読書めも

読んだ本の感想をぼちぼち書いてます

巨大な岩に手をはさまれ、5日間生き抜いた男のお話《127時間 アーロン・ラルストン》

こういうことわざがある。『事実は小説よりも奇なり』世の中で起こる実際の出来事は、小説に書かれていることよりも奇妙かつおもしろい、という意味だ。このブログではノンフィクションを中心に様々な本を紹介してきた。

通学路に死体が転がっているのが日常の北朝鮮から脱北してきたひとりの少女の物語や一匹の野良猫との出会いで人生が変わったホームレスのストーリー、育てていた子どもが自分の産んだ子どもでないと発覚し子どもを交換した話。

 

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奇妙とまでいかないが、どれも現実に起きたとは思えないようなノンフィクションだった。今回紹介するのは、まさに『事実は小説よりも奇なり』ということわざにふさわしい本だろう。

 

127時間 (小学館文庫)

127時間 (小学館文庫)

 

 

『127時間』を読んだ。

 

ーーアーロン・ラルストンはスポーツ用品店に勤めるアウトドアが大好きな27歳の若者だ。趣味はキャニオニアリングで、アメリカのあらゆる渓谷を回っている。ある日突然、深さ50メートルの谷底に落ちてしまう。ふと気づくと、右の手首の上には大きな岩塊が乗っていて、まったく動かすことができない。所持品はごくわずかな食料と650ccの水と登山用具がいくつか。昼間の気温は40度近くまで上昇し、夜は凍えるように寒い。周囲には人っ子ひとりもおらず、助けを呼べる可能性はない。刻々となくなっていく水と食料、死への階段を一歩一歩上がっていく恐怖。極限状態に陥った人間はなにを考え、どんな行動を取るのか?全米を泣かせ、大ベストセラーになった、感動の実話ーー

 

つまり、この本は岩に手を挟まれた男の話だ。しかも、状況は最悪で、たとえるなら脱獄不可能な刑務所にいて、数日後には処刑が確定されている死刑囚のようなものだ。

以下はネタバレ含んだ感想になるので、これから『127時間』を読もうと思っている方はこれ以降スクロールしないほうがいい。

 

 

 

 

 

 

 

まあこんな本を出すくらいなんだから、当然著者は生きている。ではどうやって生き延びたのか。結論から言ってしまうと、ナイフで腕を切断する。所持品のなかにステンレスナイフがあり、それを使って腕を切断し、この監獄を脱出する。

腕を切断するのは難しい。心理的な面ではなく、技術的にである。そもそも腕を切断するには、専用の器具が必要だし、人間は皮膚の下に肉があり、さらに骨がある。この骨を削るのがなかなか容易ではない。しかも、利き手である右腕は岩に挟まっている。腕を切断するまでに至る苦悩であったり、この地獄から脱出するためにもがくアーロンさんの姿は本書の見どころのひとつだろう。

その後10キロ近くの距離を歩き、そこを通りすがった人に助けてもらうことになる。片腕の状態で、何キロの行程を歩くとは、アーロンさんのすさまじい生命力を物語っている。ちなみに本書は2010年に映画化もされている。興味が湧いたひとは映画も合わせて見るといいのではないだろうか。

 

僕らはソマリアギャングと夢を語る 永井陽右

f:id:yukiumaoka:20160709195351p:plainで塗られている箇所がソマリアで塗られている箇所がケニア、で塗られているエチオピア。

 

 

感想

ソマリア連邦共和国。1960年にイギリスとイタリアから独立するも、1980年後半に内戦が勃発。さらに1991年には政府が崩壊し無政府状態に。国連多国籍軍が軍事介入するも失敗。その結果、世界最悪の紛争地のひとつと言われている。

 

先日「土漠の花」を読んだとき、ソマリアに興味がわいた。この本はソマリアを舞台に7名の自衛官武装勢力と戦う冒険小説だ。その後ネットでソマリアについて調べていたところ、この本に出会った。

 

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僕らはソマリアギャングと夢を語る――「テロリストではない未来」をつくる挑戦

僕らはソマリアギャングと夢を語る――「テロリストではない未来」をつくる挑戦

 

 

 「僕らはソマリアギャングと夢を語る」を読んだ。著者は永井陽右(ようすけ)さん。現在イギリスの大学院に通う学生で、日本ソマリア青年機構を立ち上げた人でもある。

日本ソマリア青年機構とは、ソマリアを支援する学生NGOで、ギャングの更生を支援することが主な活動内容だ。つい先日レディフォーで130万円の資金調達にも成功した。

 

永井さんは大学一年のときに、ケニアのイスリー地区を訪れる。イスリー地区はソマリアからの難民が住む街であり、現地のケニア人も寄りつかないほど治安が悪く、テロリストの巣窟とまで言われる場所であった。

しかし、永井さんがイスリー地区で目にしたのはごく普通のソマリア人が生活している姿で、決してテロリストのような人々がいるとはどうしても思えなかった。

帰国後、イスリー地区でのことを忘れることができず、すぐソマリアについて調べた。すると、ソマリアが抱えている根深い問題を目の当たりにすることになった。機能しない政府、テロリストになる10代・20代の若者たち、拷問・処刑が当たり前の毎日。

そんなことを知っていくうちに、永井さんは耐えがたい痛みを感じるようになる。そして、仲間を集めてこの問題を解決しようと動きだす...

 

本書は国際協力の実践編だ。大学生だった永井さんがなにを考え、どんな行動をしたのか、そんなことについて書かれている。

そのなかでも特筆すべきなのは、日本ソマリア青年機構が力を入れている「Movement with Gangsters」だろう。これは対話を通してギャングの更生を目的とするプログラムだ。

イスリー地区の治安が悪化した原因は、ギャングが力を持っていることだった。10代〜20代の若者たちは生きるためにギャングに入り、犯罪行為に手をそめる。そのことを知った永井さんたちは、大学生である自分たちだからこそできることを考えた。そして、ギャングと同世代の自分たちだからこそ、彼らと膝を突き合わせて話し合うことができることに気づく。こうして「Movement with Gangsters」が生まれた。

このプログラムの優れた点は、ただギャングと対話するだけで終わらないところだろう。プログラム終了後、ギャングたちはスキルトレーニング(職業訓練のようなもの)を受ける流れとなっている。つまり、就職のフォローまで行っているのだ。

 

永井さんは人間力大賞を受賞したり、外務大臣奨励賞を受賞したりしているから、学生の人たちにとってはすこし遠い存在かなぁと思ったりするかもしれないが、そんなことはない。ソマリアが抱える問題に戸惑い、悩み、葛藤する姿が本書では描かれている。その姿はふつうの大学生となんら変わりない。

いま国際協力に携わる学生はもちろん、これから国際協力に関わろうとしている学生には必読の一冊だ。

 

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・「Movement with Gangsters」で起きたトラブル、スキルトレーニングの受け入れ先でのモメ事などもうすこし踏み込んで書いてほしかった

・このプログラムを聞きつけてきて、プログラムを妨害しようとしたギャングはいたのか

・プログラムを受けた後のギャングたちのその後について書かれているのがよかった

絶体絶命だった侍ジャパンを救ったのは38歳のベテランだった《土壇場力 井端弘和》

土壇場力

土壇場力

 

第三回WBCで獅子奮迅の活躍した男

World Baseball Classic、通称WBC。「野球の世界一」を決めるこの大会は、2006年に始まり、第一回・第二回と侍ジャパンが連覇を成し遂げた。

しかし、2013年に開催された第三回大会の準決勝で侍ジャパンは1-3でプエルトリコに敗れ、WBC三連覇の夢は潰えてしまった。

二転三転の末に決まった監督、メジャーリーガー不在、キャプテン阿部の負傷。多くの課題があったものの、なんとか準決勝までたどり着いた。しかし、多数のメジャーリーガーを戦力に持つプリエルトリコの前に、侍ジャパンはあっけなく散った。

そのなかでひとり獅子奮迅の活躍をした選手がいる。もし、日本が優勝していれば、間違いなくMVPを受賞していただろう。一次ラウンドのブラジル戦では代打で同点タイムリーを放ち、二次ラウンドの台湾戦では9回表2死2塁から起死回生の同点タイムリーを打った男、井端弘和だ。18打数10安打、打率.556、出塁率.652。この成績を見れば、その活躍ぶりは言うまでもないだろう。

ということは、大会前からいい仕上がりで、期待されていたのだろうか。いや、決してそんなことはなかった。

 

僕だけ人一倍スイングが遅かった

2012年11月16日と18日に行われたキューバとの親善試合。(中略)11月10日過ぎくらいにメンバーが集まって練習したのだが、僕だけ人一倍スイングが遅かったのを覚えている。福岡ドームと札幌ドームでキューバと2試合が予定されていたが、「福岡と札幌に旅行に行くか」ぐらいの気楽な感覚でいたように思う。
最初構成されたメンバーは23、4歳の若手がほとんどで、ひとり別格でおっさんの僕。どうにも気恥ずかしくてたまらなかった。
最初の合宿のとき、最年長が僕で、阿部慎之助(巨人)は日本シリーズアジアシリーズで台湾に行っているため合流が遅く、その次の年長者というと一気に30歳の糸井嘉男オリックス)まで下がる。糸井のすぐ下の世代にしても、さらに6、7歳の開きがあった。合宿に行っても話す相手はいないし、あの糸井にしたって誰と話していいのか迷っていたくらいだ。

 

しかも井端さんのポジションには坂本、鳥谷、松井稼頭央らがいて、どう考えても代打の可能性が高かった。そんな状況であったが、気持ちは切れず「どこかで一回大仕事してやるぞ!」と燃えていた。

というのも、日の丸に対して特別な想いを抱いていたからだ。

 

06年のWBCは代表招集を一度断った後、再度招集がかかった。このときはまだ29歳で、05年のシーズンは3割2分3厘、打点63と過去最高の成績を残し、心技体ともに充実していた時期だった。(中略)
マリナーズで活躍していたイチローさんが1番を打って、その次を僕が打てたらいいなあと密かに夢を抱いていたが、当時ホワイトソックス井口資仁さんが参加表明し、1番イチロー、2番井口というオーダーが完成しており、このときも「俺はもうないな」と、僕の夢はあっけなく潰えた。だが、年が明けると井口さんが急きょ「メジャーに行ってまだ2年目、スプリングキャンプを優先したい」と出場辞退を発表した。それから非公式に出場要請を打診されたが、その頃には身体もまったく作っていなかったし、泣く泣く参加を断ることになった。

 

意外かもしれないが、井端さんは国際大会の経験はない(予選は経験しているが、本選はなし)北京オリンピックは選考の時点で落選し、2009年のWBCは身体の故障を抱えており、出場を打診されたが辞退。そして、2013年やっとのことでつかんだ日の丸のユニフォーム、燃えないわけがない。

 

台湾戦のあのタイムリ

本書では台湾戦の9回2死1点ビハインドで放った起死回生のタイムリーについて詳しく書かれている。

 

2-3、台湾1点リードで迎えた9回表、日本最後の攻撃。誰がこんな展開を予想しただろうか。重苦しい空気のまま最終回の攻撃に入る。1死から9番鳥谷が四球で塁に出る。さあ、同点のランナーだ。次の打者は途中出場の長野。大きな期待がかかる。だが、初級のストレートを果敢に打って出るも、浅いセンターフライに倒れてツーアウト。
万事休す。もう後がない、まさに崖っぷちの状況だ。「2番セカンド、井端」(中略)
絶体絶命の局面だが、心臓がばくばくするわけでもなく、プレッシャーは特に感じていなかった。ただいつも以上に考えて、打席に入るまでの間合いも長く取る。
その間に、ものすごい速さでいろいろなパターンを考える。頭の中は高速回転しているが、リラックスしようと深呼吸を何度もし、イメージしながら2.3回軽くスイングをして打席に入る。アンパイアも何も言わなかったし、台湾のピッチャーも陳鴻文も投げ急ぐ感じはなかったので、ゆっくり僕の間合いで打席に入ることができた。その分、頭の中できちんと考えを整理することもできた。
間違いなく自分の世界へ入っていた。今までに経験したことがない集中力だった。この境地に至ることができたのは、おそらくプロの第一線で1500試合以上出場している経験からだと思う。プレッシャーをまったく感じず、かといって気合いが入りすぎているわけでもない。

 

そして、もちろんブラジル戦での同点タイムリーについても描かれている。あのとき何を考えていたのか。打席のなかでどんなことを感じていたのか。あの試合を見ていただけではわからなかったことがすべて明らかになる。

本書を通じてあのとき味わったあの感動をもういちど感じるといいだろう。

 

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