《遺書 松本人志》
◎内容と感想
芸人のダウンタウンの松本人志さんの一作目の著書。有吉さんの「おまえなんかもう死んでいる」に近い印象を受けた。どういう部分が似ているかと言うと、お笑いに関しても自分の人生に関しても全部ぶっちゃけて言っている部分である。あと、どちらも少し上から目線で書いてある所も似ている。
ぼくはダウンタウンというと昔からあまりいい印象を持っていなかった。なぜなら、相方の浜田雅功さんが嫌いだったからである。
浜田さんの本気でドツく感じのキャラが非常に嫌いだった。基本的に子供の頃から気の強い人が苦手だったのが影響していたのかもしれない。だからダウンタウンの少し毒気のある芸風も好きになれなかった。
でも、ここ最近お笑いやエンタメに興味を持ち始めてから、ダウンタウンに興味を持ち始めるようになり、この本を読むことにした。
ところで、松本さんはよく天才と言われるが残念ながら、ぼくはまだ彼が天才だと感じることができない。おそらく、まだまだ僕自身お笑いを鑑賞するレベルが低いのであろう。だが、この本を読んで思ったのは、松本人志は少なくとも才能だけでかけあがってきたのではなく、血が滲むような努力をしてきたと思う。
とにかく、今の松本人志しか知らなく、ダウンタウンに関して興味があるのであればぜひ読んでほしい一冊である。丸くなった松本さんでなく、尖っていた時の松本人志をこの本で垣間見ることができる。
◎読書メモ
1.天下をとる=ファンが多いではない
よくお笑いの世界で天下をとるという言葉がある。この言葉に関してよく語弊があると思う
僕たちダウンタウンが日本一のコメディアンであると自信を持てるのは僕たちを支持するファンが一番多いからというわけではない。お笑いのレベルが高い人から最も多く支持されるからである。
つまり、天下をとるということはたくさんの人が支持してくれることではなくいかにお笑いのレベルが高い人に支持されるかである
2.笑いは誰かを傷つけてなんぼのもの
笑いというのは、すべてそうだとは言わないが、誰かを傷つけて成り立つことが多い。コントでハゲネタをやったとしても、ハゲはしっかり傷ついている。例えば、誰かに突っ込む時も「おまえは高木ブーか」と呼び捨てにする
なぜなら、そこで「さん」付けをすることで笑いが生まれなくなってしまうからだ呼び捨てにされた方がムッとするかもしれない。笑いとはいうのは敵を作るものだ。だったら存分に敵を作ってやろうじゃないか
3.ギャグ(流行語)は何回も使わない
基本的、俺はギャグが大嫌いだ。お笑いの基本は意外性であり.「でるぞ、でるぞ。やっぱデター!」は個人的に好きじゃない。ギャグははやればはやるほど自分の意思で言っているのでなく、世間のやつらに言わされているようになってしまうからである。自分のしゃべることを世間のやつらに言わされるなんて嫌だ!
4.女がコメディアンとして天下はとれない
女はコメディアンとして天下をとることはできない。ただダメだとか、無理だとか女性差別として言っているわけではない。ただ単に向いていないのである。女がコメディアンに向いていないのは、宿命みたいなものだ
例えば、全身タイツを着るコントをしたとしても、胸のふくらみに目がいったりするものだ。お笑いに集中できなくなってしまう。男が全裸になったら笑いがとれるかもしれないが女が全裸になって笑うヤツより、興奮するやつのが多いだろう。つまり、守るものが多いと説得力に欠けるのではないだろうかお笑いは、自分をさらけ出してなんぼの世界である。もし、女が天下をとるのであれば、化粧もファッションも結婚も子供も生まずという覚悟を持ってやらねば天下はとれないだろう
5.金持ちでも1円は1円やし、お金の価値は一緒や!
お金の価値は貧乏人もお金持ちも全くかわらない。1万円落とした時のショックも一緒だし、逆に拾った時の喜びは一緒である。
でも、俺がいくら説明しようと周りは納得してくれない。それは、俺が周りのやつらより稼いでいるからだろう。じゃあこういう例はどうだろうか?子供2人がいて、片方死んでももう一人がいるからいいやってなるだろうか?いやならないだろう。