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読書めも

読んだ本の感想をぼちぼち書いてます

【#118】ぼくらはみんな生きている 18歳ですべての記憶を失くした青年の手記 坪倉優介

 

記憶をなくすということは、単に過去を忘れて今を生きるということではないのです。過去を失った人間は、こんなにもろいものかと、優介を見てつくづく思いました。
それは手足を縛られて、どこか知らない国へ連れていかれたような不自由さです。身動きがとれず、雑音ばかりの中で、何を言っているのかわからない、物事の整理がつかず、何をすべきなのか全然わからない。そんな優介の状況を想像できるまで、長い時間が必要でした。ー「母の記憶1」より

 申し訳ないのだけど、「記憶障がい」というと、マンガやテレビで出てくるような「ココはどこ?ワタシはだれ?」イメージしかなかった。

「障がい」というジャンルならば、インターン先が障がい者雇用をしていたこともあって、すこしは知っている。視覚障がい、聴覚障がい、精神障がいなどなど生きづらさを抱える人々には結構会ったこともあるし、お話もたくさんきいてきた。

でも、ぼくは「記憶障がい」についてこれっぽちも知らなかった。

もういちどアルバムの、さいしょにもどって見てみる。すると、よこにいる人が「これがかあさん、そしてかあさんに抱かれているのは、赤ちゃんだったゆうすけよ」と言った。その人の目や、笑う口の形はやさしくて、いつもゆうすけという人を見つけている。その人の目は、いまここにいる人と同じではないか。

 そう思うと、なにかが背すじを通っていく。それを声に出したい。だけどなんて言えばいいんだ。

するとその人は、やさしく笑いながら、「かあさんだよ」と言った。それをきくと、ひっかかっていたものが、なくなっていく。胸があつくなる。そして口がかってに動いた。かあさん。ぼくのかあさん。 ー「かあさんと言えたとき」より

 1989年6月5日、雨が降る日の夕方、大阪にて、帰宅途中の道で、スクーターに乗っていたひとりの男性が停車中のトラックに激突した。当時、18歳の大学生だった。名前は坪倉優介。坪倉さんはこの事故により、今までの記憶を失った。両親のことも、友人のことも、そして自分自身のことさえも、何もかもすべて、忘れてしまった。

 ところで、すべてを「忘れる」というのはどのような感覚なのだろうか?坪倉さんの母親は本書の中でこう述べていた。

お風呂にしても「熱い」「冷たい」がわからない。だから浴槽の水が冷たくても、おかしいと思わずに入ってしまうのです。あとで見るとぶるぶる震えていて、こっちがびっくりするようなことがありました。

食事でも出されたものは、出されただけ食べてしまう。テーブルの前にすわって、苦しそうにしているからおかしいと思って見ると、テーブルに並べた食べ物が全部なくなっている。満腹ということがわからないのです。

あるときは、椅子にすわっていると、急にずるずると床のほうへ落ちていくのです。だらしがないので、引き上げようとすると、ものすごく熱がありました。

 つまり坪倉さんには「熱い」とか「寒い」といった感覚のようなものはあるのだけど、それがなにを意味しているのかまでを理解することができていなかった。このエピソード以外にも、腕が骨折していることに気づかず、あやうく大掛かりな手術になりそうになったことなども。でも、そんな坪倉さんが自分のみたものやきいたものをひとつひとつ理解し、成長してゆきます。

「忘れる」ときくと、どうしてもネガティブなイメージがあると思うけれど、僕はこの本を読んでそのネガティブなイメージはなくなった。それは、以下の文章を読んだから。

どうして青い色をしたごはんは、ないのだろう。あずきを使えば赤いごはんができるし、フライパンでドライカレーなんか作ったら、黄色いごはんにもなる。赤や黄色があるなら、青いごはんもあるのではないか。よく晴れて気持ちいい日の、青い空色をしたごはんが食べてみたい。

かあさんに電話して聞いてみたけれど、青いごはんはないと言う。そうか・・・。あきらめようとしたら、鍋がはいっている棚の奥に、かき氷にかけるシロップがあった。ビンのラベルには「ブルーハワイ」と書いてある。もしかしたら、これでいけるかもしれない。

 なにかを忘れるということは、頭がすっきりする状態でもあるのだろうし、きっと整理もされるのだろう。そうすることで、今まで生まれてこなかった疑問が生まれるのだと思う。

 ここでのシーンがぼくは一番すきだ。ごはんは白いものであるという考え方ではなく、青いごはんってないの?という素朴な疑問。「あぁ、自分はこんなスポンジのようにやわらかい頭じゃないなぁ」と思ったシーンでもあります。

 そんなスポンジのやわらかい頭を持った坪倉さんは「いま」を生き、様々なことを体験し、吸収していきます。そうして、ひとつの結論にたどり着きます。

 それは、あたらしい過去が愛おしいということ。

 事故に遭って数年間、坪倉さんは昔の自分に戻ろうと必死でした。過去のアルバムを読 みあさったり、昔の自分の髪型にしてみたり、事故前に読んだ本やマンガを読み返したけれど、全く思い出すことができなかったんです。

 坪倉さんは今いちばん怖いことは「事故の前の記憶が戻ること」だと言います。なぜなら、そうなった瞬間に、今いる自分がなくなってしまうのが、いちばん怖いと感じるからだそうです。だからこそ、事故後に手に入れたあたらしい過去が坪倉さんの支えであり、生きてゆくパワーになっているのです。 

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