読書めも

読んだ本の感想をぼちぼち書いてます

職業は武装解除 瀬谷ルミ子

職業は武装解除 (朝日文庫)

職業は武装解除 (朝日文庫)

 

『職業は武装解除』を読んだ。

国際協力に詳しいひとはすぐにピンときたかもしれないが、そういうことに疎いひとは「職業が武装解除???」と思っただろう。

その疑問は冒頭で著者の瀬谷ルミ子さんが解消してくれる。

 

私は三十四歳、職業は武装解除ですー。こう自己紹介をすると、日本だけでなく、世界のたいていの人たちは、私が過激派系の人ではないかと一瞬疑いの目を向ける。核兵器関連のお仕事ですかと尋ねる人もいる。確かに、「武装解除」なんて、日常会話であまり使わない単語だ。

武装解除とは、紛争が終わったあと、兵士たちから武器を回収して、これからは一般市民として生活していけるように職業訓練などをほどこし、社会復帰させる仕事だ。武装解除の対象になるのは、国の正式な軍隊のときもあれば、民兵組織のときもある。そして、兵士といっても、六歳の子ども兵もいれば、六十歳を超えた年配の兵士、武装勢力に誘拐された武器を持たない女性まで、さまざまだ。

 

日本では平和をあたりまえのように享受しているが、中東やアフリカでは民族間の争いは日常的なことだ。世界を見渡せば、武装解除が必要な国は少なくないことが分かる。

そこで瀬谷さんのような人や組織が民族間の仲裁役となるのだ。

瀬谷さんはこれまでにケニアソマリアスーダンシエラレオネルワンダコートジボワールなど数多くの紛争地を渡り歩いてきた。

 

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ソマリアケニアルワンダ南スーダンコートジボワール黄色シエラレオネ

 

本書を読んでいると、日本で平和を享受していることが当たり前でないことに気づかされる。瀬谷さんが訪れる国では、ひとりで夜道を歩けなかったり、警察がテロリストと手を組んでいたりすることだってある。

 

また、紛争を終わらせるためには苦渋な決断を下さなければならないこともある。

瀬谷さんがシエラレオネ武装解除に取り組んだときのことだ。このとき武装解除の目処が立ったが、武装勢力からあるひとつの条件を突きつけられた。

それは、内戦中に行った戦争犯罪を無罪にすること。つまり、今までの犯罪行為を帳消しにして、自分たちを一般人として生活させてくれ、ということだ。

単純に考えれば、こんな無茶な要求が通るはずがない。殺人犯が「たくさんの人を殺しちゃったけど、ノウノウと一般人として生きたい!」と言っているようなものだからだ。しかし、この要求は通ってしまう。そして、これは「和平合意」や「武装解除」の世界では当たり前のことだと瀬谷さんは言う。いったいどういうことなのか。

それは武装勢力側の気持ちになって考えれば、自ずとわかる。無罪にならなければ、彼らは武装解除するメリットがないのだ。

「武器を捨てたら自分たちの犯罪行為はチャラになるし、殺人や窃盗をしなくても生きていける。さらに職業訓練も受けれて、将来も安泰」

これが武装勢力側の気持ちだ。これが「今までの犯罪行為を見逃すことはできないけど、武器捨てて投降してね」と言われたらどうだろうか。「だったら武器捨てません。徹底抗戦します」となるわけだ。

武装勢力に家族や恋人を殺された人にとってはたまったものではないだろう。しかし、平和な世の中を実現するには彼らの言い分を呑み、前進するしかないのだ。

 

平和とは、時に残酷なトレードオフのうえで成り立っている。安全を確保するためのやむを得ない手段として、「加害者」に恩恵が与えられる。その「加害者」には、元子ども兵のミランのように、好んで加害者となったわけではない、むしろ紛争の被害者といえる者もいる。物心ついたときから銃を持たされ、教育を受けたこともなく、戦うこと以外に自分の価値がないと心から信じてしまう者もいる。こういった人々への救済策は、確かに必要だ。

一方で、家族を失ったり、身体に障害が残ったり、家を失い避難民となっている「被害者」に、同じレベルの恩恵が行き渡ることはめったにない。加害者の人数と比べて、被害者の数が圧倒的に多いからだ。シエラレオネで最終的に武装解除された兵士の数が7万2000人ほどであるのに対し、死者数は推定5万人、それ以外の被害者数はおよそ50万人ほどである。

 

平和を実現するための代償が「加害者の無罪放免で被害者の泣き寝入り」なんて、なんとも残酷な話だ。

実際、瀬谷さんもこのジレンマに悩み苦しまされることになるわけだが、武装解除のむずかしさはそれだけではない。

瀬谷さんがシエラレオネに赴任して10ヶ月後、武装解除のプロジェクトが順調に進んでいたときのことだ。3人の若者が瀬谷さんに話しかけてきた。

 

「あなた、DDRの部署の人でしょう?俺たち、元兵士で、職業訓練を受けたけどその後の生活が苦しくて困ってるんだ、何とかしてくれるんでしょう?」

満面の笑みを浮かべながらそう言う彼らを見て、違和感の原因が分かった。当時、DDRは、画期的な支援だと評価を高めていた。多くのドナー国が資金を提供してくれた。かつての私も含めて、外国の大学や団体から、目新しい取り組みの調査のために子ども兵士や兵士を探して村々をまわる人々もいた。そのせいか、一部の元兵士たちは、自分たちが困っていると訴えさえすれば誰かが支援をしてくれると感じ、自分たちの存在には価値があるという若干の誇らしさを感じるようになっていたのだ。

私は頭を抱えた、単に彼らに経済的に自立する意思が育たないだけの問題じゃない。加害者が優遇され、もてはやされる風潮が長引くと、「無罪になって恩恵がもらえるなら、加害者になったほうが得だ」という価値観が社会に根付いてしまう。

 

いわゆる「支援慣れ」という現象のひとつだろう。支援してもらうことが当然だと感じ、自立の弊害となるものである。

平和をもたらすために決断した行動が、結果的にその国に害をもたらす可能性だってあるわけだ。加害者と被害者の利益のバランスを考えながら、さらに彼らが自立していくためのプロセスまでつくらなければならない。なんというか、先が長くしんどい仕事である。

 

yukiumaoka.hatenablog.com

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これまでにいくつか国際協力に関する本を読んできたが、圧倒的におもしろい一冊だった。ちなみに、瀬谷さんはNHK「プロフェッショナル」にも出演しているのだが、今度はそっちを見てみるつもりだ。

 

第116回 瀬谷ルミ子(2009年4月21日放送)| これまでの放送 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

 

湾岸戦争でイラク兵の捕虜となった女兵士《イラク軍に囚われて 米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語》

イラク軍に囚われて―米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語

イラク軍に囚われて―米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語

 

 

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イラク軍に囚われて 米陸軍少佐ロンダ・コーナム物語』を読んだ。本書は湾岸戦争で捕虜となったひとりの女性航空医官の物語である。

航空医官の仕事はヘリコプターに乗り、戦場の最前線にいる兵士を治療すること。時には味方のヘリや戦闘機の墜落現場に急行し、パイロットや乗組員の救助活動も行ったりする。

コーナム少佐は軍の司令を受け、味方のヘリの墜落現場に向かったが、イラク軍の攻撃を受け、捕虜となった。

捕虜と聞くと、敵からのすさまじい拷問を受けるイメージだが、コーナム少佐はそのような扱いをイラク兵から受けることはなかった(とはいえ、移送中にイラク兵からレイプされそうになっている)

航空医官だからか、本書では医学的な小ネタがいくつも出てくる。たとえば、湾岸戦争ではイラク化学兵器に対して化学兵器用スーツがつくられたが、実用的なものではなかったことなど。

 

私たちの使用する対化学兵器用のスーツは、化学物質から体をよく保護するように作られてはいるが、厚手であるため、これを八月につければ、兵士は化学物質よりは、むしろ熱射病で死亡する可能性があった。(中略)

私にはどうなるかはっきりわかっていた。人々はみな蒸し焼きになるのだ。このスーツはかなり厄介だったが、よく訓練された兵士なら化学兵器の攻撃ではほとんど死なないだろう。死ぬことがあるとすれば、動きの不自由なものを着ていてさらに前方がよく見えず、電柱柱か砂丘にでも突っ込んでしまうことだが、化学剤で死ぬことはまずない。

 

この化学兵器に対する訓練もアメリカ軍で行われたが、実際に化学兵器は一度も使われることはなかった。

航空医官の仕事は、戦闘で負傷した兵士や伝染病にかかった兵士を治療するだが、一方で病やケガの予防も仕事のひとつである。

 

私はもう一つ、避妊担当将校の役を引き受けた。私は種類の違う避妊薬をかならず準備させた。このことについて誰も考えていないようだったからだ。私はたくさんのコンドームを兵士たちに配った。だが、どうも彼らは砂よけにライフルの先にかぶせていたようだ。私は、兵士たちの間でセックスがさかんに行われているか、もしくは駐車場のなかで、どこかセックスができるところを探したかのかなどと、問うつもりはなかった。それはすべて個人の問題だからだ。

 

戦場での性行為はご法度だが、戦争がはじまれば半年から長くて数年はその地で拘束されるのだから、性欲的な話がでてくるのは当然だ。しかし、コンドームをライフルにかぶせていたのには笑った。

 

本書は全部で12章まであり、最終章にコーナム少佐が女性兵を戦闘に参加させることを強く主張している。

知らない方もいるかもしれないが、湾岸戦争当時はもちろん、ごくごく最近までアメリカの女性兵は戦場の最前線に行くことは許されなかったし、就ける職務の幅も狭かった(仕事の多くが後方支援)

くわしくは『アシュリーの戦争』を読んでほしい。

 

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2016年の1月になってようやくすべての女性兵が地上戦闘に参加することができるようになったが、その道のりは長かった。

湾岸戦争がはじまったのが91年、この『イラク軍に囚われて』が出版されたのが翌年の92年。じつに24年の歳月がかかっている。

コーナム少佐のその後が気になったので、グーグルで検索をかけてみたところ、どうやらまだ軍に所属しているらしい。しかも、少佐から准将に出世していた。

彼女のこれからの活躍を祈るばかりだ。

読書めも

湾岸戦争をきっかけに女性兵士の台頭が進んだ。

→四万一千人近くの女性が活躍。ー医師、看護師、パイロット、整備士、トラック運転手、コック、事務官、情報将校、通信技師、そのほか多くの専門職として働いた。

・戦闘で死亡する兵もいるが、病で亡くなる兵士も多い。

赤痢、伝染病などなど

高校時代すきなひとの似顔絵をノートにコソコソと書いていた黒歴史があるけど、紅白に出場できたでござる《芸人前夜 中田敦彦》

natalie.mu

「PERFECT HUMAN」で一躍有名になったRADIO FISHが今年の紅白歌合戦に出場するらしい。

お笑い芸人が紅白に出場するのはそんなにめずらしいことではない。

とんねるずダウンタウン浜田雅功をはじめ、藤井隆、ガレッジセールのゴリ、はなわテツandトモ波田陽区も過去に出場している。
 

 

RADIOFISHが紅白に出場できたのは「PERFECT HUMAN」がヒットしたからだろう。「PERFECT HUMAN」がリリースされたのは去年の年末なのだが、そのときまさか紅白に出場できるなんて本人たちは思っていなかったはずだ。

今でこそ3000万再生を突破した「PERFECT HUMAN」だが、リリース直後に反響があったわけではない。地道に活動をつづけ、フジテレビ系の番組『ENGEIグランドスラム』に出演したことをきっかけに爆発的にヒットした。

ちなみに「PERFECT HUMAN」の歌詞は藤森さんが書いているのだが、この曲をつくるきっかけとなったのは、相方の中田さんからあるひとつのオーダーが届いたからだ。

そのオーダーは「とにかくおれを褒め称えろ、そしてPERFECT HUMANだけを言わせてくれ」というものだった。

そんなむちゃくちゃなオーダーを受け、藤森さんは1日で「PERFECT HUMAN」の歌詞を書き上げた。

3000万再生を突破させた歌詞を一日で書き上げるところに、藤森さんのアーティストとしての才能を感じる。

 

これで4度目のブレイクといわれているオリエンタルラジオ

一回目は武勇伝、二回目はチャラ男、三回目はラッスンゴレライの完コピ。このままアーティスト路線で突っ走るのか、それともまたべつの策を講じるのか気になるところではある。

 

芸人前夜 (ヨシモトブックス)

芸人前夜 (ヨシモトブックス)

 

 

前置きが長くなってしまったが(前置きにすらなっていない)、中田敦彦さんが書いた「芸人前夜」を読んだ。

本書は中田さんの自伝的小説であり、彼が生まれてからNSC(養成所)を卒業する直前までを描いたものだ。

本書の見どころは中田さんが青臭くてカッコ悪い、これに尽きるだろう。

武勇伝で藤森さんが言う「あっちゃんカッコイイ〜」ではなく、「あっちゃん、カッコ悪い〜」だ。頭脳明晰でスターのオーラを身にまとった中田さんのダサいエピソードが山ほどでてくる。

 

【中田さんのダサいエピソード】

・高校時代に想いを寄せた相手の似顔絵をひたすらノートに書く

・その子の持ち物を観察してデータをノートにまとめる

・初デートでデート相手と1対1の野球を延々と繰り返す

・寝取られた彼女の男をなぐって手の骨が折れる

・その男にケガの心配をされる

 

中田さん自身もあとがきでこう語っている。

 

実を言うと、この小説まがいのものは連載が終わってから、しばらく眠っていた。連載完結さあ出版となったところで一度その話がストップしたのだ。ストップしたというより、ぼくがストップさせた。何を隠そう「恥ずかしかった」のだ。この自叙伝まがいのお話が。書いたうえで申し訳ないが恥ずかしくなってしまったのだ。あまりにも自分の青い時期の青さがきつすぎて。世にそれを出すことはもう恥辱の散布でしかないと感じたのだ。

 

本人も認めるほどの恥ずかしいエピソードがたくさん詰まっているのだが、もちろんそれだけではない。

オリエンタルラジオをブレイクに導いた武勇伝が生まれるきっかけや相方の藤森さんとの出会い、NSC在学中にもかかわらずM-1準決勝まで行ったエピソードやテレビ出演が決まっていた話ーー

そのなかでも武勇伝のネタが生まれ、どんどん改良されていく様子が描かれているのはすごくよかった。

「あぁ人気が出るネタってこういうふうに作られていったんだぁ」と思った。

 

「なあ、登場するまでただ歩くだけだったら普通だから、変な歩き方で出て行こうぜ」「なあ、ネタの終わりに次回予告つけようぜ」「なあ、歌舞伎っぽいことしたいなあ。歌舞伎みたいに見得切ろうぜ」「カッキーンっていう擬音、ヒーローっぽくていいよな。使いたい。」

「今日大学の帰り道にさ、いい歌考えたんだよ。さわやかなメロディーでさ、どうしようもない歌詞つけてさ」「なんかもうラップみたいな感じもいいかもな」「踊ろうぜ。これ、変な動きだろ。でも真似しやすいだろ。どう?」

 

かれらの原点ともいえるNSCでの出来事がありありと書かれている。「かれらはこうやってスターへの道を駆け上がっていったんだなぁ」と感じることができるだろう。

お笑いが好きなひとにプレゼントしたい一冊だった。