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夫婦ふたりで挑んだ世界記録《ダイブー水深170メートルに逝った愛 ピピン・フェレーラス》

ダイブ―水深170メートルに逝った愛

ダイブ―水深170メートルに逝った愛

 

内容(「BOOK」データベースより)

海は人生のすべてだった。名誉も、豊かさも、自由も、そして愛も、すべて海がくれた。運命的な出会いが、ピピンとオードリーを結びつけた。その日から、ふたりの人生と魂はひとつになった。過酷なダイビングのせいでドクターストップのかかったピピンに代わり、若く美しい妻オードリーが170メートルの世界新 紀録に挑戦したとき、悲劇はおきた…。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

フェレーラス・ピピン、1962年、キューバに生まれる。のちにアメリカに亡命。4歳から海に潜りはじめ、スピアフィッシングを経て、フリーダイビングの世界へ。1987年にはじめて挑戦した「コンスタント・ウェイト」で深度67メートルを記録して以来、世界記録を次々と塗り替えてきた。「ノーリミッツ」で到着深度170メートルという人智を超えた天才ダイバーである(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

感想

 沈没船に潜り、冒険の証として磁器や海図、舵輪などの遺物を持ち帰るスポーツ、レックダイビングに身を捧げたオトコたちを描いた「シャドウ・ダイバー」を2月に読んだ。あのとき、海の怖さを感じたのをよく覚えている。

 

 ダイビングといっても、ひとえにエアタンクを背負って潜るだけがダイビングではない。じつは、数十種類の種目がある。本書で登場するのは、ノーリミットと呼ばれる種目だ。ノーリミットとはフリーダイビングの種目で、一回の息だけでひたすら深みをめざして潜るスポーツだ。

おもりをつけた装置(スレッド)につかまって、海の奥深く潜っていく。目標の深さに到達したら、浮上用のブイをふくまらし、急スピードで浮上する。往復で300メートルもの距離を、わずか3分で深海まで行ってもどってくるという苛酷なスポーツだ。

 ノーリミットは、ほかの種目とすこし異なった特徴がある。それは、エアタンクを背負わないことだ。つまり、水中でいかに息を止めることができるか、また地上にどれだけ速くもどってこられるかが勝負のカギとなる。ダイビングについてくわしい方は知っているかもしれないが、ノーリミットはエアタンクを背負わないのでベンズ(減圧症)は発症しない。

ベンズとは

 

通常わたしたちが吸っている空気は、五分の四が窒素、五分の一が酸素だ。ふつう窒素は肺から血のなかに溶けだして、自然に排出されていく。タンクをしょってダイビングをする場合、深いところでは水圧の関係で圧縮された空気を吸っていることになる。

 

つまり、酸素も窒素も地上よりもたくさん体に入ってきている。そして、体のなかに通常よりもたくさん窒素がたまったまま、深いところから急速にあがっていくと、排出しきれない窒素が血液のなかで気泡となり、血流をさえぎったり、神経を圧迫したりするのだ。

 

ずっと振り続けていたソーダやビールを考えるといい。いきなり缶をあけると、ふいに圧力が軽減され、はげしく発砲してあふれてくるだろう。あれと同じだ。

 

血液の中に溶け込んだ大量の窒素が、急に浮上するとガス化してこれと似た反応をする。血液、関節、脊柱、脳などにまで、さまざまな場所を見つけて入りこんでくる。ダイバーは目が見えなくなり、麻痺し、窒息することもある。

 ノーリミットではベンズは発症しないが、ブラックアウトと呼ばれる現象がアスリートたちを苦しめる。ブラックアウトとは、限界を超える息絶えにより脳が極度の酸欠状態に陥り、気絶、失神すること。すぐに呼吸できる環境に移せばほとんどの場合は数秒で回復するが、ブラックアウトしたままの状態でいると死亡する可能性がぐっと高まる。どちらにせよ危険を伴うスポーツであることにはかわりない。

 

 本書は、悲劇の物語だ。そして、あとあじが悪い結末となっている。サブタイトルを見たらなんとなく察するひとがいるとおもうが、ピピンの妻であるオードリーはピピンの記録に挑戦しようとし、海で命をおとす。アマゾンのレビューに、「感動した!」「魅了された」と書かれていたけど、ぼくには哀しいきもちしか残らなかった。

 なぜなら本書は、決して美談ではないとおもっているから。そもそもぼくはピピンに対して感情移入することはできなかった。記録しか追い求めず、自分の成し遂げることができなかったことを妻であるオードリーに挑戦させるように誘導した人物にしか見えないのだ。

 これが完全にオードリーひとりで決断し、挑戦した結果、亡くなったというなら、ピピンに対して感情移入することはできただろう。でも、ピピンはオードリーが記録に挑戦しようと、ところどころで誘導していた(とぼくは思っている)。

 

 ピピンはオードリーを亡くし、茫然自失の状態になった。だが、なんとか立ち直り、オードリーの命日に自身の世界記録に挑戦し、新記録を樹立する。そして、新記録を樹立したピピンに対してオードリーが天国から微笑みかけるというキレイな感じで物語は終わりをむかえる。だけど、ぼくはどうしてもおもってしまう。「オードリーを弔うことが新記録に挑戦することだったのか」と。

自分メモ

・アンビリーバボーで放送

ピピンの現在は?

・ノーリミットは、短距離走レックダイビングは、長距離走のような感じ。