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なぜギロチンは生まれたのか?《死刑執行人サンソンー国王ルイ16世の首を刎ねた男 安達正勝》

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

 

 タイトルを見たときに、「極悪非道のひとなのかなぁ」とか「フランス革命を起こしたリーダー的なひと?」とか思っていた。だが、サンソン家の人々は"死刑執行人"や"ルイ十六世の首を刎ねた男"といったキーワードから連想されるようなひとではない。

 むしろ、きわめて真っ当な人柄。医業を副業とし、多くのひとの命を救ってきた。また、貧しい者からは治療費を一切請求しなかった。

 本書では、六代に渡って処刑執行人を仕事として続けてきたサンソン家がどのように生きてきたかということについて書かれている。ちなみに国王の子は国王になることと同じで、処刑人の子は処刑人になる。どちらの場合も厳しい世襲制が踏襲される。

 ところで、死刑執行人とは一体なにをする仕事なのか?

 そもそも、死刑といっても様々な処刑方法があった。晒し刑、ムチ打ち、焼鏝(やきごて)の刑、絞首刑、斬首刑、八つ裂きの刑(四肢をそれそれ4頭の馬に引っ張らせ胴体から引きちぎる刑)、車裂けの刑(鉄の棒で四肢をくだき、死ぬまで車輪に放置される)、火炙りの刑などなど。

 このなかで死刑執行人の腕が試されるのは、斬首刑だ。斬首刑というと、首をただ刎ねるだけだから、かんたんそうに見えるが実際はちがう。剣による斬首はきわめて難しい。

革命期の人々は、斬首がもっとも苦痛少なくして迅速にひとを死に至らしめる人道的な処刑方法だと考えたのだが、剣で人間の首を斬るというのは、とてつもなく難しいことなのである。

 

まず、剣の道をきわめていなければならない。しかし、どんなに剣の道に熟練していても、それだけで斬首刑を執行できるものではない。死刑によって犯罪人を死に至らしめることが正義にかない、社会のためになるという確信がなければ、死刑囚の首を斬れるものではない。(中略)

 

たとえば、たまたま死刑囚が若い女性だったりして、それで死刑執行人の心に少しでも同様が生じれば、もうそれだけで刑の執行はうまくいかなくなる。また、死刑当日、たまたま風邪をひいたりしていて体の具合が悪く、気力が充実せず、精神を集中できない場合もある。このような場合も、剣による死刑執行はうまくいかない。首が完全に固定されていたとしても斬首は難しいものなのだが、普通、死刑囚は多かれすくなかれ体を動かすものだ。死刑執行んは死刑囚の体の動きを見極め、ここぞというタイミングを狙って剣を振り下ろす。

 また、死刑は大勢の群衆の前で行われるので、プレッシャーは相当のものだろう。さらに、一太刀で首を落とすと群衆はその技量に喝采を送るが、執行人の不手際で死刑囚が処刑台の上でのたうち回ることになると、ついさっきまでは死刑囚を嘲笑していた群衆が、今度は一転して死刑囚に同情し、不器用な処刑人に怒る。最悪の場合は、群衆が処刑人に襲いかかることもある。実際に処刑スタッフが群衆に殺された例もある。つまり、人を死刑にするというのは、死刑処刑人にとっても命がけなのである。

 そんな仕事を代々継いできたサンソン家は、1792年に剣を置くことになる。死刑執行人を引退したわけではない。ギロチンというおぞましいモノが生まれたからだ。

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参照:第二章ギロチンの誕生p133

 ギロチンというと権威があって、なんだか人々を恐怖に落とすようなものに見えるが、生まれた背景は、きわめて人道的だ。

「刑罰は平等でなければならない(平民と貴族では刑罰が平等でなかった)」→「野蛮で暗黒な時代とは違って、人権が重んじられるこれからの新しい時代には、処刑方法は人道的なものでなければならない」→「首を切断するのが、もっとも苦痛少なくして迅速に死に至らしめる人道的な処刑方法である」→「しかし剣による斬首は失敗はつきもので、一太刀で首を刎ねないと死刑囚はもがき苦しむことになる」→「ゆえに機械で確実に首を切断せねばならない」→ギロチンが考案される。

 ギロチンが生まれたおかげで、多くの死刑囚は死を瞬間的に迎えることができるようになったが、フランス革命後このギロチンが暴走し、1日に50人以上、60人以上もの人間が次々と処刑されることになってしまう。これが俗にいう、恐怖政治というものだが、そのあたりはぜひ本書を読んでほしい。

 最初はフランス革命の話とか事前知識がないと読めないかなあと思っていたけど、まったくそんなことはない。フランス革命について知らないひとでも十分にたのしめる一冊だ。