読書めも

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【書評】マジでガチなボランティア 石松宏章

マジでガチなボランティア (講談社文庫)

マジでガチなボランティア (講談社文庫)

 

 この本を読むまえにケニアで何十年もビジネスに挑戦しているケニア・ナッツカンパニーの佐藤さんの「アフリカの奇跡」を読んでいたこともあって「ギャル男がボランティアと出会って自分がかわってゆく話でしょ」と、さも知ってるぜ面で読もうとしていました。著者の石松さんごめんなさい。

 いくつか共感できる点もあったし、テンポもいいし、いい本だなー、と読んでる最中におもっていました。

 ただ、読み終えてから、いざこうやってレビューを書こうとしても、手がすすまない。読んでいる途中はいろいろと感じるものがあったはずなのに、なかなか感想がでてこない。そこで、とりあえず他の人の感想を見るためにAmazonのレビューをのぞいてみた。そこに書いてあったひとつのレビューが僕の頭の中のモヤを解決してくれたような気がします。

読中読後の差が激しい

 

読んでるうちは、めっちゃ共感できる。 ただ、読後に冷静になるといろんなことを考えちゃう。 チャラ男が、ギャル男が・・・って、「ギャル男のオメーが、それ言っちゃだめだろ!」ってツッコミたくなる。

 

結局、他のギャル男を見下してるというか、目立つことで他の大学生と差別化を図りたいというか、「道楽」でボランティアやってるっていうか・・・。コイツらの感覚からすれば、クラブイベントの延長。単に、刺激が欲しかっただけじゃねーの?って感じだな。 チャリティ・イベントでも、しっかり女をナンパ。金も集めて、女ともヤッたっていうんなら、それはそれで筋が通ってるとは思うが、そういう所は書いてないんだな(笑)。

 

純粋に、他人を思いやる気持ちや途上国でのボランティアの必要性を訴えたいなら、ことさらに自分たちの「チャラさ」をアピールする必要は無いわけだ。

 

別に、ボランティアをするのは「地味で真面目な人限定」というものではないわけで、ギャル男でもヤクザでもいいわけだし。してもらう方からすれば「人格者からの施し」も「チャラ男からの施し」も同じなんだからさ。 何か、「悪いことしても、善いことしたら赦される」みたいな感じが好きになれない。 でも、読んでて面白い本ではある。

マジでガチなボランティア Amazonレビューより

●読中読後の差が激しい

こういう感覚は、確かに自分のなかにあった、とおもう。読んでいる最中は、確かにおもしろいのだ。石松さんが変わってゆく姿や、イベントを開催するために奮闘する姿などなど、見所はある。

でも、いざ本を読み終えるとさっきまで感じていたものをどこかに忘れてきたような感覚に陥った。

●チャラさをアピールする必要はない

本書を読んでいればわかるが、確かにところどころチャラさをアピールしている文章をみたような気がする。もちろんタイトルが「マジでガチ」だからこそ、ギャル男っぽさを出すひとつの要素として「チャラさ」があるのかもしれない。これは、僕自身がギャル男でなかったことがそういうことに対して共感できない要素のひとつだったとおもう。

ただ、読んでいておもしろかったのだよ、ほんとうに(Amazonのレビューとあまり変わらないレビューとなってしまった。。。)

あらすじ(amazonより)

合コンとナンパに明け暮れていた医大生の著者が、ひょんなきっかけから、カンボジアに小学校を建設することを決意。狂ったようにチャリティイベントを開催し、わずか8ヵ月で完成へ。しかし、次の無医村に病院を建てるプロジェクトでは140万円の借金を背負うはめに。彼の想いは実現するのか。

 

読書メモ

1.このナマの感覚をいつまで覚えていることができるだろうか?

第一回のスタディーツアーを終えて日本に帰国した僕は、それまでになかった不思議な感情に囚われていました。それは、「僕は、この数日で見てきたもの、感じたことを、どれだけの間、覚えていられるだろうか?」という不安です。

 

もちろん僕は健忘症でも何でもありません。カンボジアでどんな人に会ってどういうことを思ったのか、1年後に聞かれてもマトモな返事をすることはできます。ここで僕が「覚えている」というのは、そういったことではありません。

 

「僕は現地で感じた危機感や義務感や決意、そういった「ナマ」の感覚をいつまでもリアルなものとして肌身で感じていられるだろうか?現地の人々の助けになりたいという感情の高ぶりを熱いまま保てるのだろうか?」

 

そういった不安が、日本の空港に降り立って、にぎやかな売店や5分待てばすぐやってくる電車を眺めているうちに、むくむくと涌き起こってきたのです。 

 

2.「みんなで」つくる病院

 「おじさんどうして全て手づくりにこだわるんですか?」おじさんは僕の目を見てこう答えました。

 

「時間や手間がかかっても、村の人がつくるということが大切なんだ」おじさんによると、カンボジアでなにかインフラ整備をする際、地元の人たちとの関係がとても重要だそうです。ただ資本を持ってきて「支援しますね!」とやったのでは、うまくいかないのです。地域の文化や生活を破壊されるのでは、と心配 した住民が反対運動を起こしたり、ひどいときには建設をしたいのなら、賄賂を払えと地域の有力者から要求されることもあるとのこと。

 

先進国の支援がよく「カネを渡すだけの支援だ」と批判されるゆえんは、ここにあると思います。

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