【書評】難病東大生 できないなんて、言わないで 内藤佐和子
◎本書の内容
多発性硬化症という国が認定している難病東大生の物語です
多発性硬化症とは、中枢神経系の脱髄疾患の1つです。私たちの神経活動は神経細胞から出る細い電線のような神経の線を伝わる電気活動によってすべて行われています。
家庭の電線がショートしないようにビニールのカバーからなる絶縁体によって、覆われているように、髄鞘(ずいしょう)というもので覆われています
この髄鞘が壊れて中の電線がむき出しになる状態が脱髄疾患です。ちなみに国内での患者数は1万2000人ほど。女性の方が比率は多い。
原因はいまだ未解明。この病気の怖さは、突然症状がでること。いきなり目が見えなくなったり、足がしびれたりなどが出たりします。
知り合いがこの著者と会ったことがあると言っていたので、図書館に行き、手に取り読んでみることにした一作です。
この本のレビューの大半が『元気が貰える!』『明日から頑張ろうって思った』でした(アマゾンのレビューは酷かったけど....)
では、ぼく自身パワーを貰ったり、元気になったかというとそうでもなかったです。むしろ、「内藤さんの病気が深刻なんだなぁ』とか『障がいについて考えさせられた』という印象のが大きかったです。
なぜパワーを貰ったり、元気になることができなかったのか?それは、たぶん内藤さんの書く文章に共感を覚えなかったからだと思う。
内藤さんがやっていることが、一般人がやっていることより超越していて(ビジコンで優勝とか)、どこか親しみを持てなかったのでしょう、きっと。
でも一方で考えさせられることはたくさんありました。
例えば、
1.だから私の夢は10年先に置いてきた
弁護士の夢は今も私の心の中でくすぶっている。でも考え方を変えたのだ。勉強は座っていればできる。
やっぱり今の私は自分がやりたいように生きたいと思った。勉強は車椅子生活になってもできる。
もしかしたら車椅子生活の方ができるかもしれない。だからストレスという危険を冒して弁護士にはならない
だから私の夢は10年先に置いてきた。
非常に響いた言葉でもあり考えさせられた言葉でもあります。僕は現在なんの病気も抱えておらず、健康体そのものです。やりたいことを意のままにすることができます。
でも彼女は、多発性硬化症だったから、夢をすぐ叶えるという選択をせず、10年先に置いてきた。自分の体がどこにも異常がなく、幸せであることを再認識しました。
◎読書メモ
2.宝くじよりラッキー
症状もなかったので、1万2000人くらいしかかからない病気に自分が罹患したということは宝くじに当たるより、ある意味ラッキーなんじゃないか、と確率論的に考えていた程度。
今思うと、そのころの『ラッキー』は「レア」とほぼ同義語だったように思える。
今の私が言う、「ラッキー」は、世の中のことをこんなに真剣に考えさせてくれてすごく成長できたという意味だ。
3.病気になるということはブームを作るということ
3月も後半に入ったころだった。18歳になる直前に、私は「卵巣嚢腫」という病気になった。ある日突然おなかが痛くなり、入院し、即日手術することになった
運がいいか悪いかわからないけど結果、その時に見つかったことが幸いし、卵巣はとらなくてもよくなった。
その年、2002年、宇多田ヒカルやHitomiが相次いで卵巣に膿腫があり、手術をしたことを発表した。
私は驚くとともに勝手に思い込んだ。「私が先駆けだ。私がブームを作ったんだ」もちろんそんなことはあるわけないけど、そう思った方がハッピーだと思う。
4.病気だからこそできること
病気だからできないと思っていたけれども、病気だからこそできると今では考えるようになった。
例えば次のようなこと
・自分が何かをするだけで褒められるということ私が病気ということで普通の人がビジネスコンテストに優勝するより価値があるように思われる。
それってなんか不思議じゃない?
人によっては病気を「売り物」にしているように思うかもしれないけど実際に「病気なのにすごい」と言われることはよくある。
・周りにいい影響を与えることができる。あいつは病気なのにがんばってるな。じゃあ今の自分は頑張っているか?健康な分遊んでいるのかな?仕事は?何か目標に向かって一歩でも進んでいるのかな?
・多くの人が考えるようになるということを周りの人がよく言ってくれる。それは私が考えるきっかけを他人に与えたんだと思う。こう書いていると、病気になった方が得だ!と思う人がいるかもしれない。でも、病気になって気づけたことはあるけれども、ならないに越したことはない。