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読書めも

読んだ本の感想をぼちぼち書いてます

【#123】だからこそ、自分にフェアでなければならない プロ登山家竹内洋岳のルール

馬岡 祐希様

平素は幻冬舎plusをご利用いただき誠に有難うございます。また「写真家・小林紀晴×プロ登山家・竹内洋岳トークショー&サイン会ご招待」にご応募いただきありがとうございました。抽選の結果、馬岡様が当選されました!ついては下記のイベントに、ご招待させていただきます。 

 この本を手にしたのは、そんな一通のメールがきっかけだった。おそらくこのメールが来なかったら、ぼくはこの本を読むことはなかったとおもう。

 そもそもこのトークショー&サイン会の企画に応募した記憶もなかった。たぶん、ネットサーフィンをしているときに、「無料だからとりあえず応募しとくかー」ぐらいの気持ちだったとおもう。しかも、この本の著者である小林さんもこの本の主役であるプロ登山家の竹内さんについて全く知らなかった。

 ちなみに、竹内洋岳さんのことを知らない人のために説明しておくと、日本で唯一8000メートルを超える14の山を登頂した人で先日情熱大陸でも取り上げられた人です。

 と、まあトークショー&サイン会に無料で参加できるのはよかったのだけど、よくよく考えたら竹内さんのことを全く知らなかった。だから、トークショー前に本屋でこの本をサラッと立ち読みして、トークショーに向かうつもりだった。

 ところがどっこい、本を買っちゃいました。だって、すごくいい本だったから。内容はもちろんのこと、構成の仕方がすごくよかったしね。

 この本は、小林さんと竹内さんが共に天狗岳を一緒に登るところから始まります。

「おはようございます」挨拶して、私は自分のザックを背中から下ろした。竹内の荷物を確認した。どんなザックを使っていて、どんな登山靴を履いているかに単純に興味があるからだ。ザックらしきものが足下に置いてある。さらによく見ると、かなり薄手のスニーカーを履いていた。まさか、このまま登るのだろうか。

 

小林:「あのう登山靴は……?」おそるおそる訊ねた。

 

竹内:「登山靴は山に登るときだけです」 

 

 

 地球上に8000メートルを超える山は、わずかに14座。その山々を登頂し、プロ登山家として国内で活動しているのは竹内さんただ一人。日本人で竹内さんに続くのは9座で4人。うち3人は10座を目の前にして亡くなっています。そのぐらい8000メートル峰14座を登ることは難しく、山の世界は厳しい。なにしろ、酸素と気圧は平地の3分の1。気温はマイナス35度。まさに人間が生存できない世界。

 さらに、彼はエベレスト登頂に失敗したときに、生涯のパートナーと決めた仲間を亡くし、2007年には10座目となるガッシャーブルムに登る際に雪崩に巻き込まれ、腰椎と片肺がつぶれ、肋骨も5本折れた。それでもなお、彼は山に登り続ける。なぜなのか?その理由の一つを著書のなかでこう答えている。

講演会である登山家の方と対談したとき、こう言われました。「出発の前とかちょっと嫌だなとか思ったりしないの?明日もこの布団で寝たいなとか思ったりしないの?」

 

私は「そんなに行きたくなくなっちゃうことあるんですか?」と逆に訊きました。すると、「いやあ、やっぱりそう思うことあるんだよ」と言うのです。そのとき私は「やっぱりそんなに嫌だったら行かなきゃいいのに」と言いました。 

 

山をやめたいと思ったことはありません。どちらかというと、どうやったら続けていけるかなってことは考えていましたけど。

 そう、彼にとって山を登ることは、人間が空気を吸うのと同様に生活の一部。だから山に登ることは特別なことではなく、当たり前のことだ。

 このように、竹内さんは独特な感覚を持つ人物だ。彼が山に対して抱いている想いは他の登山家とおそらくちがう。ガッシャブルムで雪崩事故に遭い、大けがをしたにも関わらず、1年とたたず再びガッシャブルムに向かったときのエピソードは個人的にはすごく印象的だった。しかもドクターストップがかかっているにもかかわらず、だ。そのときの事をこうふりかえっている。

山登りとは本来、登って下りてくるものです。自分の足で登って自分の足で下りてくる。これが私の絶対的なルールです。そう考えると前年の事故の際に自分では下りてきていないので、私の山のルールに照らせばですね、自分で下りてこないというのは死んでいないといけないはずなんです。それが死にもせずに、自分の足で下りてきてもいない。それは、やはり私がやっている登山においては、もう許しえないことなんですね。 

 

自分で下りてきてない登山というものに、自分なりに決着をつけたいというか。それをしないと納得がいかなかったんです。それゆえに、私はもう一度事故現場まで行かないとならなかったわけです。

 そう、彼にとって守らなければいけないルールがあるからこそ、ふたたび向かったわけ。竹内さんのルールであり、僕ら一般人からみたらプロ意識というものなんだと思う。

 ところで本書を読み進める上で、ずっと気になっていたことがある。それは、タイトルのことだ。「だからこそ、自分にフェアでなければならない」一体、どうして自分にフェアでなければならないのだろうか?

 本書の最後の方でこう書かれていた。

竹内にとって山頂で写真を撮る意味について以前、訊いた。そのとき、竹内はこんなことを口にした。

 

「山の世界っていうのは記録です。ほかのスポーツのようにジャッジする審判がそこにはいませんから。だからこそ常に記録する必要がある。」

 

山頂 以外でも竹内は記録する必要に迫られたことがあった。2005年に無酸素でエベレストに挑んだときのことだった。7700メートル付近で何の前触れもなく倒れた。脳血栓を起こしていたのだ。そのとき仲間に、「私はたぶん死ぬから、ちゃんと死んだことを記録に残せ。写真を撮れ、ビデオを回せ。」と告げた。死に方をはっきりしておかないと、彼らに迷惑がかかるという思いからだった。

 

(略)

 

例えば、それなりの経験を持った人と初めて山に行く人が一緒に登山しても、初めての人にだけ風が優しく吹いてくれたりとかしないわけですよ。距離が長い短いとかね、急だとか緩いとかっていうのはあるかもしれませんけど、そこに同じく人が立ち入ったら、同じように雨が降るし、風は吹くし、同じように厳しいです。

 あぁ、なるほどな、と思った。ほとんどのスポーツの世界は、記録員もしくは審判がいる。しかし、山の世界ではどちらもいないのだ。いないからこそ、フェアな世界なわけ。

 ちなみに竹内さんの著書はこれが最新です。他にもいくつかあるようなので、読んでみることにします。

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