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なぜ日本の審判は弱いのか?《プロ野球審判 ジャッジの舞台裏 山崎夏生》

プロ野球審判 ジャッジの舞台裏

プロ野球審判 ジャッジの舞台裏

 

プロ野球の審判とは、なんとも酷な役回りだ。

誤審をすれば大バッシングされ、正しいジャッジをしてもだれからも称えられることはない。しかも、給料はプロ野球選手にくらべれば決して多いとはいえない。

いわば、黒子のなかの黒子。しかも、嫌われものの黒子といったところか。

しかし、その審判の門をたたく人は多い。一軍審判になったとしても、シーズン途中で退職をせざるえない人が多いにもかかわらずだ。退職の理由の多くは、健康上の理由。心臓疾患や内臓疾患、腰痛、膝痛、視力異常などなど。定年までこの仕事をつづけられる審判は半分にも満たない。

そんな審判をどうして仕事にするのか、なぜ審判という道をえらんだのか、ぼくには不思議でならない。

著者の山崎さんは審判の醍醐味をこう述べている。

その魅力とは何でしょうか。それはまず、大観衆の前で自分の右腕一本がすべてを決める権限を与えられていることです。2死満塁フルカウントからのこの一球、「ストライーック!」。三遊間奥深くから矢のような送球、ランナーが必死の形相で一塁へ駆け込む、「ヒーザウト!」(He is out!)。ジャッジの前にある誰もがかたずをのむ一瞬の静粛、それをつんざく自らのコール。その直後に沸き上がる大歓声には心底しびれました。まさに今、自分のこの右腕が試合を仕切っているのだ、と実感できます。(中略)

さらに野球人として、その時代のプロの最高級のプレーを最も間近に見られる喜びがあります。球場内で最高の特等席にいるのです。野茂のフォークや伊良部の豪速球、イチローのレーザービーム、カブレラの超特大ホームラン、松坂の消えるスライダー、ダルビッシュの高速変化球などなど、新潟の田舎で生まれ育ち、大学で補欠選手だった身には一生、無縁のはずでした。それがたまたまこの審判のユニフォームを着ていたからこそ、目のまえで見ることができたのです。

よくよく考えてみれば、プロの選手とおなじグラウンドに立つことが許されるのは審判だけだ。その一流の選手のプレーをみれるこの最高の席は、だれも買うことはできない。たとえ、それが億万長者であっても不可能だ。なんだかそういわれると、審判という仕事もわるくないと思えてくる。

でも一方で、じぶんの右腕一本で試合が左右されることを考えると、それならば自分は白球を追いかけたいなあと思う。もしくは、白球を外から眺める側に立ちたい。決して、その最高の景色を眺めることができる席に陣取るような役割をしたいとは思えない。

事実、審判という仕事は肉体的にも精神的にも厳しいものだ。山崎さんは、27年間で3人の審判の死を見てきている。皆、働き盛りの40代のころに亡くなったという。

なぜこんなに厳しい世界なのか。それは、審判の扱われ方に関係している。「審判は絶対」という言葉があるが、日本の審判の扱いは軽い。誤審をすれば、それこそマスコミを中心に騒ぎたてられ、観客からは罵声を浴びせられ、自身のキャリアにも傷がつく。

一方で、アメリカの審判は、観客からもマスコミからも敬意を払われている。それこそ、解説者が「ナイスジャッジ!」と褒め称える文化が形成されている。

日本の審判には権威がなく、アメリカの審判には権威があるのだろう。きっとそういう違いも審判が途中でリタイヤすることに関係しているのだろう。

そんな審判のありとあらゆることを知れる内容となっている。野球ファンにとっては、きっとたまらない一冊だろう。

メモ

・編集がすごくいい

→黒子な存在である審判を、黒子っぽく取り上げている。具体的には、山崎さん個人の話のページを第3章にもってきていること(しかも、ボリュームがすくないし、読み手がところでアンタだれだっけっていう疑問が生まれるときに山崎さん個人の話が出てくるところが絶妙)。第1章が名選手列伝、第2章で数々の判定シーン。第1章で多くのひとが知っている選手の逸話や審判にしか知りえないエピソードでのつかみがすごくいい。

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