【書評】毛利元就 内館牧子
大河ドラマを初めて見たのが、ぼくが6歳のとき。当時放送されていたのが、毛利元就でした。兄が歴史好きだったこともあり、それに影響されたのか、なんとなく見ていたのをおぼえています。
小・中・高で「いちばん得意な科目はなんですか?」と聞かれたら、「社会!」と答えるくらい社会科はだいすきでした。特にすきだったのは歴史。いつもいい点数は取れるし、勉強してもぜんぜん苦ではなかった。
そんな歴史をすきになるきっかけをつくってくれたのが、家にあった歴史まんがでした。「真田幸村」「武田信玄」「楠木正成」「上杉謙信」「大内義隆」などなど、兄がよんだと思われる歴史まんがが家にあふれていました。そのなかで、いちばん最初によんだのが、「毛利元就」でした。ぼくにとって毛利元就は、歴史をすきになる入り口となった人物だったんです。
毛利元就のぼやき
「大内」「尼子」という2大勢力を退け、一代で中国地方を統一した毛利元就。とても思慮深く、戦略家としても優秀だったと言われています。でも、本書で書かれている元就像は、非常にぼやきが多くとてもじゃないですが、優秀な戦略家だとは思えません。楽天の元監督の野村克也さんみたい(でも、ノムさんもぼやきが多かったけれど、知将だったか...)。幼少期からぼやいていて、そのぼやきは年をとっても変わりません。あるとき、高橋という国人(小さな領主)を討つかどうかの重要な評定(会議みたいなもの)のときに、血気盛んな部下から「されど、ここで堂々巡りの話をしても時の無駄じゃ。何せ、殿は煮え切らぬご性格にござりますゆえのう」と言われると、
元就:「煮え切らぬやつと言われ、煮ても焼いても食えぬと言われ、我ながら困ったものよのう」誰にともなくのんびりとぼやいてみせた。目も笑っている。
このように返す始末。こんなぼやきが作中に何十回とでてきます。元就のぼやきに対して、育ての親の杉や奥さんの美伊はうんざり。歴史まんがで、思慮深くシブい感じの人物像として描かれていた元就をみていたので、すごく驚きでした(驚きというかざんねんな感じか)。
参照:学習漫画 人物日本の歴史―集英社版〈11〉武田信玄・上杉謙信・毛利元就・大内義隆―戦国時代2
当時の時代背景
毛利元就が生まれたのは、いまから500年前ほどまえの1497年。織田信長や豊臣秀吉らより40年早く生まれました。信長が尾張を統一したときには、すでに中国地方10カ国を統一していました。しかし、元就の人生は決して平穏ではありませんでした。当時中国地方には、「大内」・「尼子」の2大勢力があり、周りには多くの国人がひしめき合っていました。
教科書に掲載されている戦は、ほんのすこし
読み終えていま思うのは、教科書に掲載されている戦はほんの少しだなぁということ。本書の「上」「中」「下」でたくさんの戦が書かれているわけだけど、知っていたのは尼子を倒した厳島の戦いくらい。元就の初陣が、西国の桶狭間の戦いと呼ばれていたことや(元就側の軍勢が1000にも満たさないにもかかわらず、4000の軍勢を打ち破ったことから、こう呼ばれている)、元就の負け戦などなど知らないことだらけだった。こうした教科書に載っていない歴史や戦を知ることはたのしい(本書は小説だから、すべてが事実ではないけれど)。元就の孫の輝元(関ヶ原の西軍の大将をつとめた)の本もあるらしいから、次はそちらをよんでみようかな。
記憶にのこったシーン
1.手は幸せをつかむようにと作ったものじゃ
美伊:「隆元、戦とは申せ、できる限り人を殺してはならぬ。血を流さずして戦をするよう考えるのじゃ。よいな、な?」
隆元:「はい」
答えたものの、隆元は困惑気味である。美伊はその隆元の手を取って、じっと見つめた。
美伊「この手は父と母が作ったものじゃ。幸せをつかむようにと作ったものじゃ。敵の武将の親たちも、皆同じことを思うておろう。手というもの、人を殺すためではのうて、幸せをつかみ、仲よう握り合うために作られておる」
*美伊は、元就の妻。隆元は、元就の長男。
2.何ゆえ肩に力を入れる
美々:「女の器量ばかりにとらわれる男の世にあって、不器量な女はおのれを見切れることでようやっとおのれを支えられますのじゃ。見切れば楽になりますのじゃ。美々は見切って、笑って生きようと頑張ること、誰にもとやかく言わせませぬッ」にらみつけるように言い返す美々を、元春はじっと見つめた。美々の目は潤んでいる。
元春「何ゆえ肩に力を入れる」つぶやくように言った元春の声は優しかった。
美々「!」
元春「もう肩の力を抜け」
美々「… … …」美々の目から涙があふれた。
*元春は、元就の次男。美々は、後の元春の妻となる人物。