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あの日、ワールドトレードセンターでなにが起こっていたのか《9月11日の英雄たち―世界貿易センタービルに最後まで残った消防士の手記 リチャード・ピッチョート》

9月11日の英雄たち―世界貿易センタービルに最後まで残った消防士の手記

9月11日の英雄たち―世界貿易センタービルに最後まで残った消防士の手記

 

内容(「BOOK」データベースより)

同時多発テロに見舞われた世界貿易センタービルへ市民救助のため捨て身の突入を敢行、崩壊するビルの何千トンもの瓦礫の下敷きになりながら奇跡の生還を遂げた消防大隊司令官が自ら語る、「グラウンド・ゼロ」内部からの驚異と感動のリポート。

感想

どこかの偉人がこんなことを言っていた。「人生は、選択の連続だ。そして、時には困難な選択を迫られることがあるだろう。そのとき、ひとは決断をしなければならない」と。

 

2001年9月11日。4機の旅客機がハイジャックされ、そのうち2機がワールドトレードセンター(世界貿易ビル)に突入し、爆発炎上した。本書はそのワールドトレードセンターで、最後まで救助活動を行っていたひとりの消防士(リチャード)の手記である。

リチャードは刻々と時間が迫るなかで決断をしなければならないシーンに何度も直面する。消防士は緊迫するなかで、決断をくだす場面が多い。ときに判断を誤れば自分のいのちや仲間のいのちを危険にさらすようなこともあれば、ひとつの決断がひとりのひとを救うこともできることだってある。リチャードはのちに南タワーが崩壊したときに、決断を迫られることになる。

ここらでワールドトレードセンターについて説明していこうと思う。ワールドトレードセンターは1972年に完成し、当時世界一の高さを誇るビルとして注目を集めた。7つのビルに分かれており、1日の勤務者は5万人を超えるといわれていた。本書の主人公であるリチャードが突入した建物は、北タワー。

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リチャードはここで救助活動をし、三十五階までかけのぼる。ところが、三十五階のエレベーターホールで、リチャードは立ち止まった。なぜなら、ものすごい轟音が近づいてきたからだ。そのとき、その場にいた皆がじぶんの死を覚悟したという。

タワーは、まるで、地震か、遊園地のジェットコースターが暴走したかのように揺れていたが、私が恐怖で凍りついたのはあのすさまじい音のせいだった。そのあまりの力。それが私の体のど真ん中を駆け抜けたときの感覚。あんな音をたてるのがいったい全体何なのか、私には想像もつかなかった。1,000台もの暴走列車が突進してくるようだ。あるいは野獣の群れが。ジェットコースターが高みから増していることは確かだった。(中略)

考えるほどの時間すらないときに限ってあらゆる考えが頭に浮かぶというのは、妙なものだ。たしかに女房と子供たちのことが頭をよぎったが、それは一瞬のことで、なにも人生が走馬灯のように目の前を駆け抜けたというわけではない。仕事のこと、もう少しで消防局長になれそうなこと。消防署のキッチンのカウンターに置きっぱなしのベーグルのこと。

ところが、轟音が鳴り響いてもじぶんたちは生きている。じぶんのいる建物が崩れた様子はない。リチャードは無線機で、指令本部に状況を確認した。だが、返事はない。いったい何がおこったのか。永遠のような数秒間がたった後で、指令本部から応答があった。

「(南)タワーが崩壊した」と。

その言葉を皆、理解できなかった。窓から様子を確認しようとするも、北タワーから南タワーの様子を見ることはできなかった。南タワーには、じぶんたちが知っている多くの仲間たちが救助活動をしている。信じられない、かれらは皆死んだのか?しかも、ここはワールドトレードセンター。世界のなかでも指折りの優れた建築物なのだ。崩れることなんてありえないはずだ。

そして、皆は、時間が経つにつれ、この事態を把握しはじめる。南タワーが崩壊したということは、北タワーだって崩壊するかもしれないということに。

だが、ワールドトレードセンターは35階建てのビルではない。110階建てのビルだ。上には、救助を必要とする人々がいるかもしれない。

大隊長であるリチャードは、決断を迫られた。上へ向かうか、回れ右をして下りるか。しかも、指令本部に無線で判断をうかがっても返ってこない。どうする、リチャード。

「退避だ!」私は叫んだ。「動け!マスクを捨てろ!装備も捨てろ!すべて捨てろ!退避だ!行くぞ!」私はエレベーターホールから三カ所の階段それぞれに走り、上下の空間に向けて拡声器で叫んだ。「下りろ!下りろ!消防局だ!退避するぞ!行け!行け!」

この決断はリチャードにとって苦渋な決断であり、はじめて退避を命じることでもあった。そのときの様子をこう書いている。

今になって思い出しても、「退避」という言葉は嫌なものだ。普段は決して使わない言葉だ。前にも言ったが、戦うか逃げるかという状況では、私なら戦うからだ。常に、最後まで徹底的に戦う。それには何の疑いもない。しかしこのときは自分一人ではなく、多くの命に責任があった。

上の階で生存者を見つけられるかもしれないという少ないチャンスと、下の階にいる数百人の消防士が助かるという大きなチャンスとを天秤にかけなけれなならなかったのだ。私に選択の余地はなく、自分たちの命を救うために上へ向かうことをあきらめなければならなかった。(中略)

まだなかに人が残っていると知りながら燃える建物を後にしたことは、それまでに一度だってなかった。(中略)

だが、もしあそこにいたのが私一人だったら、おそらく捜索を続けただろう。だが、私一人ではなかった。数百人の消防士と警官、湾岸曲救難隊、救急医療隊員、そして地上では彼らが無事に帰ってくることを祈る家族たちがいる。世界じゅうが見つめていた。一枚の巨大な映像のなかに、あらゆる状況と希望とがごたまぜになっているのだ。

あなたがもしリチャードと同じ場面に遭遇したら、どのような決断をするのだろうか。リチャードと同じ決断をするのか?それとも、上の階に行き、生存者をさがしに行くのか?

 

この場面以外にも決断の重みを感じさせられるシーンがある。

9.11のテロで3000人ちかく亡くなったといわれている。そのなかで消防士は343名亡くなった。しかも、その343名のうち60名以上はその日、非番だったという。行く必要はなかったのに、皆行かずにはいられなかったのだ。そして、救助活動をしているなかで、命をおとした。

消防士は、ひとつの決断がじぶんの命をおとすことになるかもしれない職業だ。だが、じぶんが消防士の立場で非番だった場合、ひとを助けにいくことができるだろうか。そんなことをぼんやりと考えてみたが、当然答えはでなかった。

 

9.11のとき、ワールドトレードセンターでなにが起こっていたのか、現場はどんな状況だったのか。きっと読みおえたときに、消防士がみた9.11の1日がどんなに壮絶な日だったかを感じることができるだろう。

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