の歴史)

室町人物伝 楠木正成 (コミック版 日本の歴史)

 

生まれ

楠木正成が生まれたのは1294年。元寇後、武士たちにじゅうぶんな恩賞を与えなかったため鎌倉幕府の権威が大きく失墜していたころのことだ。当時、幕府を取り仕切っていたのは第14代執権の北条高時。が、しかし酒や遊びにふけったため、世の中の秩序はますます乱れる一方だった。

悪代官から民を守る正義のヒーロー

そんな世の中だったため、幕府に無断で地頭(土地の管理人)が各地で農民に重い年貢を課し始める。

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苦しめられていた民を守るために、楠木正成は悪党と呼ばれる武装集団となって彼らに対抗する。

8万の軍勢を1000人で退ける

そんななか、世を正すために幕府に挙兵したのが後醍醐天皇だった。ところが、後醍醐天皇のもとに集まった兵士はごくわずか。この窮地に駆けつけたのが楠木正成。彼は幕府に対して戦うことを決意する。ところが多勢に無勢、徐々に後醍醐天皇側は幕府に追い詰められていく。

そして、千早城(大阪)にいた楠木正成は8万の軍勢に取り囲まれる。対する楠軍は、1000人だったと言われている。その8万の軍勢に対して様々な戦法を使い、やがて8万の軍勢を撤退させることに成功した。

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どんなことがあっても裏切らない忠誠心

楠木正成の活躍や足利尊氏新田義貞らの離反により、幕府軍は窮地に追い詰められ、とうとう鎌倉幕府を倒し、後醍醐天皇による建武の新政が始まった。ところが、後醍醐天皇は武士よりも公家や神社をひいきし、朝廷に対して武士たちの不満はたまっていった。

しだいに朝廷の言うことを聞かなくなった尊氏に対して、後醍醐天皇は討伐の命令を新田義貞楠木正成に出した。このとき何度も朝廷に対し有力な進言をしても退けられたり、よい待遇を受けなかったにもかかわらず、正成は朝廷側に尽力した。

最初こそ優勢だった新田・楠木軍だったが、徐々に尊氏軍に押されていった。そして、ぜったいに負けるとわかっていながらも、自軍700騎を率いて、3万5000騎の尊氏軍に挑んだ。これが湊川の戦い

圧倒的有利な尊氏軍だったが、一気に正成軍を攻め落とすことはしなかった。これはかつて共に倒幕のために戦った正成の命だけは助けるために、降伏するのを待っていたとも言われている。

しかし、正成軍は果敢にとつげきを繰り返した。力尽きた正成は残ったわずかな兵とともに近くの民家に身を潜めたが、尊氏軍に包囲されたことを知りその場で自害した。

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ちなみに楠木正成についてはじめて知ったのは、小学6年生のころ。通っていた公文式にあった学研まんがをよんだのがきっかけだった。なつかしい。

楠木正成 (学研まんが人物日本史シリーズ)

楠木正成 (学研まんが人物日本史シリーズ)