読書めも

読んだ本の感想をぼちぼち書いてます

【書評】だいじょうぶ3組 乙武洋匡

だいじょうぶ3組 (講談社文庫)

だいじょうぶ3組 (講談社文庫)

 

◎内容と感想

この3月に試写会があった、【映画】だいじょうぶ3組の原作を読みました。著者は皆さんがよく知っている、5体不満足というベストセラーを出した乙武洋匡さん。

 


『だいじょうぶ3組』予告 - YouTube

 

これが教師の醍醐味という体験がつらつらと書かれています。そもそも、この本は乙武さんが小学校の教師を3年間やっていた経験を小説化したものです(ちなみに、フィクションと書かれています)

おそらく書かれている内容はほとんど事実なんじゃないかなあと...

中身は、漫画でいう「ハンマーセッション」に似ています。

でもこの「だいじょうぶ3組」は、ハンマーセッションとは違い、実体験を元に書かれているので、よりリアルを感じることができます。

主人公は乙武さんと同じ障がいを抱えて腕も足もないけど、子供たちと正面からぶつかりゆっくりと、生徒一人一人と向き合う姿には心が打たれます。

先生はもちろん、教育に携わる人の教科書代わりになる一冊です。

 

◎疑問・聞きたいこと

乙武さんの教え子たちから、当時の乙武さんの授業や当時感じたことを聞きたい。

 

◎読書メモ

1.No1を目指す中でオンリーワンを勝ち取れ!

5月の終わりに運動会があるが、赤尾先生のクラスの生徒達はどこか投げやりな態度。生徒達からはこんな声が飛び交います。「100メートルなんて無理だよ」「足の遅い俺らには関係ないさ」

 

赤尾先生は、勝つ事の大事さを生徒達に解きますが、生徒達は納得しません。その夜に、同僚の紺野先生と飲みに行きます。紺野先生に、上記のあらましを説明すると、彼はSMAP世界に一つだけの花の話をし始めます。「俺、あの"世界に一つだけの花"あんまし好きじゃないんだよね」と。続けて彼はこう言いました。

 

「あの曲ってさ、俺らの30代の人間にはぴったりの曲なんだよ。まあ30代となれば、これから能力がぐんと伸びることはないし、新たな才能が開花するというケースもめったにないじゃん?言葉は悪くなるけどさ、"頭打ち"の状態だと思うんだよ」

 

「でも、現実はそうじゃないじゃん?その時にさ、『一番になんかならなくていい。君は君のままでいい』と言われたらさ、なんか救われた気持ちにならないか?」

 

「俺らにはぴったりな曲かもしれない。でも子供達にとってはどうだろう。名曲ではないんじゃないかな。さっきも言ったけど、俺らは頭打ちの状態。子供達は違うよな。あいつらにはまだまだナンバーワンになれる可能性がある。それなのに『ナンバーワンにならなくていい』って。初めから逃げることを教えてどーすんだよ?って俺は思っちゃうわけよ」

 

「結果的に一番になることが重要じゃない。でも一番になろうとする努力は大事。その努力が自分の能力を伸ばすことになるだろうし、逆に報われない経験を通じて、挫折という大きな体験を自身が手にすることができる」

 

「挫折って俺は大事なんだと思う。挫折を繰り返して自分はどんな人間なのか?自分はどういった分野に向いているのか?そういったことの連続で成長するんじゃない」

 

「今の教育現場は逆なんだよ。子供をいかに傷つけないようにするか。挫折を経験させないようにするか。ビニールハウスで温室栽培する感じだよね。こんなことしてたら将来あいつらが困るだけなんじゃないかなって俺は思うけど」

 

この部分を読んだ時、頭のどこかでひっかかっていたものがとれたような気がしました
世界に一つだけの花、当然僕も知ってますし、自分のiPodにも入ってます。この曲を初めて聴いた時、

「あ、オンリーワンになればいいんだ。頑張らなくていいんだ」と僕は最初に感じました。

だからこの曲を聴いた後の自分の口ぐせは「結局、人間は人それぞれでしょ?」だったと思います。

ひょっとしたら僕はそこで頑張る事を辞めてしまったのかもしれません。

オンリーワンとは、No1を目指す過程の中でしか生まれないということ。僕はどうやら長いこと意味をはき違えていたのかもしれません。

 

2.引っ越しして、離れても仲間だぞ

みんな薄情だな。引っ越しするとさ、もう仲間じゃないのかな?陽介、仲間っていうのはいつも一緒にいなきゃいけないのか?康平、同じ教室で勉強していないと、もう仲間と呼べないのか?離れたって仲間だろ?笑って、幸ニを送りだしてやろうぜ?

 

3.子どもの将来にずっと関われるわけではない。

子供達にもいつか大人の目の届かないところで、人間関係を築いていかなければならない時がくる。その時、からまった意図を解きほぐすようにして人間関係を調整してくれる担任教師という存在はどこにもいない。

 

そのことを考えれば、けっして転ぶことがないように、子供達が歩んで行く凹凸を取り除いて行く学校のあり方には、とうてい納得できない。嫉妬や葛藤やもどかしさ、そうした感情を経験させないまま子供達を社会に送り出す事のほうがもっと無責任だと感じるからこそ学校のルールを違反してまでも赤尾はバレンタインの日はチョコレート持ち込みokという火種を持ちこんだのだ。