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【書評】告白 秒速で転落した真実 与沢翼

告白

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ヒールキャラを演じるのであれば、コケたときに周りからバッシングされる覚悟が必要。そして、派手な演出をし続けるには、お金がすごくかかる、ということ。そんなことを感じさせられた一冊でした。

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光の当たる場所から暗闇に転落したイメージ(たぶん)を黒色と白色を使って表現した表紙になっているのが個人的に気に入っています。著者の与沢さんが哀愁を身にまとっている感じも、いい。

 

 

「秒速で1億稼ぐ」というキャッチコピーで一躍時のひととなった与沢さん。関東のJR全線、さらに一部地下鉄に自分の等身大の写真を掲載したのは多くのひとが知っているのではないでしょうか。ちなみにそのときにかかった広告費はなんと3800万円(1週間1900万円×2回)

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参照:与沢翼まとめ

そして、今年の4月26日にフェイスブック「経営危機のご報告」とリリースしたことについても多くのひとが知っていると思います。

「ざまぁwww」「やっぱりな」「ヤツは終わった」

当時のtwitterのタイムラインでそんなたくさんのネガティブなつぶやきやバッシングを見かけました。

多くのバッシングを受けたのは、与沢さんがヒールキャラだったからだと思います。それに悪役がやられるのは、多くのひとが見ていて気持ちのいいものだし。

そもそも、与沢さんに対しての世間のイメージは、あまりいいものではありませんでした(与沢さん自身も自覚していた)。

ネオヒルズ族のトップ」「20代で高級マンションに住み、ロールス・ロイスフェラーリといった高級車をいくつも所有」「数億円の札束を持ち歩き、多くの美女をはべらせ、毎日ヒルズでパーティー」

他人からの嫉妬や反感を買うようなイメージが先行していたと思います。実は、こういうイメージを世間に植え付けたのは戦略のひとつだと与沢さんは本書で述べています。

私自身、世間の人たちから、自分がどう見られているのかを知らなかったわけではない。むしろ逆だ。このような派手な金遣いを見せたら、普通の人なら羨望を通り越して、私に嫌悪感を抱くだろうことは理解していた。

 

だが、そのイメージを正そうと思ったことは、これまで一度もなかった。

 

インターネット情報ビジネス参入時、とにかく私はブランドもなければ、実績もなかった。そんな私がこのビジネスで成功するためには、「悪事千里も走る」のことわざどおり、「知名度を上げることが最優先である」と考えていた。悪い噂より良い噂のほうがいいに決まっているが、良い噂を立てるのは難しい。一方、悪い噂は人の興味を引く。悪い噂もなく誰の目にも留まらない人よりは、悪い噂でも目立っているほうがよっぽどマシだと考えたのだ。実際にネットのビジネスではアクセス数がものをいうからだ。 

 なんとなくだけど、島田紳助が芸能界に入りたてに取った戦略に似ているなぁと感じました。紳助の同期に「明石家さんま」「オール巨人」がいます。彼らと時間を共にするなかで紳助は気づきます。

「コイツらには勝てない」と。

なぜなら当時から「明石家さんま」は、とびっきりの明るさと華を持ちあわせており、「オール巨人」は、漫才の技術力の凄さを発揮していたから。そういう状況のなかで、紳助は悪役として芸能界を進むことを決意します。だから、ヤンキーの衣装を身にまとったツッパリ漫才という、当時では考えられなかった漫才を生み出したわけです。ですが、最終的に週刊誌の報道がきっかけとなり、芸能界を引退しました。

思えば、紳助もよく週刊誌のネタとして、世間の敵のような扱いを受けていました。お店を始めたら「島田コンツェルンだ」友人のお店で花を買っただけで「島田系企業だ!」と言われたり。引退してからも「島田紳助の現在」と銘打った週刊誌が発売されたり。悪役は、その世界から身を退いても追いかけてくる輩がいるのだなぁと思います。

 

 

 

さてさて。

本書は、与沢さんが経営するフリーエージェントスタイルの資金がショートした理由を中心に与沢さんの生い立ちなども交えて書かれています。資金がショートしたきっかけのひとつに、与沢さん自身が会社の経営から一時的に離れたことが挙げられていました。

それは、2013年4月。フリーエージェントスタイルの役員が、私のもとに、とある事業計画書を持ってやってきたことから始まった。この2人は創業当初からのメンバーで、役員でもあり、以前から私が特に信頼している人物でもあった。

 

その事業所には、現在のフリーエジェントスタイルに足りないもの、その強化方法について記されていた。企画書の概要を簡単に説明すると、基本的にこれまでの私の経営スタイルは「攻め」が中心。だが、そんな「攻め」のスタイルに加えて、もっと手厚い守りを入れたプランがそこには提示されていた。加えて、私は彼らからある提案を受けることになる。

 

それは、「会社はしばらく私たちが動かしていきます。会長はメディアに出てもっと会社の知名度を上げて、集客に貢献してください」「社内では経営に関与するというよりは、むしろ天皇のような象徴的存在であってください」というものだった。

この提案を与沢さんは、受け入れることにします。受け入れた最も大きな理由は、フリーエージェントスタイルの経営が与沢さんのマンパワーひとつに頼ってきたからだそうです。この時のフリーエージェントスタイルの売り上げの9割は、「与沢翼」という看板を使ったものでした。与沢さんの個人ブログやメルマガ、セミナーやコンサルなどなど。そういう与沢さんの個人的な知名度に頼る経営体制から脱却するために決断したそうです。

そうして、彼らを取締役社長、取締役副社長に任命し、2人の裁量権を大きくし、準備を整えました。結果的に、そこから経営が傾き、2人の部下たちは会社を去ることになります。与沢さんが会社の経営にふたたび携わるときには、時すでに遅し。

また、当時の豪遊しているキャラクターのイメージを崩さないように、お金がない中、お金を使い続けなければいけないジレンマにいたことについてこう吐露していました。

私は金を使い続けなければならない。注目を集め続けなければならなかった。でも、私が本来目指すところの会社の成長にはいつまでたってもたどり着けない。本来は、会社全体の商品を持ちたかった。しかしそれに移行できず、ひたすら私はアクセスを集めることと商品のサービス提供に注力し、それを社員が私の名義で広告やアフィリエイト、情報の販売で回収するというモデルに終始した。売れば売るほど私の時間は奪われ、与沢翼だけがメイン商品という状況には、もはや一人の物理的限界を超えたと途中から悟っていた。 

 

それでも売らなければ、税金どころか固定費すら払えなくなる。権限移譲して会社固有の商品をつくるように命じても、うまく立ち上がらない。創業の原点を変更して、別の商品をつくっていくことには、やはり時間がかかる。ー(略)

 

一度足を踏み入れたらもう抜け出せない泥沼に足を踏み込んでしまったことに薄々気づいていた。

そんな与沢さんですが、現在シンガポールに移住し、新しいビジネスに向けて動き始めているとのこと。ここから与沢さんはどう這い上がるのかが気になるところです。

 

こちらは与沢さんの最初の著書。